物語

震災という大きな悲しみを経験しても、自然の厳しさを受け入れながら共に生きる。そんな南三陸の人々の力強さに惹かれ、東京から移住してきた中村未來さん。耕作放棄地を耕して藍草を育て、素材もつくり手も南三陸のものづくりを始めました。
町の人たちが心地よく暮らせるように
南三陸町の奥地、田束山の麓に広がる払川集落。山々に囲まれ、昔ながらの風景を残した美しい地域です。集落と言っても、戸数は十数軒ほど。そのうちの一軒の庭先には、秋晴れの空のように爽やかな色の手ぬぐいが干されていました。藍監査室の工房です。
出迎えてくれたのは、未來さんとお母さんの雪子さん。今年3月に生まれた六花ちゃんを交互に背負いながら、刈り取ってきたばかりの藍の生葉を選別したり、葉をミキサーにかけて染色液をつくったりと、テキパキと働いていました。
藍染めには生葉染め、乾燥葉染め、すくも染めという方法がありますが、藍監査室が採用しているのは前二者。夏の間は生葉で、それ以外の季節は乾燥葉で染めています。すくも染めのような濃紺にはなりませんが、淡く優しい浅葱色(あさぎいろ)や縹色(はなだいろ)に染めることができます。藍草を育てるところから染めて製品にするところまで一貫して行っている工房は、全国でもそう多くありません。
未來さんが初めて南三陸を訪れたのは2011年の夏。気仙沼で畑や田んぼからガラスの破片などを取り除くボランティアをする中で、「夏祭りがあるから」と案内されて南三陸にやってきました。
未來さん:そこで地元の人と接して、あんなに大変なことがあったのに前を向いて生きる力強さに惹かれたんです。メディアで流れていた瓦礫だらけの光景は、とても人が住めるとは思えないようなものでした。それに、津波を経験した人は、その場所にいるだけでトラウマが蘇って苦しいんじゃないかな、去りたくなるんじゃないかな、と想像していたんです。
でも、この町の人たちは自然の厳しさを受け入れながら、この町で暮らそうとしていました。建築の仕事をしていてまちづくりやコミュニティづくりに関心があったこともあって、自分の気持ちの矢印がこっちに向いたんです。町の人たちがここで心地よく暮らす後押しができたらと思いました。
縁あって南三陸町観光協会の復興応援隊として働けることになり、仕事を辞めて2012年10月に移住。最初は物件がなかったので栗原から通い、数回の引越しを経て2016年に念願の南三陸町民になりました。
耕作放棄地を再生するため、藍を育てることに
復興応援隊として、民泊の推進などの業務を行っていた未來さん。町内を巡りさまざまな人に話を聞く中で、町の本質的な課題が見えてきました。確かに震災が町に与えた被害は深刻なものでしたが、震災前から人口減少や少子高齢化により、学校が統廃合されたり空き家や耕作放棄地が増加したりと、さまざまな問題が進行していたのです。
この町が好きだから、未来もずっと続いてほしい。そのために、自分に何ができるだろう。未來さんは手始めに、仲間数人と耕作放棄地を再生する活動をはじめました。最初はとりあえずと思い野菜を育ててみましたが、農家なら町内にもいるし、同じ作物を育てても仕方がありません。そこで、町内で誰も育てていない藍に目をつけました。
藍はかつて全国で育てられていましたが、安価なインド藍や便利な化学染料・合成染料に押され、藍を育てる人は激減しました。しかし、この数年は藍染めが再び見直されはじめ、需要に供給が追いつかない状況も生じているそう。
南三陸の入谷地区は養蚕で栄えた歴史があり、いまも繭細工をつくっている人たちがいます。歌津地区には震災後『さとうみファーム』という羊牧場ができ、羊毛も生産しています。南三陸で生産された絹や羊毛を、南三陸の藍で染めてブランド化したい。そんな未来を描いて、『南三陸藍監査室』はスタートしました。
未來さん:藍草の栽培や藍染めは、本を読んだり徳島の藍畑を訪問したり、さまざまな実験をしてデータを取ったりしながら独学で身に付けていきました。空気の触れさせ方でムラができるんですが、それをいかに綺麗に染めるか日々研究しています。雪、朝顔、竹、花畑と自分たちで模様も考えました。藍染め製品って年配の方向けのデザインが多いので、若い人でも使いたくなるような見せ方、売り方を意識しているところです。
南三陸の魅力を伝える宿をつくる
南三陸で暮らす内に、未來さんには新たな夢ができました。それは、空き家を自分で直しながら住んで、南三陸町を訪れる人をもてなすことです。
未來さん:どうすればこの町の魅力を効果的に伝えられるだろう、と考えて、宿をつくろうという結論に至りました。私自身旅行が好きで全国あちこち巡ったんですが、石川県の能登にご夫婦が運営する小さな宿がとても心に残っていて。豪華ではないけれど心を込めてつくられたことがわかるお料理が出てくる、あたたかな宿なんです。
