物語

「仮設住宅では毎日笑っていました。布ぞうりをつくりながら、ああでもないこうでもないって話してね。笑い声につられてみんな集まってくるの。だから、避難先でも孤独感や寂しさは感じずに済んだんですよ」。原発事故により避難した先の会津美里町で結成された『楢葉わらじ組』。布ぞうりを通して生まれたつながりは、楢葉町へ帰町してからも続いています。
つくること、集まることが楽しかった
いわき駅からJR常磐線に揺られて30分。竜田駅と木戸駅の中間にある、『地域文化交流拠点 楢葉まなび館』を訪問しました。廃校になった楢葉南小学校の校舎を活用した施設で、元1年1組の教室が楢葉わらじ組の工房です。ロッカーには、これまでに製作した色とりどりの布ぞうりが並んでいました。
楢葉わらじ組のメンバーは現在10人。取材の日はそのうち6人が迎えてくれました。普段は家で布ぞうりを編み、週に1度ここに集まって鼻緒をつける作業や検品作業を行っているといいます。仲睦まじい様子に、「みなさんは昔からのご友人同士だったんですか?」と聞くと、「いえいえ! 震災後からのつきあいなんですよ」と代表の高木キヨ子さん。「仮設住宅で毎日顔を合わせていたから、仲が深まったんですね」。
楢葉町は、福島第一原子力発電所から20km圏内に位置する町です。2011年の原発事故を受け、全町民約8000人が避難を余儀なくされました。3月12日には同じ浜通りにあるいわき市へ、16日以降は楢葉町と災害相互支援協定を結んでいた会津美里町へ。『楢葉わらじ組』は、その会津美里町に設置された仮設住宅内で始まりました。
高木さん:2011年の7月頃に仮設住宅に入って、12月頃から仮設住宅で色々な手づくり教室が開かれるようになったんです。編み物とか人形づくりとか色々あって、そのひとつが布ぞうり。会津地方で昔からつくられてきたわらじの編み方を教えてもらって、最初は支援物資として届いた手ぬぐいを使って編んで。避難者の仕事をつくろうってことで県から助成金が出たみたいで、時給をいただいて製作していたんだけど、ひとつのものができあがるのが嬉しくてね。「えーこれでお金まで貰えるの!」ってびっくりしました。
しばらくして助成金が切れて時給が出なくなって、編み物とかやっていた人たちはやめちゃったけど、布ぞうりづくりは続きました。つくること、集まること自体が楽しかったんです。

左から戸田幸雄さん、宮内光子さん、木村京子さん、高木キヨ子さん、小尾トミ子さん、小尾明さん。
高木さんの言葉を皮切りに、仮設での思い出話が次から次へと飛び出しました。「布ぞうり編んでるんだか馬鹿話してるんだかわからなかったね」「仮設でも評判だったよ、前を通るとうるさいんだもの、ぎゃははははって笑い声が聞こえてきて」「おなか破裂するんじゃないかっていうくらい笑ったもんね」「それがよくて集まっていたんだもんね、ねえじじ?」——。
「じじ」と呼びかけられたのは、現在95歳で最高齢の戸田幸雄さんです。戸田さんは手先が器用で、すぐに布ぞうりづくりをマスターしてほかの人にコツを教えるようになったそう。履き心地が良くなるよう鼻緒に芯を入れるアレンジを加えたのも戸田さんで、「じじの布ぞうりは柔らかいし見た目もいい」と評判になり、それがわらじ組の布ぞうりのスタンダードになりました。

編み台を使い、しっかりと力を入れて編みます。
「歳を取ると新しい場所に行くのが段々億劫になっていくけど、じじは何でも率先してやるもんね。若さの秘訣だよね」「鼻緒も手縫いするし、字も達筆だし、歌も上手いし、何でもできるんだものじじは」。そう口々に話す仲間を見ながら、「ここは雰囲気が良くて楽しいから」と優しく微笑む戸田さん。岐阜で布ぞうりの販売会を開いたときも2泊で参加したといいます。
小尾さんは夫婦でわらじ組に参加しています。ただし、明さんはつくり手ではなく、“世話人”。取引先とのやりとりやパソコン作業を担っています。2008年に神奈川から楢葉町に移住したというおふたり。原発事故後、神奈川に戻ることは考えなかったのでしょうか。
小尾さん:その選択肢はなかったですね。楢葉は自然豊かでしょう。海で釣りはできるし、天然温泉もあり、また近場にゴルフ場もあるし、こんないいところほかにありませんよ。何より、町の人たちの人柄がいい。移住してから嫌な扱いを受けたことなんて一回もなかった。だから、絶対楢葉に戻ろうって決めていたんです。仮設暮らしになってからは、わらじ組のみなさんと親しくなれましたしね。
高木さん:そう考えると、震災をきっかけに知り合えた人っていっぱいいますね。支援してくれた方もいるし、会津の方にも良くしていただいたし。辛いこともあったけど、そればっかりじゃなかったね。

