物語

三陸鉄道リアス線三陸駅。駅構内には、コーヒーや軽食が楽しめるカフェスペースと、地元物産品を展示販売するコーナーがあります。ここに毎週集まりお茶っこをしているのが、『千寿の会(ちじゅのかい)』のメンバー3人です。ボランティアによる復興支援プロジェクトとして始まった活動ですが、ものづくりはお母さんたちにとっていつしか暮らしの一部となりました。

「ありがとう」を言われる側に

千寿の会を立ち上げたのは、東京に住む主婦の岐部典子さんと、大阪で働く会社員の藤本恵美子さんです。2人は物資支援のボランティアを通して出会いました。

上列一番左が藤本さん、その隣が岐部さん。ほかは縫い子さんたちです。

岐部さん:震災後、自分にできることって何だろうって考えたんです。私は普通の主婦なので、髪を切ったりマッサージをしたりといった専門性のあるボランティアはできません。でも、大船渡の『さんさんの会』という団体が必要なものをリストアップし提供を呼びかけているのを見て、「これなら私でもできるかも」と思ったんです。子どもが4人いる分、知り合いはたくさんいます。知っている限りの人にメールをして、物資を家に持ってきてもらいました。

物資は予想を超えて集まり、ダンボール100箱分になりました。通常の配送方法では送料が15万円ほどになってしまいます。頭を抱えた岐部さんでしたが、運良く1万円で物資を届けてくれるトラック運転手と出会い、2011年5月に第1回の送付を実施。7月には自身も現地へ赴き、それから月に1度のペースで通うようになりました。その中で出会った大船渡市赤崎地区公民館・漁村センターの吉田忠雄館長の姿勢に、岐部さんは心を動かされたといいます。

岐部さん:吉田館長は阪神大震災後、「大船渡で大地震が起こったら必ず大津波が来る」と考え、対策を練っていました。避難訓練にはお年寄りにも参加してもらえるよう、子どもに声かけをお願いするなど工夫していて、出席率もすごく高かったんですって。それが功を奏して、東日本大震災での赤崎地区の人的被害は最小限に食い止められました。

仮設住宅では副自治会長になり、自治会長と一緒に条件の良くない部屋を自ら選んで入居したと聞きます。部屋にこもりがちになる人が増えたときは、長椅子を置きお茶できるスペースをつくって、全戸にゴーヤとトマトを一苗ずつ配って。野菜を育てていたら水を上げるために外に出るし、ご近所さんとも会話が生まれるでしょう。いつも地域のことを第一に考えて行動されている方なんです。

そんな吉田館長が、「ものをつくって売れるといいな、何かを生み出すのは楽しいことだから」と言っていて、「それなら」と思いました。

岐部さんと藤本さんも、物資を渡すときに相手から「ごめんね、ありがとう」と言われることを気に病んでいました。津波で何もかも失った人に、これ以上頭を下げてほしくない。「ありがとう」と言う立場ではなく、言われる立場になってもらうことが必要なんじゃないか。ものづくりなら、それができるかもしれないーー。

東京に戻り周囲に相談すると、文化服装学院から中古ミシンを40台寄付してもらえることに。全国から糸や布も寄付されてきました。これらは赤崎町の仮設住宅のほか、さんさんの会を通じて必要とする人の元へ届けられました。その結果、大船渡北部、赤崎町、山田町と、3つの地域でものづくりグループが誕生。活動を総称し、東北ミシンプロジェクト・千寿の会と呼ぶことにしました。

岐部さん:ミシンを送った翌月に赤崎の仮設住宅に行ったら、おばあちゃんたちが待ち構えていて、嬉しそうに「こんなものつくったよ」と見せてくれたんです。その後も布を持っていく度にわっと集まってきてくれたんですが、ボランティアで来ていた大学生たちがその様子を見て驚いていました。「外部の人がレクリエーションを提供してくれるときは人が集まらないのに」って。

