物語

「私たちがいることを忘れないでくださった方々がいたからここまでやってくることができました。みなさんが私たちを育ててくれたんです」。共生型福祉施設『織音(おりおん)』は、身体障がい、知的障がい、精神障がいを持つ人が創作や生産活動を行い地域社会とつながる場です。震災からこれまでの軌跡を、施設長の熊井睦子さんに聞きました。
集会所の一角を借りて活動を再開
『織音』は、障がいを持つ人がさをり織りを通して社会に参加する小規模作業所として、2004年に活動を開始しました。当時の名称は『こころ・さをり』。決まったルールがなく、心のままに織ることを良しとするさをり織りの世界では、障がい者の既成概念に囚われない発想や感性が長所となります。熊井さんは、障がいのある娘さんの将来を考え親子でここに通いはじめ、後に職員となりました。震災の日も、親子で作業所にいたといいます。
熊井さん:地震があったのは、作業を終えてみんなが帰る直前でした。最初は山に逃げようと車のエンジンをかけるところまで行ったのですが、「身体の弱い子たちが寒い中一晩過ごせるだろうか」という意見が出て引き返したんですね。そうしているうちにひたひたひたっと波が来て。
入居していたビルのオーナーさんが親切な方で、私たちや近所の方を上階に避難させてくれました。毛布や暖房器具もあったし、お向かいのコンビニも食料を提供してくださって、ありがたかったですね。通りを歩いている方にも声をかけて上がっていただき、最初はカップラーメンを1個差し上げて、それ以降は3分の1ずつ分け合ってと、数十人で助け合いながら一週間ほど救助を待ちました。
利用者も職員も全員が無事だったのは幸いなことでしたが、自宅のある方向が燃えているのに何もできず心配されている方もいましたし、誰もがそれぞれ苦しい気持ちを抱えていたと思います。
全員が何らかの形で被災し、作業所も使えなくなったため、活動はしばらく休止することに。しかし、そうした状況を発信したところ、全国の人が作品の購入や糸・活動資金の寄付によって応援してくれたそう。これに背中を押され、避難所の一角や熊井さんの自宅などで小さく活動を再開しました。利用者も、変わってしまった日常に不安を感じる中で、仲間と一緒に織りをする時間に安らぎを見出していたようです。
熊井さん:夏に仮設住宅ができて、集会所の一角をお借りできることになりました。みんな楽しみにしていて、仮設が完成するまで何度も見に行きましたね。完成後は、入居者や近隣住民のみなさん、ボランティアで来ている方にも声をかけて、さをり織りを体験してもらったり、食事会を開いたりしました。
おばあちゃんから小さなお子さんまで身近に過ごせたし、利用者のみんなも「こうやって織るんだよ」と教えていきいきしていて。いま振り返ると、楽しかったですね。
『こころ・さをり』から『織音』へ
前任者の退任を受けて、熊井さんは2012年の夏から『こころ・さをり』の施設長を務めることになりました。
熊井さん:私の役目は作業所を再建することだな、と思いました。いつまでも仮設住宅の集会所をお借りしているわけにはいかなかったから。新しい利用者さんが増える一方で、使えるスペースは減っていき、活動が難しくなっていったんです。みんなが安心して作業できる場所が必要でした。
土地を見つけるのも建設費を集めるのも大変でしたが、たくさんの方にご協力をいただき、2015年春にようやく新しい施設を建てることができました。
工房は2階建て。作業スペースにキッチンとリビングがあり、ゆとりのある広さです。それまでの地域活動支援センターとしての機能に就労継続支援B型事業所としての機能が加わり、名称も『こころ・さをり』から『織音』へと変更しました。
熊井さん:当時私は、「内職仕事を増やしてみなさんに工賃をお渡しするために、さをり織りのイメージを払拭しなければ」と焦っていたんです。でも、理事長が「これまでやってきたことを否定せず、大事にしよう」と、織音という名前を考えてくれました。「人との交流やつながりを丁寧に織って、色々な音が響き渡る工房にしよう」って。この名前にしてよかったと思います。