色柄の組み合わせは編み手の感性に委ねられています。一つとして同じものはありません。
楢葉町とは全く気候が異なる土地で、4歩歩けば壁に行き当たる四畳半の仮設住宅暮らし。冬は早朝から雪かきをしないといけません。それでも、雄大な会津磐梯山を眺め、地元の方から保存食づくりを教わり、みんなで集まって布ぞうりを編む暮らしは楽しかったーーわらじ組のみなさんはそう振り返ります。
ほかの地域に避難していたメンバーと共に

『道の駅ならは』に並ぶわらじ組の布ぞうり。
楢葉わらじ組の活動は、NPOやお寺など、さまざまな団体からのサポートを受けて成長してきました。特に力強く応援してくれたのは、ボランティア団体『ならは盛り上げ隊』。首都圏で展開する生協『パルシステム』でカタログの編集に携わるメンバーがプライベートで始めた活動です。その販路を通して百足を超える注文が何度も舞い込み、布ぞうりの材料となるTシャツも山ほど送られてきたといいます。

Tシャツは細長く切って編み紐にします。明るい色の生地は争奪戦になるそう。

華やかな着物地は鼻緒として使います。
高木さん:ならは盛り上げ隊は、高島屋や三越伊勢丹、日本橋ふくしま館での販売の話を取り付けてくれました。『narahato』っていうブランド名もならは盛り上げ隊がつけてくれたんです。楢葉と一緒に歩んでいこう、って。いまでも応援してくれていて、本当にありがたいなって思います。
黒板には、2013年にならは盛り上げ隊と一緒に考えた目標が貼られていました。右上に書かれた「海外進出」は、2014年に叶ったそう。イタリアのラグジュアリーブランド・マルニの依頼を受け、ブランドの余り生地を使った布ぞうりを製作。完成品は東京とパリで期間限定販売されました。

マルニの生地を使ったファッショナブルな布ぞうり。(写真提供:ならは盛り上げ隊)
「楢葉に戻っても作れるように」という願いも、こうして叶っています。楢葉町に出されていた避難指示は2015年7月に解除となり、わらじ組のメンバーは全員故郷に戻ってきました。ほかの地域に避難していた人にも布ぞうりづくりを教え、新たに5人が仲間入り。宮内光子さんもそのひとりです。
宮内さん:最初は、どうしようかな、うまくやっていけるかしら、と迷ったんです。私にとって、新しいことを始めるっていうのは本当に勇気がいることなんですよ。でも、一歩踏み出してみたら、もうやめられなくなっちゃった。みんな優しく受け入れてくれて、面倒見てくれて。編んだものを確認してもらうときは緊張するけど、楽しみでもあるんです。ダメ出ししてもらうのが一番成長になるから。毎週火曜日が待ち遠しいですね。
全町避難した自治体の中で楢葉町は比較的帰町を選択する人が多く、2020年8月時点の町内居住者数は約4000人。高木さんのお孫さんも、小学校入学を前に楢葉町に戻ってきたといいます。
子どもが増えたため、楢葉まなび館は2021年春から再び小学校として使われることが決定しました。わらじ組の工房もそれまでに移転しなければいけませんが、この教室にまた子どもたちが通うことをみなさんは喜んでいるようです。もちろん、移転後も活動は続けていくとのこと。

サイズはS、M、Lの3種類。タグの裏には編み手の名前が記されています。

つくり手の9人で。(写真提供:楢葉わらじ組)
来年で結成10年を迎える楢葉わらじ組。「今後の目標は?」という質問に高木さんが「元気に続けていくことですね」と答えると、全員から一斉に声が上がりました。
「10年後はどうしてるかしらね?」「震える手で編んでるかもね」「編み紐を固く締めるためにお互いに引っ張りっこしていたりして!」「でもさ、頭は使う、手も足も使う。ボケ防止にこんなにいいものはないよ」「みんなでおしゃべりして大笑いもするしね」「じじを見習って元気でいないとね」——。
この先の10年もずっと続いてほしいと感じる、笑い声に溢れた製作現場でした。
●楢葉わらじ組
ウェブサイトはありませんが、ならは盛り上げ隊フェイスブックページに時々近況がアップされています。
https://www.facebook.com/narahamoriagetai
<購入方法>
日本橋ふくしま館、道の駅ならは、福島市にある『暮らしの良品いげた』で販売しているほか、パルシステム東京でも会員向けに定期的に注文を募っています。また、以下のオンラインショップからも購入できます。
・ふるさとチョイス https://www.furusato-tax.jp/product/detail/07542/4654751
・日本きらり https://www.nippon-kirari.com/product/catalog/t/rshop/sh/100093
2020.9.17