震災から半年以上経ち、被災した人たちの心は、誰かが提供してくれるものを受け取るよりも、自分たちで価値あるものをつくりだすことに向いていました。目の前の人たちの気持ちをちゃんと考えていたからこそ、岐部さんたちはその変化に気づけたのでしょう。

椿の里から、椿柄のポーチやバッグを

作品が完成しても、売れなければ縫い賃を出すことはできません。どんなものなら売れるだろうと考え、思いついたのが幼稚園グッズでした。そこには、4人の子どもを持つ岐部さんの経験が反映されています。

岐部さん:子どもが幼稚園に入ると、いろいろなものを手づくりする必要が出てきます。1人目はいいんですけど、2人目3人目になると、上の子を見ながらつくらなくちゃいけないから大変で。誰かがつくってくれるなら助かる、というお母さんは必ずいると思いました。

幼稚園で使うスモックやエプロン、ランチマットに雑巾。自分がつくったものが子どもたちに使われると聞き、縫い子さんたちもやる気満々で縫ってくれたといいます。

岐部さん:ただ、赤崎のおばあちゃんたちは縫製も素人だし、布の選び方や柄の合わせ方も、独創的というか何というか……。最初の頃はそれでも買ってもらえましたが、長く続けるにはこれじゃいけないと思い、縫い方見本を渡したり、カラーコーディネートの講習会を開いたりしました。

途中からは、「お金を払って買っていただくんだから、きっちり縫わないと」とお伝えして、縫い方が粗いものや、売れないものは心を鬼にして返すようにしたんです。だからと言ってすぐに改善されたわけではありませんし、本当に少しずつでしたが、上達していってくれました。

カラーコーディネート講習の様子。

一方、最初から高い品質の製品を仕上げてくれたのが大船渡北部のグループです。メンバー3人中、坂本さんと新沼さんは縫製会社出身。及川さんも趣味で縫製をしていました。震災後働くところが無かったため、「仮設でぼうっとしているよりも自分のためになるし、人の役に立つのなら」という想いで引き受けたそうです。確かな腕で活動を支えてくれました。

左から新沼悦子さん、坂本久美子さん、及川孝子さん。坂本さんが2人を誘いグループができました。

売れ行きをみながら、鍋つかみやクッションカバー、バレエ用トゥシューズ入れなど、幼稚園グッズ以外のものも製作するようになりました。

中でも良く売れたのは「つながるポーチ」です。大船渡北部グループは、見た目の美しさを考え、ポーチ本体とポケット部分の柄がつながるように縫製してくれました。縫製部分はバイアステープでくるむなど、細かなところまで丁寧につくられています。

柄が綺麗に揃っているため、ポケットがあることに気づかない人もいるそう。

また、地域の特色を出そうと開発した椿柄のポーチやバッグも人気となり、千寿の会を象徴するアイテムとなりました。市内至るところにヤブツバキの花が咲き乱れ、「椿の里」とも呼ばれる大船渡。縫い子のみなさんも、椿には愛着を持っています。

ポーチはひとつ1000〜3000円と価格も手頃です。

商品はオンラインショップのほか、岐部さんが関東で、藤本さんが関西で開かれるイベントに出店し販売していましたが、2015年には期間限定で東京・武蔵小山駅前に千寿の会のお店がオープンしました。再開発工事が始まるまでの4か月間だけという条件で、大家さんが空き店舗を貸してくれたのです。

岐部さん:期間中に、TV番組の収録で加山雄三さんがお店に来てくれたんですよ。ポーチも複数個買ってくれました。翌日は商品が無くなるくらい人が押し寄せて。芸能人の力ってすごいですね。

4か月間だけ営業した千寿の会のお店。

毎日新聞のフリースペースで販売したり、日刊スポーツの読者プレゼントに採用されたり、人のつながりが元で海外にも商品が渡ったり、奈良の人気かき氷店からかき氷柄のポーチ製作を依頼されたり……。活動を始めたときには思いもよらなかった展開が生まれたといいます。

