物語

「サッコラ〜、チョイワヤッセ」。これは『盛岡さんさ踊り』で使われる、「幸せは呼ぶとやって来るよ」という意味のかけ声です。盛岡の住宅リフォーム会社で役員をしていた石頭悦(いしがしら・えつ)さんは、このかけ声から社名を取り、2011年に障がい者の裂き織技術を活かした雇用の場『株式会社幸呼来(さっこら)Japan』を設立しました。設立当初は4人だった従業員数もいまでは20人以上に。数々の有名ブランドとも取引する裂き織メーカーへと成長しました。
せっかく培った裂き織技術を活かして働ける場を
裂き織とは、古布や余り布を細く裂いて紐状にし、緯糸として再利用する織りの手法です。石頭さんが裂き織を知ったのは2009年のこと。介護保険を使った住宅リフォームを行っていた関係で特別支援学校を見学することになり、生徒たちが生活訓練のために織っていた裂き織の美しさに目を奪われたといいます。
石頭さん:色合いは若々しく鮮やかで、織りは緻密で、とてもすばらしいと思いました。でも、近隣に裂き織をしている事業所はなく、高い技術を持っていても卒業後の就職には結びつかないと聞いたんです。
もったいないと思いながら織りをバッグにしてもらって持ち歩いていたら、知人から「それを事業化したら、障がい者の仕事になるんじゃない?」と言われて、「そうだ!」と。社長に直談判し、2010年7月に会社の一部門として裂き織事業部をつくりました。
「すでにある裂き織商品と同じものをつくっても事業として成り立たない。若い子にも「裂き織って素敵だな」と思ってもらえるものをつくりたい」——そう考えて行き着いたのが、毎年8月に開かれる盛岡さんさ踊りのカラフルな浴衣を使うことでした。盛岡さんさ踊りは会社や学校などで構成された数百のチームが華麗な演舞を見せるパレードで、東北五大祭りの1つに数えられています。
石頭さん:その年のパレードを見ていたら、あれっと思ったんです。一年前と浴衣が変わっているチームがあるって。さんさ踊りが大好きで毎年観に行っているから、変化があるとわかるんですね。「もし古くなった浴衣が余っていたら、それを使って裂き織ができないかな」と閃きました。カラフルな織物ができるし、盛岡らしいお土産になるんじゃないかって。
パレード終了後、打ち上げをしていた踊り子たちに話しかけると、「古い浴衣は社内で保管している」という返事。さっそく数社の参加企業に問い合わせましたが、反応は芳しくありませんでした。

