物語

『いっしープロジェクト』は、東京で働く木村弥生さんが「東北のママたちに自宅でできる仕事を届けたい」と始めたプロジェクトです。内職の時給相場は200〜400円とされる中、時給を1000円に設定。完成品を販売するだけでなく、いっしーにデコレーションを施すワークショップを企画するなどして全国の女性たちの共感を集め、6年間で2500万円ほどの内職代金をママたちに渡してきました。始まりからこれまでの軌跡を教えてもらいましょう。

東北の状況を知って、「ごめんなさい」と思った

木村さんがこのプロジェクトを閃いたのは、2013年9月のことでした。

木村さん:東京オリンピックの開催が決まって、心が浮き立ったんです。「これから日本にたくさん外国人が来るだろうし景気も良くなる、すごい!」って。でも、その後テレビの画面に「27万人」という数字がパッと映し出されたんですね。東日本大震災で被災し、まだ仮設住宅で暮らす人の数でした。

その数字がピンと来なくて検索したら、自分が住む台東区の人口が20万人ほどでした。それほどの数の人が、2年半もの間仮設から出られずにいる。鳥肌が立って、「ごめんなさい」と思いました。そういう状況を知らずにいたことに。

大阪出身の木村さんは、20代前半のときに阪神・淡路大震災を経験しています。その当時何もできなかった反省から、東日本大震災の直後は支援情報の発信や寄付など東京にいながら自分にできることをしていました。

木村さん:阪神のときは瞬く間に街並みが整備され多くの人が仮設から出ていたから、まさか2年半経っても復興が進んでいないなんて思わなくて。「ひとりでもふたりでも仮設住宅から出られるように手助けをしよう」と決意しました。

都会と違い、東北沿岸部には家から通える範囲に働ける場が少なく、その職場も多くが津波で流されています。そこで、木村さんは子育て中の女性を対象に、自宅で働ける内職を提供しようと考えました。

木村さん:内職仕事についてリサーチしたら、子どもが眠った後に朝まで作業して、業者から報酬をもらうときにチャリンと音がするらしいんです。つまり、一晩で1000円に届かないということ。それじゃ余計に将来を悲観してしまいますよね。だから、私は内職代金として時給1000円をお支払いしようと最初に決めました。

時給1000円を実現するためには、ひとつ4000円〜5000円で売れる商品でなければいけません。では、その価格でも売れるものとは? 逆算していき、たどり着いたのがいっしーでした。

木村さん:かわいいキャラクターを生み出そうと考えたんですが、犬・猫・くまのキャラクターは世の中に溢れていて勝負するのが難しいし、そもそも東北にゆかりがありません。その点、馬は東北とのつながりが強いんです。農耕馬を飼っていた農家さんも多いし、仙台には伊達政宗公の愛馬を祀った神社もあります。

そして、馬は豊かさを象徴する動物です。エルメスやゴディバ、フェラーリなどの高級ブランドも馬をシンボルマークとして採用していますよね。「東北のママたちを背中に乗せて、復興に向けて力強く駆け上っていってほしい」という願いを込めて、いっしーをデザインしました。

高級感のある素材を使った華やかないっしー。一体4800円〜5800円です。

50人分の注文を受けてから、つくり手を探しに石巻へ

思い立ったらすぐ行動する木村さんは、自分と母親が持っていた着物を使い、いっしーを試作しました。名前は被災地の中でも特に被害が大きかった宮城県石巻市から取っています。「震災から時間が経っていても売れる」ことを証明するため、50人分の注文を先に受け、2014年2月、つくり手を探しに初めて石巻に降り立ちました。何のアポもツテもなかったけれど、「つくり手が見つかるまでは帰らない」と決めていたといいます。

サンプルとして製作したいっしー。

木村さん:石巻市役所の窓口でいっしーを見せて「これをつくっている人を探しに来ました」と熱く語ったら、職員の方にキョトンとされてしまって。「私ではわからないので別の担当者を呼んできます」というのが続いて、6人目の方に「お気持ちはありがたいけど、行政は個人の方をご紹介することはできません」と、至極当然の説明をされました(笑)。

でも、その方は続けて「市職員としては紹介できないけど、私個人として、知り合いの仮設住宅自治会長を紹介します」と言ってくれたんです。すぐにお電話して、3日後に会いに行くことになりました。

