物語

東日本大震災の津波により、“奇跡の一本松”を残しすべての松が流された高田松原。「『陸前高田はこんなに綺麗なまちだったんだよ』と孫に伝えるために、いつか刺繍をしてみたい」。被災した女性からそんな手紙をもらった刺繍作家の天野寛子さんは、陸前高田のモビリア仮設住宅で生活支援をしていた中西朝子さんと一緒に『みんなのたからもの ししゅう高田松原プロジェクト』を立ち上げました。

「針仕事ができなくて苛立っている」という話を聞いて

天野さんは昭和女子大学の名誉教授であり、刺繍作家です。東日本大震災の3週間後から、被災地の状況を伝える報道記事を布と糸で再現した作品をつくりはじめ、その作品は大きな注目を集めました。

天野さん:記事の一つひとつからものすごいメッセージが浮かび上がってきて、新聞が捨てられなくなってしまったんです。紙面が山のように溜まっていき、どうしようと思いました。そんな落ち着かない気持ちを整理するために、胸を打たれた記事を刺繍で刺していったんです。それがひどく珍しがられて、全国から展示のお声掛けをいただくようになりました。

2011年9月、天野さんは友人からボランティアの誘いを受け、2つ返事で陸前高田に向かいました。震災関連の作品をつくりながら被災地を訪問していないことに、後ろめたさを感じていたからです。そのボランティアは、移動図書館に参加するというものでした。

天野さん:住民のみなさんに移動図書館が来たことをお知らせしてテントに戻ると、たまたま手芸の本を開いている方がいらっしゃいました。「手芸はお好きですか?」と聞いたら、「90歳を超えた義母が針仕事をしたがっているけれど、材料がなく苛立っている」とおっしゃるんです。困りきったご様子だったので、東京に戻ってから端布と自分の刺繍作品画集をお送りしました。

そうしたら、しばらくしてご本人からのお礼状が届いたんです。私の画集に風景を表したものがあったからだと思うのですが、「『陸前高田はこんなに綺麗なまちだったんだよ』と孫に伝えるために、いつか刺繍をしてみたい」と書かれていました。その言葉がすごく心に響いたんです。

一人ひとりが思い描く松の木をつないで、松原をつくる

刺繍で懐かしい風景をつくるお手伝いができないだろうか。そんな構想を描きつつ方法を見出せずにいた天野さんは、2012年に研究の一環で再び陸前高田を訪れます。仕事仲間に連れられて行ったのは、偶然にもボランティアをした際に立ち寄ったモビリア仮設住宅でした。

そこで天野さんは、モビリア仮設住宅を管理する『NPO法人陸前たがだ八起プロジェクト』で職員として働いていた中西朝子さんと出会います。中西さんは当時、仮設住宅の手仕事サークル『陸前高田モビハハ会』の立ち上げを行っているところでした。

『陸前高田モビハハ会』が製作する「およね袋」。

天野さん:手仕事という共通点があったので、アドレスを交換しメールで考えていたことを伝えたのですが、そのときはすぐに何かをやりましょうという話にはならなかったんですね。でも、2013年の春に銀座で個展を開いたとき、中西さんが見に来てくれて、『陸前高田でも展示しましょう』と言ってくださったんです。

2013年8月に出版した『繋ぐーー天野寛子刺繍画集<2> 東日本大震災』(ドメス出版)より。

中西さんもその頃、「住環境の違いや補償の差などによりバラバラになってしまった人たちの心を何とかひとつにできる手段はないだろうか、声をあげられない女性たちが打ち込む得意の手芸で何かできないか」と考えていたといいます。2人は「松を描いた手芸作品を集めて高田松原をつくろう」と企画を練り、『みんなのたからもの ししゅう高田松原プロジェクト』を立ち上げました。

実行委員会のメンバー。後列左から時計回りに中西朝子さん、鈴木理美さん、黄川田美和さん、酒井菜穂子さん。

作品は20cm✕20cmの布に針と糸で刺したものと指定。全国の人からも松をモチーフとした作品を募集しました。

天野さん:その頃読んでいた被災者の方々の「聞き書き」に、よく高田松原が出てきたのです。震災前は7万本の松が連なっていた景勝地で、地域を象徴する場所、暮らしに溶け込んでいた場所だったんですね。私の地元・三重にも、七里御浜という松林があります。海のそばの松林を原風景として持っている人は全国にいて、共感してくれるだろうと思いました。一人ひとりが思い描く松の木をつないで、新しい松原をつくろうと考えたのです。

天野さんが刺した高田松原の風景。

刺繍をすることで、楽しかった記憶を思い出す

作品の募集は2013年9月から開始し、岩手県内各地でワークショップも行いました。実行委員会が事前に広報・会場交渉・材料調達を含む準備、そのほかの調整を行い、天野さんが講師となって刺繍を教え、本人の同意が得られたら完成した作品をタペストリーの一部として提供してもらうという内容です。小学1年生の子どもから86歳の高齢者まで、幅広い年齢層の人が参加しました。

