物語

東北マニュファクチュール・ストーリーは2012年から、震災後に東北で生まれたものづくりを取材してきました。これまでに訪問した現場は80以上。どの現場でも、製品の裏にかけがえのない物語があることを知りました。その物語は、現在進行形で綴られているものばかりです。

以前話を聞いた団体は、いまどんな風に変わっているでしょうか。私たちは、取材後に変化があった団体を再度訪れ、「その後」として記事にまとめていくことにしました。今回は、『南三陸ミシン工房』のその後をお届けします。

念願の工房が建ち、ミナ・ペルホネンの小物縫製を請け負うように

南三陸町の北部に位置する歌津地区。BRT歌津駅を通り県道236号線を山側に向かって車を走らせると、田園風景の中に木造の工房が2つ現れました。車を降りて、手前の工房へ。中では、お母さんたちがてきぱきと商品の検品や仕分け作業を行っていました。

『南三陸ミシン工房』は、被災したお母さんたちがミシンを仕事や生きがいにするため、全国のボランティアの力を借りて立ち上げた工房です。2013年には、ボランティアスタッフとして東京から通っていた熊谷安利さんを代表としてNPO法人化しました。

東北マニュファクチュール・ストーリーが南三陸ミシン工房を取材したのは、法人化して間もない2013年7月のこと。当時はまだ建物がない状態で、町の複合施設を借りて作業していました。震災から時間が経ち活動を休止した団体も多い中で、こんなに立派な工房を建てて活動を続けているなんて……と感慨深い気持ちに。でも、どうして2つも?

熊谷さん:1棟目は、アースミュージック&エコロジーなどのブランドを持つ株式会社ストライプインターナショナルさんが、南三陸ミシン工房設立のために店頭募金を集めてくださったんです。2013年の暮れに竣工しました。

工房が完成してすぐ、ビームス創造研究所とヤフー復興デパートメントが共に企画運営する『KENDAMA TOHOKUプロジェクト』から仕事の相談が舞い込んだそう。海外のストリートカルチャーから再流行したけん玉を軸にした復興支援プロジェクトで、南三陸ミシン工房は人気ブランド『ミナ・ペルホネン』デザインのけん玉袋をつくることになりました。

納品すると、その仕上がりの美しさに感心したデザイナーの皆川明さんはミシン工房を訪問。縫い子のお母さんたちが工業用ミシンを慣れた手つきで使いこなす様子を見て「この人たちになら任せられる」と、熊谷さんに「ミナ・ペルホネンの小物縫製を継続的に請け負ってくれないか」と相談しました。

熊谷さん:南三陸ミシン工房のデザイン周りを担当してくれたデザイナーの吉田裕美さんが、ミナ・ペルホネンは憧れのブランドだと言っていました。クリエイターが憧れるブランドから継続してお仕事が貰えるなんて……と、それまでの努力が認められたように感じました。

南三陸ミシン工房が製作したミナ・ペルホネンの製品

熊谷さん:ただ、皆川さんからはもうひとつ提案があったんです。それは、「一緒に仕事をしていくにあたって、専用の工房を建てさせてほしい」というものでした。とてもありがたいご提案ですが、既に一棟あるし、維持費もかかるので周囲からは大反対されてしまって。

でも、もしもこの先ミシン工房のオリジナル商品が売れなくなっても、ミナの仕事を請け負っていれば、お母さんたちはミシンで食べていけます。建築は中村好文さんが担当してくださるというし、この工房が南三陸に建つことは南三陸にとってもミシン工房にとっても将来必ずプラスになると思い、ご提案に乗ることにしました。

2つめの工房は2015年12月に竣工。外装に描かれた、ワカメと糸巻き、空に向かって羽ばたく鳥のイラストは皆川さん直筆です。竣工式の挨拶のとき、熊谷さんは「ここまでやってきてよかった」と感極まり、ぼろぼろと泣いてしまったといいます。

労働形態は、メンバーの状況に合わせて

設立以来、南三陸ミシン工房のお母さんたちは自宅で作業し、週に1度集まって検品や梱包を行ってきました。しかし、工房が建ちミナの仕事が定期的に入るようになったため、縫い子さんのうち3名は週に3日工房に通ってもらうことに。これに合わせて、労働形態も出来高制の内職からパート雇用となりました。2013年にお話を伺った高橋かつ子さんもパート組で、リーダーとして縫い子さんたちを束ねています。

かつ子さん:オリジナル商品をつくるときは、熊谷さんや買ってくれた方から「こういうものをつくってほしい」と言われて、形や細部のデザインを考えるんです。あんまり難しくするとみんなが縫えないし、かと言って簡単にしすぎるとどこにでもある商品になっちゃう。そこが難しいですね。

でも、7年経ってみんなすごく技術が向上しましたよ。そのときそのときで最善を尽くしてきたつもりだけど、いま数年前の商品を見ると「このときはこれで良いと思ってたんだぁ」って顔を覆いたくなっちゃう。けどそれって、それだけ上達したってことですよね。人によって仕事の速い遅いはあるけど、品質に差はなくなってきたかな。買ってくれた人からのハガキには全部目を通してるけど、「縫製が綺麗」「ミシン工房の仕上がりは間違いない」と書かれていることが多くて、品質に関する批判はいただいたことがありません。「被災者の仕事だから」と遠慮されているかもしれないし、お世辞かもしれないけど、それでも自信になってますね。

お母さんたちの半数はかつて縫製工場に勤務していたためプロ意識が高く、熊谷さんが「これでいいのでは?」と思う品質でもやり直しをするそう。だからこそ、有名ブランドからの信頼も得られたのでしょう。初心者のお母さんも、ベテランのお母さんにコツを教えてもらいながら腕を上げてきました。