アポが取れたのはいいものの、3日間どうしようか。悩む木村さんに、職員の方は仙台の『東北ろっけんパーク』へ行ったらどうかと提案してくれました。被災者の手仕事を展示販売していた施設です(2016年に閉館)。

展示されていた20団体ほどの商品の中で、木村さんの目に留まったのは、仙台で活動する『手づくりくらぶ Arabesque』の手帳やトートバッグでした。群を抜いて品質が高かったからです。さっそく代表の齋藤志津子さんに会っていっしーの製作を依頼すると、齋藤さんは「気にかけてくださって本当にありがとうございます」と言いながらも、すぐには首を縦に振らなかったといいます。

以前このサイトでも紹介したArabesqueの齋藤さん。

木村さん:震災から3年が経って数々のプロジェクトが終わっていった時期で、「これから新しい商品を出しても売れるとは思えないし、即決はできません」って。私は「時給1000円の内職ならみんなやりたがるに違いない」と思い込んでいたから、意気消沈してしまって。

しかも、東京に残してきた主人から「体調を崩して入院することになった」と電話がかかってきたんです。そのときは本当に、「誰もつくりたがらないもののために家を空けて、私は何をしているんだろう」と落ち込みました。

でも、齋藤さんはそんな私を心配してくれて、「とりあえず、50人分の注文はArabesqueでつくります」と言ってくれたんです。私が事前に注文を取ってきたことを評価してくれたみたい。その後、石巻でも紹介が紹介を呼んでつくり手さんが見つかり、仙台と石巻の2チームで製作が始まりました。

「馬は大切な生き物だから、ちゃんとつくりたい」

いっしーを製作するにあたり、齋藤さんはひとつの条件を出しました。それは、つくり方を1から改めること。

木村さん:私が試作したいっしーを見て「え、本当にこれつくるんですか」って言うから、自信満々で「大丈夫よ、私でもつくれたから」と答えたんですね。そうしたら、「ごめんなさい、そうじゃなくて……こんなめちゃくちゃに縫ったものつくれません」って(笑)。斎藤さんは文化服装学院出身だから、素人の私が縫製の基本を無視してつくったいっしーに驚いたんでしょうね。

それに、齋藤さんのご実家でも馬を飼っていたから、特別な思い入れがあったそうです。サンプルのいっしーはお腹の部分で縫い合わせていたんだけど、「馬は大切な生き物だから、お腹を割くなんて考えられません」と、型紙からつくり直してくれました。

新しいつくり方を齊藤さんが石巻チームに教え、2チームで最初の50体を製作。その間も次々に新しい注文が入る様子を見て、齋藤さんも継続を決め、つくり手のリーダーとなってくれました。マルシェでの販売や雑誌『25ans』への掲載を通していっしーの知名度が上がっていき、SNSにアップする人も現れるように。自分がつくったものが「可愛い!」と喜ばれているのを見て、ママたちの士気も高まったといいます。

木村さん:キャラクターにしてよかったと思います。ただの小物と違って、気持ちが入りますよね。齋藤さんもつくっているうちにいっしーに愛着を抱いてくれたみたいで、「素敵な人にもらわれてねって思いながらつくるんだ」って言っていました。

最初は訪日外国人へ売ることを想定して着物地を使っていましたが、「バッグにつけるなら和柄ではない方がいい」という声も多かったため、途中で普通の生地に変更。また、本体と同じ生地で製作していた耳の部分は、丸みを出すのが大変だったことから齋藤さんの提案により革を使うことに。改良を重ね、少しずついまのいっしーの姿に近づいていきました。

安定して仕事を届けるために

2015年初頭、木村さんはいっしーにデコレーションを施すワークショップを開催しました。東北のママたちが製作した裸のいっしーに、参加者がしっぽ、首輪、鞍、飾りなどをつけて自分好みにカスタマイズするという内容です。これが予想以上に好評だったため、全国へ広げることに。

講師が木村さん一人では広がりに限界があるため、認定講師制度を導入しました。数時間のレッスンを受けて講師に認定されると、自分でワークショップを開催したり、次の講師を育てたりできる仕組みになっています。

木村さん:いっしーのコンセプトに共感してくださる方の輪が広がり、数え切れないほど多くの方が講師になってくれました。全部合わせたら700人ほどになるんじゃないでしょうか。