盛岡さんさ踊りの浴衣
石頭さん:そりゃそうですよね。始まったばかりのよくわからない事業に、企業のロゴマークがついた浴衣を譲り渡すのは躊躇するはず。それで、まずは盛岡さんさ踊り実行委員会から話を通してもらい、裂き織の作業工程を細かく紹介する資料を用意して、各社に相談に行ったんです。その結果、10社から約600枚の浴衣をいただくことができました。なかなかに大変でしたね。
譲り受けた浴衣を再生してつくったカラフルなステーショナリーグッズは『さんさ裂き織』と命名し、市内の土産物店などで販売を開始。物販は初めてだったため最初は掛け率などを考慮せず安く価格を設定してしまうなどのトラブルもありましたが、盛岡の特産品であることを示す「盛岡ブランド」の認証を受け、徐々に認知度が上がっていきました。
震災翌日に出社してくれたスタッフを放り出すわけにはいかない
裂き織事業がスタートして8ヶ月。テレビや新聞に取り上げられ、盛岡市内で行った展示販売会も好評で、いよいよこれから注文が増えそうだというタイミングで起こったのが東日本大震災でした。
石頭さん:震災の日は金曜日で、織り手の子に「しばらくは営業できる状況じゃないし危ないから、私が会社に来ても大丈夫だよって連絡するまで家で待機していてね」と言って別れたんです。でも、次の日会社に行ったら、ひとりの子が来ていたんです。
決して家が近いわけじゃないんですよ。だけど、「会社がどうなっているか心配で心配で、お父さんに車を出してもらった」って。その日会社に来ていたのは、社長と私と障がいのある彼女だけ。彼女にとってこの仕事がとても大事なものになっていることが伝わってきて、たまらない気持ちになりました。
しかし、同年6月。震災の影響を受けて会社の経営が不安定になり、不採算部門であった裂き織事業部は閉鎖せざるを得なくなりました。
石頭さん:それ自体は仕方のないことだと受け入れたんです。でも、震災の翌日に来てくれた子、仕事に誇りを持っている子に、「事業が無くなったからもう来なくていいよ」なんてとても言えなくて。腹を括って会社を辞め、起業しようと決意しました。
裂き織事業を始めるにあたって本当にたくさんの人から応援してもらっていたし、ここでやめたら申し訳ないという気持ちもありました。子どもたちは成長して手がかからなくなっていたし、失敗しても命まで取られるわけじゃない。借金だらけになったとしても、少しずつ返していけばいい。自分が大事にしたいことをちゃんと大事にして、やれるだけやってみようと思いました。
まずは工房の場所探しです。実は石頭さん、リフォーム会社に在籍していた頃から、将来の増員を考えてもう少し広いスペースを借りようと物件を探していたといいます。
石頭さん:会社の近くで探していたんですが、なぜか契約直前でダメになるということが3回くらい続いていたんです。裂き織事業が継続できなくなって、「あ、それでか」と妙に納得しました。「会社近くの高い物件にする必要はないよ」ということだったのかなって。私の自宅近くで探したら、ちょうど取り壊し一週間前の古い物件が見つかって、言い値で借りることができたんです。みんなでペンキを塗って改修して、工房ができました。
新会社の社名には、さんさ踊りのかけ声である“幸呼来”を使うことにしました。「震災で傷ついた東北にたくさんの幸せが来ますように」という願いも込められています。
石頭さん:幸呼来の後に何か単語をつけたいなと色々考えていたとき、知人から「石頭さんの会社はさ、世界を目指すんでしょ?」と言われたんです。「そうだ、海外にも商品を届けるんだから」と、『株式会社幸呼来Japan』と名付けました。
求められるものに応えながら
設立当初、石頭さんはさんさ裂き織を事業の中心に据えようと考えていました。しかし、東京で商品を販売したところ、そもそも盛岡さんさ踊りを知らない人が多いことが判明。さんさ裂き織の説明に入る前に、お祭りの説明をしなければいけませんでした。
これは全国で販売する際に大きなネックになると考えた石頭さんは、さんさ裂き織を岩手県内や岩手県のアンテナショップなどでしか買えない地域限定商品として売り出そうと方針を転換。そして、全国展開用に新たな裂き織商品を開発することにしました。
石頭さん:そんなときに出合ったのが“デニムの耳”でした。高速織機でデニムを織り上げる際にどうしても発生してしまう生地の捨て代です。これを活用できないかと考えていたら、アパレルの世界ではほかにもさまざまな残反があることがわかったんです。染物屋さんで染め損じた手ぬぐい、生産の際に出る端切れ、売れ残ってしまった服地。廃棄されるはずだった生地を再利用して新しい商品がつくれたらと思い、『Panoreche(パノレーチェ)』というブランドを立ち上げました。