奈良のかき氷店『おちゃのこ』『ほうせき箱』に納品しているかき氷ポーチ。

このつながりは一生続く

2011年から代表・副代表として千寿の会を支えてきた岐部さんと藤本さんですが、2016年に運営を現地の縫い子さんたちに引き継ぎました。

岐部さん:ずっとボランティアを応援してくれていた母から、亡くなるときに「そろそろ自分の家のことをちゃんとしなさい」と言われたんです。ほぼ毎月大船渡へ通って、度々イベントで販売して、夜遅くまで事務処理をして……という生活を長年続けていましたが、子どもも受験生になったし、確かに家庭のことを考えなくちゃ、と思いました。ちょうど藤本さんも管理職になり今までのように時間が取れなくなっていたので、縫い子さんたちに相談したんです。

「もうボランティアの助けがなくてもやっていけるはず」。そんな確信の通り、縫い子さんたちも笑って送り出してくれたそう。引き継ぎのときはしんみりするかと思いきや、「これからどんな風に販売していこう」と、新会社を設立するかのようなワクワク感が漂っていたといいます。大船渡北部のグループが新しい千寿の会となり、赤崎のグループは『ミシンの会』と名を変え、新たなスタートを切りました。

新・千寿の会の3人は、岐部さん・藤本さんにサポートしてもらっていた5年間のことを「本当にお世話になった」と振り返ります。

新沼さん: 5年で基盤つくってもらったから、本当に感謝してます。大変だったと思うけど、2人ともちっとも言わないのでね。せめてものお礼に、こっち来るときはご馳走するし、山菜とかウニとか、季節のもの送ったりしてるんですよ。

三陸駅構内にも販売コーナーがあります。

2016年以降は、不慣れながらも自分たちでフェイスブックを更新し、初めてイベントに出店・販売しました。最初は内陸部にも売りに行ったけれどあまり振るわず、地元では知人友人の協力でよく売れ「こういうものを縫ってくれる?」と注文も入ったため、いまでは年に3回大船渡のイベントで販売しています。

フェイスブックを通じて釜石に住むパタンナーの方からも縫製の依頼が入るようになり、この秋には新・千寿の会が見本を縫ったパターンの本が出る予定です。「何でもやってみるといい話が来るもんだね」「でも、縫いを気に入ってもらえたから次につながるんだと思うの。そこは自信を持って、頑張りたいね」と、3人は笑いながら話します。

バッグや服も、3000円〜という安価で販売しています。

坂本さん:これなら歳を取ってからも続けられるし、楽しみをつくってもらったな、と思います。週1回のこのミーティングも楽しいし、風が吹こうと雨が降ろうと集まってますよ。

坂本さんたちは赤崎にも時々行き、おばあちゃんたちとお茶をしたりつくったものを見せ合ったりしているそう。ミシンの会では毎週木曜日に集まって縫い、完成したものは神戸大学の学生たちが年に数回開催している赤崎復興市で販売しています。岐部さん・藤本さんも第一線からは退いたものの、時間があるときはイベントに出店するなど、できる範囲で協力を続けています。

岐部さん:昨秋、赤崎の最後のひとりが自宅を再建しました。活動を始めるときに「全員が仮設住宅を出るまでは続けよう」と決めたんですが、みなさん仮設を出た後も集まって手仕事をしています。生きがいの種を植えることができたのかな、と考えると嬉しいです。

大したことはしていないけど、ただの主婦でもできることはあるんだな、と思います。いろんな人が助けてくれて、商品を買ってくれた人が気に入って応援してくれて、全国、海外にも届きました。

数年経ったら子どもたちが巣立つので、もし必要としてもらえたら、また色んなところに販売に行きたいな、と思っています。大船渡は第二の故郷になったし、このつながりはたぶん一生続きますから。

● 千寿の会
HP:https://ameblo.jp/minnade12/
フェイスブック:https://www.facebook.com/chijunokai/

<購入方法>
・千寿の会
三陸駅のほか、年に3回リアスホール、サンリアショッピングセンターで開かれるイベントで販売しています。

・ミシンの会
年に数回開かれる「赤崎復興市」にて販売しています

2019.5.14