物語

三陸沿岸部には、春になると地域の神様に五穀豊穣や大漁を願って歩く「村参り」という風習があります。昔の女性たちは、神様に供えるお米やお餅を入れる巾着袋を手縫いしていました。お米を入れることから、陸前高田では「およね袋」と呼ばれていたといいます。『モビハハ会(モビリア母の会)』のお母さんたちが再現したおよね袋は好評を博し、中尊寺の売店でも販売されるようになりました。

自分でつくったおよね袋を手に、村参りをしよう

地震と津波により全世帯の99.5%が被害に遭い、人口の8%が犠牲となるなど、東北の中でも特に被害が甚大だった陸前高田。広田半島の高台にあり被害を免れたオートキャンプ場モビリアには多数の住民が避難し、夏には仮設住宅が建てられました。一般的な長屋方式の仮設住宅60戸のほか、テントサイトを利用した木造一戸建ての仮設住宅も108戸建てられ、市内最大の仮設住宅団地となりました。

このモビリア仮設住宅自治会をサポートする団体として設立されたのが、『NPO法人陸前たがだ八起プロジェクト(以下、八起プロジェクト)』です。モビリアには市内全域から住民が集まっていたため、新たにコミュニティをつくる必要がありました。また、一戸建て型はプライバシーが確保され住みやすい一方で、ほかの世帯と交流を持ちづらいという課題もあったのです。八起プロジェクトは、住民同士が気軽に集える環境を整え、ボランティアの力を借りてさまざまな企画を実施しました。その充実した内容は、ほかの地区の自治会から羨ましがられるほどだったといいます。

避難住民の中から手を挙げた10人の管理人も、集会所の運営やコミュニティ構築に携わりました。その中の1人が、のちに『モビハハ会』の代表となる藤原和子さんです。

藤原さん:震災から2年が経つとみんな気持ちが落ち着いてきて、「村参りしようか」という話が出ました。このあたりでは、田植え前の忙しくない時期に、お母さんたちが「今年も豊作になりますように」「家族が病気になりませんように」と地域の神社や氏神様をお参りするんです。みんなでおしゃべりしたり、情報交換したりしながら。

神様も、耳が遠くなったときに拝む神様とか、イボ神さまとか、いろんな神様がいるんですよ。昔はお金と一緒にお米やお餅、豆などもお賽銭箱に入れていました。いまは掃除が大変だしネズミが出るといけないからお金だけになったけどね。そのお供え物を入れる巾着が「およね袋」。昔の人は余り生地で手づくりして、お互いに贈り合っていたみたいですね。

このおよね袋と同じ形で、一升分のお米が入るサイズのものもあったそう。神様への奉納用ではなく、ご近所さんにお祝い事があったときにお米を贈るために使われていました。

話は「せっかく村参りをするなら、手づくりしたおよね袋を持っていこう」と発展し、藤原さんが講師となってつくり方を教えました。以前、お姑さんが大事に仕舞っていたおよね袋を発見した藤原さんは、実物を見ながら自分でもつくっていたそうです。およね袋のつくり方は、布1〜2枚でつくれる普通の巾着とは少し異なります。

表地・裏地共に、長方形に切った4枚の布を+の形に縫い合わせます。

裏返すとこうなっています。神様へのお供え物を入れる袋なので、裏地はサラシと決めています。

更に縫い進め、表地と裏地を重ねて底を留めます。

端の生地を中に折り込み、細紐で閉じていきます。

細紐に太紐を絡めます。

できあがり。昔のおよね袋の表地は何枚もの端切れをつないでいたそうですが、モビハハ会では模様の異なる2枚の布を合わせています。

村参りの後もおよね袋づくりは続き、完成したものは周囲の人に配りました。メンバーの佐藤美保子さんと熊谷眞美子さんは、当時のことをこう振り返ります。

佐藤さん:角をきちっと合わせるのが難しくてね、最初は苦心しました。余ってしまったり足りなくなったり。みんなで一緒につくったからできたようなものですね。でも、おばあちゃんたちから「津波で流してしまったからほしいなぁ」なんて言われると、「おーし縫ってやっぺ」と思ってね。

熊谷さん:それまでは縫製なんかしたことなかったし、何回間違ったかわからないけど、つくっている間は余計なこと考えなくても済むのがよかったんです。ちくちく針仕事するのは楽しいし、できあがると嬉しいし。昔の人は丁寧に暮らしていたんだなぁと思いますね。