あんな宿があれば南三陸のことを好きになってもらえるんじゃないかな、南三陸の素材を使ったインテリアで、南三陸の海の幸や山の幸を使った料理でお迎えして、南三陸の美しい風景や暮らしをお伝えできれば、と思いました。
空き家を探す中で出合ったのが、現在の工房がある払川集落でした。澄んだ清流が流れ、サァー、と心地よい川音が常に聴こえてくる場所。未來さんはこの場所に来て、自然に優しく包み込まれるような、何も言わなくても許してくれるような、特別な空気感を感じたといいます。
未來さん:実は、南三陸町に来る前は中々休みの取れない環境で働いていて、心身共に疲れていたんです。都会のペースは私には早すぎると感じていて……。生きる意味や、自分が納得できる仕事と暮らしの関係を模索していたところでした。
それでこの町にきたときに、自然を人間の都合の良いように改良するのではなく、厳しさを受け入れながら共に暮らす姿勢や、暮らしと仕事の境目が曖昧でいきいきと働く姿に魅了されたんです。
漁師さんだけどものづくりもしていたり、農家さんだけど山を持って木を伐っていたり。仕事はひとつだけじゃなくてもいいし、報酬は現金じゃなくて物々交換でもいい。地元の人は仕方なくそうしている部分もあるのかもしれないけど、私がやりたいのはこういう暮らしを得ることだ、と気づきました。
払川なら、かつての自分と同じように、社会のスピードや都会の刺激に疲れてしまった人、暮らしや仕事に違和感を感じている人を優しく癒すような、「ほかの選択肢もあるよ」と提示できるような宿がつくれるかもしれない。空き家の修復にはかなり苦労しそうだと感じましたが、この環境はお金で買うことはできないと、払川に宿をつくることを決めました。自分自身で図面を引いて、地元の大工さんに相談しながら修復を進めているところです。
自然を相手にする仕事の大変さと喜び
復興応援隊の任期3年を終えた後、観光協会の正規職員になるという道もありましたが、藍や宿のプロジェクトがあったため、未來さんは退職して会社を設立しました。社名は『でんでんむしカンパニー』。現在はパートも含めて5人を雇用しています。
生後半年の赤ちゃんを抱えながらの会社経営は大変そうに見えますが、未來さんの後に移住してきたご両親が手伝ってくれたり、同世代のママ友と交代で子どもを預けあったりと、周囲のサポートを受け楽しみながら取り組んでいるのだとか。払川集落には子どもや若者がいないので、地元のおばちゃんたちも六花ちゃんを可愛がってくれているそうです。
未來さん:子どもが生まれたことで、身につけるものも安心できる素材を選びたいと思うようになりました。自分で染めることができるというのは、この仕事の喜びのひとつですね。ゆくゆくは、子育て中のお母さんたちに在宅でものづくりをお願いしたりして、いろんな働き方ができる職場にすることが目標です。
軽トラを運転して畑に行って藍を刈り取って、工房の隣を流れる川で藍染めした布を洗って色を引き締めて。雨の日はできない作業もあるので、晴れの日は忙しくなります。今年は藍草の成長が遅くて「一袋分位しか取れないんじゃないか」とヒヤヒヤさせられました。でも、お盆を過ぎてから一気に茂り、過去最高と言えるほどいい葉が取れたのだそう。未來さんは、自然を相手にする大変さと喜び、両方を目一杯感じながら働いています。
未來さん:宿は2019年秋に完成予定で、リネンやシーツを藍で染めたり、藍草を使ったお茶や料理を出したりしようと思っています。希望する人がいたら藍染め体験もしてもらいたいな。宿がオープンして落ち着いたら、藍監査室の活動も本格化する予定です。無農薬で育てているから食の展開にも力を入れたいし、色んな人とコラボしていきたい。生産量が増えれば、その分多くの耕作放棄地を活用できますから。
今年は「さとうみファーム」さんとのコラボも実現したし、地元の福祉作業所さんとも何か一緒にできないか話しています。体を使う仕事なので体力的にはきついけど、今後の広がりにわくわくする気持ち、高揚する気持ちのほうが上回っています。藍を通していろんな人たちとのつながりができていくことが嬉しいし、未来が楽しみだなと感じることがいっぱいあるんです。それがすごく、幸せだなと思いますね。
■ 南三陸藍監査室
FACEBOOK:https://www.facebook.com/AI.kansashitu/
購入方法:南三陸町内の『みなみな屋』『NEWS STAND SATAKE』『むすびや』で販売しています。また、工房(南三陸町歌津字払川76)では通年藍染め体験を受け入れています。料金は手ぬぐい1,500円〜。事前にメールでお問い合わせください。
メール:dendenmushi.co★gmail.com(★を@に変えてご連絡ください)
2018.9.13