天野さん:みなさん一所懸命に集中して刺していましたが、ぽつりぽつりと「ハマナスが咲いていてね、とっても綺麗だったんだよ」「家族で散歩しているときにカニを見つけてね」「砂浜でうずまき貝を拾ったんだ」と、思い出を話してくださって。帰り際に「楽しいこともあったんだって思い出したよ」と言ってくださった方もいました。

ひと針ひと針刺していくうちに、辛い記憶ばかりが重なってしまった場所に、幸せな記憶があったことことを思い出す。それが言葉になって、会話の糸口になる。癒やし……という言葉で表していいのかわかりませんが、気持ちが整理されていくんですよね。

私自身、震災にまつわる作品をつくる中で、ぐちゃぐちゃだった気持ちが解けて針の目に合わせて整っていく感覚を味わったので、よくわかります。

天野さんと中西さんは、参加者に「完成した作品を手元に置いておきたいと思ったら、無理して提出しなくてもいい」と伝えていました。一枚一枚にかけがえのない物語が詰まっていることを感じたからです。

天野さん:でも、「いまこれだけ集まっています」とタペストリーを見せると、みなさん「私の作品も一緒に飾ってほしい」とおっしゃるんです。自分だけの大切な物語が、みんなの物語の一部になる。そういうことが必要とされていたのかもしれません。

寄せられた作品の中で特に印象的だったもののひとつとして、天野さんは高田松原の中にあった公園で遊ぶ家族の姿を描いた作品を見せてくれました。滑り台のそばのブランコに揺られる女の子。男の子2人は虫取りをしているのでしょうか。帽子をかぶったお母さんが、微笑みながら子どもたちを見守っているように見えます。

天野さん:私と同じくらいの歳の女性が刺した作品で、子どもたちのお母さんが、作者の方の娘さん。津波で亡くなられたそうです。お気持ちを想像すると、涙が出てきてしまいます。

「みんなでつくった高田松原で会いましょう」

作品の募集は2015年末に締め切りました。寄せられた作品の数は741点。3分の1が岩手県内から、3分の2が全国からです。中には海外の学生の作品も。タペストリーにすると、幅31メートルになります。横浜、仙台、京都、長岡、常滑、陸前高田、新宿、世田谷、三島、盛岡、高知など全国十数箇所で展示を行いました。

懐かしい高田松原の風景に涙を流す人、自分の刺繍が大きな作品の一部になったことに感激する人、ひと針ひと針に込められた想いを想像し感じ入る人も多く、展示会場はあたたかな雰囲気で包まれていたといいます。

地元の大工さんが描いた絵を元にした作品。陸前高田で暮らす人にとって馴染み深い光景です。

失われた風景の写真は、あまりにも生々しく迫ってくるから直視するのが辛い。でも、布と糸でちくちくと縫い合わされた心の中の風景は温かみがあり、思い出が優しく想起される。そんな効果があったのかもしれません。

天野さん:最初に「90歳を超えた義母が手持ち無沙汰になって苛立っている」と聞いたとき、「あぁ、私も同じ状況だったらきっとそうなる」と思いました。針仕事が自分の暮らしの一部になってしまった人にとっては、生存条件のようなものなんです。それなしではいられない。食べるものよりも着るものよりも、布と針と糸がほしいと思ってしまう。

ワークショップに参加された方から、「自分で何かをつくろうとすると、『そんなことしなくていいよ』と言われて悲しかったの。だから今日は参加できて嬉しかったよ」と伝えられたことがあります。

ほしいのは、完成したものではなく何かをつくる時間なんですよね。ひと針ひと針を無心に刺すという時間の使い方ができることに、幸せを感じるんです。豊かになるにつれて切り捨てられがちだけど、本当はこういう時間を過ごしたいと感じている人は多いんじゃないでしょうか。プロジェクトに参加してくださった方たちの中に、そんな気持ちを感じました。

『みんなのたからもの ししゅう高田松原プロジェクト』では、今後も要望があれば展示を行っていく予定です。お近くで展示があった際は、ぜひ見にいってみてください。

天野さん:みんなでつくった高田松原でお会いしましょう。お待ちしています。

● みんなのたからもの ししゅう高田松原プロジェクト
フェイスブックページ

<作品展のお知らせ>
(※3/6追記:大変残念なことに、下記の展示は新型肺炎の感染拡大防止のため中止となったとのことです)
2020年3月7日〜15日、盛岡市津南図書館で『みんなのたからもの ししゅう高田松原タペストリー展〜高田松原、想いをつないで。』が開かれます。
会場:盛岡市都南図書館(岩手県盛岡市永井24-90-2) 1階視聴覚室
時間:9:00~18:00(土日は17:00まで) ※月曜休館
入場無料
https://www.facebook.com/1664943290454463/photos/a.1678406912441434/2609725825976200/?type=3&theater

2020.2.18