数をつくるうちに周囲の人から勧められ、産直市やみやぎ生協のカタログを通して販売するように。「お金を出して買ってもらうものだから」と、それまで以上に丁寧に、細部までこだわってつくるようになったそうです。布選びや色合わせは、当時八起プロジェクトで職員をしていた中西朝子さんが担当してくれました。

およね袋は縁起物。「買ってくれた方にたくさんのご縁がありますように」と、リボンを結んだ5円玉を中に入れて販売しています。「パッケージには5円玉のことは書いていないので、開けてみて驚くかもしれませんね」と藤原さん。粋な心遣いです。

藤原さん:しばらくして、中尊寺の売店でも扱ってもらうようになったんです。お坊さんがね、毎月11日に箱根山(陸前高田市小友町)のお地蔵さんのところに拝みに来てくれているんですよ。震災後からずっと休まず。私も姪っ子を亡くしているから拝ませてもらっています。それで、「こういうのをつくってるんですが、売れないでしょうか」と相談したら、「いいですよ」って。最初は売れ行きもよくて、「売店で一番人気ですよ」なんて言われました。

生地や紐の組み合わせは多様で、同じものはひとつもありません。

また、陶芸を通して被災地支援を行う愛知県常滑市の女流陶芸家グループ『さくらっ娘隊』の方々とも親しくなり、マイカップやおちょこを入れるためのおよね袋も製作しました。陶器が割れないよう、ウールの生地を使い間に綿も入れたそうです。名古屋の松坂屋で開かれたさくらっ娘隊の作品展などさまざまなところで販売され、好評を博したといいます。

さくらっ娘隊が製作した根付をつけたおよね袋。

売上は個人に分配せず、みんなでおいしいものを食べに行くために使ったそう。藤原さんたちは、モビリアの暮らしを「楽しかったなぁ」「楽しかったねぇ」と懐かしそうに語り合います。

およね袋は片手で包めるサイズ。近所に出かけるときにハンカチや小銭を入れたり、化粧ポーチにしたりと、使い方はその人次第。

およね袋づくりで生まれた縁は続いていく

最初は10人で活動していたモビハハ会ですが、自宅の修理や再建、仕事の再開に伴い、少しずつメンバーは減っていきました。現在のメンバーは、藤原和子さん、佐藤美保子さん、熊谷眞美子さん、村上順子さん、中西朝子さんの5人です。全員がモビリアで知り合った人同士です。

左から藤原さん、佐藤さん。熊谷さん。この日、村上さんはお休みでした。

藤原さん:朝子さんは東京に戻ったけど、ずっと布の裁断や色合わせを担ってくれているんですよ。最初はボランティアとしてサポートしてもらっていて、いまでも支えてもらっていることには変わりありませんが、もう仲間のようなものですね。

ほかの4人もモビリアを出ましたが、およね袋づくりを続けています。佐藤さんが足を悪くして外出が難しくなったため、最近はずっと佐藤さんの家に集まっているそう。

佐藤さん:車が数台停まっているのを見て、近所の人たちが「いいなぁ、また誰か遊びに来てる」って言うんですよ。中々外に行けないから、こうしてみんなから話を聞くのが楽しみなんです。

熊谷さん:せっかく知り合えたし、こうして集まるのが楽しいから、やめようとは思いませんでした。半分以上がお茶会ですしね。

左から2番目が村上さん。写真は中西さん撮影。

モビリアでの生活やおよね袋づくりを通して、5人のつながりは確かなものになりました。今後もこの集まりは続けていくそうです。ただ、ばね指などで手が思うように動かなくなってきたため、およね袋づくりは終了する方向で考えているとのこと。陸前高田の豊かな民俗文化、手仕事文化を物語るおよね袋。手に入らなくなるかもしれないので、興味がある方はぜひ、いまのうちに。

● モビハハ会
ホームページなし

<購入方法>
・ 平泉・中尊寺の売店と、箱根山にある『気仙大工左官伝承館』にて販売しています。
・ みやぎ生協の「とうほくてしごとカタログ FUCCO」を通して購入できます。
https://www.miyagi.coop/support/shien/handmade/

2019.5.16