パート雇用となった人がいる一方で、毎週工房に通うことが難しく、これまで通り内職を続けている人もいます。同じく2013年にお話を伺った畠山つた子さんもそのひとりです。

つた子さん:私は夫と一緒に漁業やってるから。牡蠣の時期になると、毎日朝4時から夕方の5時までは船の上なんですよ。でも、震災前に比べると漁業の規模は小さくなったから、家で空いた時間にできる仕事があるのはありがたいです。それに私、じっと座ってるのが嫌なんですよ。常に動いていたいんです。夫も応援してくれていて、ハンコ押しとか手伝ってくれています。「一緒に海やってるんだから、こっちも手伝ってよ」って(笑)。

ほかの仕事や家事、お孫さんの面倒を見る合間に仕事したい人は内職として、ものづくりが好きな人、しっかり稼ぎたい人はパートとして。それぞれの状況やニーズに合わせた働き方ができるので、お母さんたちは助かっているそうです。

取材当日は、普段は家で仕事をしている人も工房に来てくれました。全員が集合するのは久々だそう。おそばを茹でてみんなで食べ、撮影時はノリノリでポーズを決めてくれました。お互いを笑わせあい、お母さんたちは元気いっぱいです。

かつ子さん:こんな工房ほかにないよね。うちではみんな黙々と作業してるから、こうして集まったときくらい笑わないと。すましてたって仕方ないしね。

SMAP、ふなっしーのファンに応援されて

一般的に縫製の下請けは低賃金となりがちですが、ミナ・ペルホネンの仕事は条件がかなり良かったそう。しかし、ものづくり工房の経営は縫い子のお母さんたちにとっても熊谷さんにとっても初めての経験です。ミシン工房オリジナル商品が売れなくなるにつれて経営は悪化し、2017年初頭はかなり厳しい状態になってしまいました。その窮地を救ってくれたのは、SMAPのファンだったといいます。

熊谷さん:テレビ番組「SMAP×SMAP」内で毎週震災義援金のお願いをしていたことをファンの方々が引き継ぎ、毎週月曜夜にツイッターで復興支援の呼びかけをしてくださっているんです。そのうちのひとりが南三陸ミシン工房の商品を紹介してくれたことをきっかけに、全国のSMAPファンが集中的に買ってくださるようになって。積み上がっていた在庫がすぐになくなり、生産が追いつかないほどでした。赤字を一気に解消できたんです。

本当に、SMAPファンのみなさんには感謝しています。それに、これだけたくさんの方々を駆り立てるあの5人は本当にすごいなと、改めて感じました。まさに国民的アイドルですね。

ファンの方からの「SMAPを象徴する星柄の商品をつくってほしい」という声を受け、「喜んでくれる人がいるなら」と、星柄の商品やタグも製作しました

過去には、ふなっしーのファンにも助けられたそう。ふなっしーも復興支援に積極的で、2013年からグッズの製作を依頼してくれているのです。「ふなっしーを通じて全国の人に南三陸ミシン工房の存在を知ってもらえました」と感慨深そうに話す熊谷さん。いまでもその縁は続いているといいます。たくさんのファンを持つ人や存在が、その影響力を自分たちのためではなく災害のあった地域のために使う。心を寄せつづける。それがどれだけ復興を後押ししているか、もしかすると本人たちも気づいていないかもしれません。

未曾有の災害を乗り越えて

この数年間、東京から毎週通っていた熊谷さんですが、昨年、息子さんが高校を卒業したのを機に南三陸に移り住みました。「瓦礫撤去のボランティアとして被災地入りした自分が工房の代表になるなんて、震災直後は考えもしなかった」と振り返ります。

熊谷さん:本当は、ものづくり工房の経営なんて、僕みたいな素人がやるべきじゃないんですよ。お母さんたちにも、仕事を依頼してくれた人にも、たくさんご迷惑をおかけしました。でも、素人だからこそ怖いもの知らずで挑戦できたし、いろんな人が「危なっかしいな」と手助けしてくれたのかもしれません。

そうそうたる企業や団体からさまざまな支援を受けてきたため、周囲から「一体どうやって営業したの?」と不思議がられるそうですが、自分たちから声をかけたことはないのだとか。SNSで発信していただけで、必要な人が必要なタイミングで手を差し出してくれたといいます。経験や知識の不足が、逆にさまざまな人が関わる余地を生み出したのかもしれません。

熊谷さん:いまでも商品にはお母さんたちの似顔絵ハンコを押したタグをつけていて、購入してくれた方からよくお手紙が届きます。辛い想いをしている方から「励まされた」という声をいただくこともすごく多いんです。僕らが思っている以上にエネルギーのこもった製品なのかもしれませんね。

経営が安定したら、お母さんたちと直接交流できるワークショップや、南三陸の魅力を紹介するツアーも開催したいと考えています。いつどこで何が起きるかわからない時代ですが、未曾有の大災害を乗り越えて、こんなに明るく元気に活動しているお母さんたちがいることを知ったら、勇気づけられる人はきっといるはずです。元気になりすぎて困っているくらいですから(笑)。工房を通じて、南三陸と全国の人をつなげていけたらと思っています。

■南三陸ミシン工房
HP:http://www.mishinkoubou.org/
オンラインショップ:https://shopping.geocities.jp/mishinkoubou/
購入方法:上記オンラインショップからご購入ください。南三陸さんさん商店街、南三陸観光協会みなみな屋では実物を見ることができます。また、工房で直接購入することも可能です。スタッフがいない場合もあるので、事前にお電話(0226-29-6528)にてお問い合わせください。
2013年訪問時の記事:http://www.tohoku-manufacture.jp/story/011_story_first.html

2018.9.14