いっしーのデコレーションは普段私が担当しているんですが、講師のみなさんは裸のいっしーを買ってくださるから、すごく助かっています。思いも寄らない素敵なデコレーションのいっしーがSNSに上がっているのを見るのも楽しくて。

ワークショップの次に仕掛けたのが、有名ブランドとのコラボレーションです。木村さんは子どもの頃から好きだった中原淳一の版権を管理する会社にメールを送信。社長がたまたま雑誌でいっしーを見て覚えていたことからすぐに会うことになり、中原淳一スタイルのお洒落ないっしーが誕生しました。

また、ファッションブランド『レジィーナ・ロマンティコ』からは、ロゴ入りの生地をいっしー用に提供してもらうと共に、いっしーにデコレーションを施すワークショップも開催しました。このワークショップにはゴディバも協賛。チョコレートのお土産つきで、とても盛り上がったそう。復興という文脈で応援してくれる人とは違った層にいっしーを知ってもらう機会になりました。

木村さん:待っていても売上は増えないので、色んな企画を考えて営業しています。つくり手のみなさんの暮らしが掛かっているから、もう必死で(笑)。でも、そのおかげで本業ではできない経験ができたし、たくさんの良いご縁に恵まれました。

制服やネクタイといった思い出の生地をリメイクしていっしーをつくるサービスを始めたり、パスケースや印鑑入れを新たな商品ラインナップに加えたり、企業のノベルティや制服の縫製を受注したり。木村さんはさまざまな方向から、東北のママたちの仕事をつくろうとしています。

制服をリメイクしたいっしー。

本革を使用したいっしーパスケース。

印鑑や口紅、コインを入れられるマルチケース(カフェミナージュ セカンドライン byAtelier Grace)。

ママが笑顔でいることが、子どもの笑顔につながる

仙台と石巻から始まったいっしープロジェクトですが、2015年には気仙沼チームが仲間に加わりました。現在のつくり手の数は、3チーム合わせて20人強。みんな子どもを持つママたちで、シングルマザー率も高いそう。

木村さん:重いPTSDを抱えたお子さんのいる方もいます。3歳のときに震災を経験して、それから一切泣けなくなってしまったそうです。ショックが大きすぎて、感情をうまく解放できなくなってしまったのかもしれません。避難所を回って学校に辿り着いたから、学校に対して怖いイメージがあるようで、いまも校門より先には進めないと聞きました。

齋藤さんの娘さんも、震災のショックからパニック障害を発症し、思い出の詰まった山元町から仙台へ家族で引っ越しました。多感な時期に受けた心の傷は、簡単に癒えるものではないのでしょう。

木村さん:みんなすごくいい子たちでね、いっしーの耳をつくるお手伝いをしてお小遣い貰ってるの。石巻で泊まりの勉強会を開いたときは、子どもたちが旅行に来たみたいにはしゃいでいました。普段遠出することがないから、ちょっとしたことがすごく新鮮で楽しいんでしょうね。子どもの数を数えたら47人もいて、「この子たちのためにも頑張らないと!」と奮起しました。

ワタミの協賛を受け、石巻で開いた勉強会。

そもそも、最初に木村さんがいっしーのつくり手として“子育て中の女性”を想定したのも、「子どもたちの笑顔を増やすことがしたい」という気持ちからでした。

木村さん:子どもを産んで育てることって、一番の社会貢献だと思うんです。私には子どもがいないから、その分ママたちには「ありがとう」と言いたいし、1人でも多くの子どもたちに笑顔になってほしい。そして、子どもはママが嬉しそうにしていると自分も嬉しくなるものでしょう。だから、ママたちの不安を減らすような活動にしようと考えたんです。

子どもをひとりにできず外へ働きに行けないママや、働いているけれど生活が苦しいシングルマザーにとって、家にいながら働けて時給1000円が保証されているいっしーの仕事は大きな助けになっています。パートと掛け持ちしていっしーで月2〜3万円を稼ぐ人が多いそうですが、一時期は月10万円を稼ぐ人もいたといいます。

タグの色とマークで、どのチームの誰がつくったのかがわかるようになっています。これは気仙沼のママのマーク。

木村さん:みんな仮設住宅を出ることができて当初の目的は達成したけど、公営住宅は家賃がかかるから生活は今までよりも大変なんですって。月に1度家族で外食したり、学資保険に回したりと、暮らしを少しだけ豊かにするためにいっしーが役立っているみたいです。