デニムを裂き織したフラットポーチ

さまざまな生地をミックスした裂き織のカメラストラップ
この取り組みを続けていくうちに、企業側から「ただ残反を譲り渡すのではなく、裂き織によって再生した生地を買い取りたい」と依頼されるように。EDWIN、中川政七商店、ANREALAGE、オニツカタイガーなどさまざまなブランドで幸呼来JAPANの裂き織生地が使われ、海外進出も果たしました。『さっこらProject』と名付けたこの取り組みは、2018年にグッドデザイン賞も受賞しています。
石頭さん:うちには、ブランド側のデザイナーさんの指示通りに織る技術があるんです。一点ものの風合いを残しつつ、ニュアンスは統一された生地を織り上げられることが強みですね。また、地域の裂き織サークルや福祉事業所と連携して、大きなロットにも対応できるようにしています。だから大手ブランドとコラボさせていただけるんだろうなと思います。
物販と同時並行で、幸呼来Japanでは裂き織の技術を伝えるワークショップを開いてきました。そこで、「裂き織に興味はあるけれど、織り機が高くて買えない」「買ってはみたものの、経糸を張るのが難しくてやめてしまった」という声を聞いたスタッフが、お菓子箱を使って簡単に経糸を張ることができる卓上織り機を試作。改良を重ね、ダンボールでできた手織りキット『DANBOROOM(ダンボルーム)』を開発しました。
スターターキットは毛糸付きで1980円というお手頃価格。特徴は、構造がシンプルでパッケージを開けてから5分も経たないうちに織りはじめられるくらいこと、軽くて簡単に持ち運びできること。織れるものの大きさは20〜30cmまでと限界がありますが、織ったものをパッチワークのようにつなげることでストールなどをつくることも可能です。
石頭さん:小さいお子さんやそのお母さんを想定していましたが、いざ販売してみたら高齢者からの人気が高かったんです。指を動かすからボケ防止にもなるし、若い頃に織物をしていたという方が懐かしがってくださって。高齢者福祉施設などからまとめて注文をいただくこともあって、想像以上の反響に驚いています。
世の中に求められるものを形にしていくうちに、いくつものブランドやプロジェクトができていったと話す石頭さん。重複する部分も出てきたので、今年10月にブランドを『SACCORA』という名前で統一し、ラインを整理する予定です。
さんさ裂き織やPanorecheのカラフルな裂き織は『SACCORA Standard』、デニム生地の耳を使った裂き織は『SACCORA Denim』へと再編成。ここに、米袋やエアバッグといった廃棄される資材を再生する『SACCORA ReBirth』と、織り手の個性を尊重し高級着物地を使った『SACCORA Signature』が加わります。

米袋を裂き織にした『SACCORA ReBirth』
石頭さん:『SACCORA Signature』は、規格通りには織れない子たちの技術を活かすためのラインです。より作品性が高く一点ものに近い商品になる予定で、販売したときにどんな反応をいただけるか楽しみです。

織り手が感性のままに織った『SACCORA Signature』
裂き織を通して、ものを大事に使う文化を後世に
現在、幸呼来Japanの工房は就労継続支援A型事業所、B型事業所の指定を受け、18人の障がい者と6人の健常者の働く場となっています。
石頭さん:ずっと一緒に仕事をしてきて、「障がいのあるなしって関係ないな」と感じています。障がい者と聞くと、無意識のうちに「自分とは違う」とバリアを張ってしまうかもしれません。でも、誰だって得意なこと不得意なことがあるでしょう。
うちに通ってくれている子たちはコミュニケーションがちょっと苦手だったり、知的レベルが小学生くらいだったりするけど、一人ひとりの特性に合わせた声掛けをしたり、少し工夫したりすればとてもいい仕事をしてくれるんです。それは障がいがないスタッフと接するときにも言えること。相手のことを考えながら接していくって、すごく大事なことだと思っています。
自分たちの織ったものが高く評価されていること、数々のメディアに取り上げられていることを、織り手やその家族は誇りに思っているそう。石頭さんの次の目標は、海外の超一流ブランドとコラボレーションすることだといいます。
石頭さん:もうひとつの目標は、盛岡を裂き織の産地にすること。裂き織は布を繰り返し使う知恵が詰まった生活織物で、江戸時代から東北地方に伝わってきました。でも、知っている人は多くありません。
ここ数年、SDGsやサステナビリティが世界的に注目されるようになりましたが、実はそういう考え方って日本に昔からあったものなんです。私たちはそれをないがしろにきてしまったけれど、気候変動なども起きているいま、日本人が大事にしてきたものを振り返ることが必要なんじゃないかな。裂き織を通して、そうした文化を受け継ぎ伝えていきたいと思っています。
●株式会社幸呼来Japan
ウェブサイト:http://saccora-japan.com/
Facebook:https://www.facebook.com/saccorajapan/
<購入方法>
以下のオンラインショップから購入することができます。
saccora online store: https://www.saccora-store.online/
※取材は新型コロナウイルス感染拡大を防ぐためオンラインで行いました。掲載している写真は幸呼来JapanのウェブサイトやSNSからお借りしたものです。
2020.5.29