利用者さんの中に、障がいが少しずつ重くなっている方がいます。以前はおしゃべりできたんですが、いまは話せなくなりました。でも、織りは身体に染み込んでいるんですね。自転車に乗るのと同じで、織り機の前に座ると、身体が次の動作を覚えていて勝手に動くようです。
日常生活の支援をしてくれる生活介護事業所に移ったらどうかという話も出ているそうですが、お母さまが「私のことをお母さんとも言わなくなったけど、織りは忘れてないの。だからここにいたい」と言っていました。織りが、利用者さんにとって大事な一部になっているんですね。
作品が売れると、嬉しくて誇らしくてたまらない
震災前後で、製作する商品にも変化がありました。震災前は利用者が自由に織り、年に1度の作品展で販売していましたが、震災後「こういうものはつくれますか?」という依頼が増え、それに合わせて織るようになったのです。
このサイトで前回紹介したhiyucaも、織音に仕事を発注した団体のひとつです。オンラインショップで販売しやすいように、赤・青・黄・ピンク・緑と色を統一しました。利用者が織り、職員がポーチなどの小物に仕立てています。
熊井さん:多くの方に手に取ってもらうにはどうしたらいいかを意識しはじめたのは、hiyucaさんからご注文いただいたことがきっかけでした。慣れないので最初はなかなか大変で、利用者さんも職員も一斉に織り機に座って、「こうやるといいよ」と教え合いながら織っていましたが、そのおかげで成長できたんです。ほかの会社からお声かけいただいたときもこの5色で提案するようになって、だんだん私たちの定番カラーとなりました。次のステップへ向かう道筋をつけていただいたな、と思っています。
インターネットの力ってすごいですね。四国のイベントで商品を販売してくださった方がいたのですが、うちの小銭入れを持った方が偶然ブースに立ち寄ってくれたそうです。ずっと石巻市内で完結していたから、自分たちがつくったものが四国まで届くなんて、とすごく感激しました。
さまざまな団体からの注文や内職依頼に応える中で、商品の幅も広がっていきました。衣服にバッグ、ランチョンマット、名刺入れと、事業所の入り口には多様な商品が並んでいます。
熊井さん:年に1度の作品展では、利用者さんたちが展示や販売を頑張ってくれるんですよ。「この作品素敵ね、あなたがつくったの?」と聞かれて、舞い上がって「はい」と答えちゃって、後で「私つくってないのに嘘ついちゃった、どうしよう」と青ざめていたりして(笑)。自分たちが一所懸命つくったものに多くの人が関心を寄せてくれると、嬉しくて誇らしくて、たまらなくなっちゃうんですね。
震災から丸9年。熊井さんはこれまでの日々を、「奇跡のよう」と振り返ります。
熊井さん:自分たちも大変な中、私たちがいることを忘れないでくださった方々がいたからここまでやってくることができました。声をかけていただいて、その気持ちに応えたいという一心で頑張ることができたんです。それがなかったら、商品も生まれていないし、ここでも活動できていません。
すれ違って離れていった方もいたし、「もう活動を閉じてしまってもいいんじゃない?」と言われたこともありましたが、それも応援してくださっているからこそだったのかもしれませんし、全部ありがたいことだったな、と思います。本当に、みなさんが私たちを育ててくれたな、と。
利用者さんたちがとっても優しくていい子ばかりなのも大きかったですね。人を批判するようなところが少しもなくて、お互いがお互いを支え合っていて。そうした関係を大事に見守りながら、今後も活動を続けていけたらと思っています。
● 共生型福祉施設 織音
ウェブサイト:https://orionishinomaki.wixsite.com/home
<購入方法>
工房(石巻市中浦1-2-62)やオンラインショップ
(https://kokorosaori.stores.jp/)で購入できるほか、毎年12月には石巻で展示販売会も行っています。
hiyuca✕織音の商品はYahoo!ストアから購入可能です。https://store.shopping.yahoo.co.jp/stayblue/search.html?p=%E3%81%95%E3%82%92%E3%82%8A&used=&uIv=on#CentSrchFilter1
2020.3.3