プロジェクトが始まって3年が経った2017年、木村さんにとって印象的なことがありました。齋藤さん親子が、木村さん夫婦に「山元町を案内したい」と言ってくれたのです。

木村さん:家があった場所や通っていた学校を案内してくれました。地面に埋まったお茶碗のかけらを眺めながら、「懐かしいね」なんて穏やかに話していて。その姿がすごく自然だったから、何度か帰って来ていたんだろうなと思ったんです。でも、娘さんにとっては引っ越してから初めての帰郷だったそうで。「無理をさせちゃったかな」と心配したけど、齋藤さんは「あの子にとって節目になったと思う」と言ってくれました。

ずっと自分たちを気にかけてくれる人たちに、生まれ育った故郷を見せたい。そんな気持ちが、ひとつの壁を乗り越えるきっかけになったのかもしれません。

被災した人が被災した人を助けるプロジェクトになった

東日本大震災から、もうすぐ9年。「もう東北は復興しただろう」と思っている人も少なくありません。

木村さん:実際に行ってみると、堤防が建っただけ、仮設住宅を出られただけで、まだまだ終わってないなって思います。あるつくり手さんが、「季節が変わる度に悔しさを感じる」と言っていました。風が冷たくなった頃に、「そろそろ毛布を出そう」と流されてしまった毛布の柄がぱっと頭に浮かんで、「ああ、もうないんだった。お気に入りだったんだけどな」って思うそうです。諦めたつもり、前を向いたつもりでいても、ふとした瞬間に蘇ってしまう。経験した人じゃないとわからないやるせなさがあるんでしょうね。

悲しみを味わった分、人の痛みにも敏感なのでしょう。広島や熊本で災害が起こったときは、つくり手さんからすぐに「何かできないかな」と声が上がったといいます。そこで、一体につきつくり手さんから200円を、いっしープロジェクトから800円を被災地に寄付する“募金つきいっしー”を販売することにしました。それ以来、どこかで災害が起こる度に、募金つきいっしーが登場しています。

台風19号被災地への募金つきいっしー。端材のリアルファーを鬣に使用しています。

木村さん:いっしーを一体つくるのに2時間掛かって、自分のところに入るのが2千円。そこから200円を寄付するのって、ママたちにとっては大変なことのはずなんですよ。誰ひとり生活に余裕のある人はいないから。でも、みんな「震災のときに助けてもらったから」って言うのね。本当にいい人たちが集まっているんです。

いっしープロジェクトは私が勝手に東京で企画して東北に持ち込んだプロジェクトだけど、つくり手さんたちはちゃんと自分のものとして昇華してくれました。生活が大変そうなママに出会うと、「一緒にいっしーをつくらない?」と声をかけてくれるんです。被災した人が被災した人を助けるプロジェクトになったんですね。それがすごく嬉しいんです。

震災から5年目、7年目といったタイミングで、数々の復興プロジェクトが活動を終了していきました。でも、木村さんは「必要としてくれるつくり手さんがいる限りは続けたい」と話します。それは、プロジェクトを始めるときから決めていたことでした。

木村さん:「震災から3年が経ってから始めるんだから、最後のひとりになるまで続けよう」と最初から腹を括っていました。こちらが求める品質についていけないと辞めていったつくり手さんもいるし、齋藤さんとはちょっとしたことで1年に1回くらい大喧嘩するんだけど(笑)、いっしーがつくり手さん家族の暮らしを少しでも豊かにすることに役立っているという確信があるから、やめようと思ったことはありません。

一番大きな夢は、東北に縫製工場をつくること。そして、数十年後に、「いっしープロジェクトって東日本大震災がきっかけでできたらしいね」「そうなんだ、素敵な商品をつくったり、内職を受けたりしている工場だよね」と言われる存在でありたい。だからもし、何かの縫製を頼みたいと思っている方がいたら、ぜひお声かけいただけると嬉しいです。

■ いっしープロジェクト
ホームページ:http://issie.net/
フェイスブック:https://www.facebook.com/issie.project/

【購入方法】
ホームページから購入できます。また、以下のページに取扱店といっしーDECOレッスン認定校の情報が掲載されています。
http://issie.net/?mode=f2

* 2020年3月7日、四回目のレジィーナロマンティコいっしーDECOワークショップが開催されます。詳しくはこちらの投稿をご確認ください。

2020.1.17