物語

福島第一原発から20km圏内に位置する南相馬市小高区。原発事故により避難指示が出されましたが、2012年には日中のみ立ち入りできるようになり、2016年7月、再び人が暮らせるまちになりました。そんな小高で産声をあげたのが「MIMORONE」です。小高で育ったお蚕さまからつむいだ絹糸を、小高で育った草木で染める。つくり手の島抜里美さんと久米静香さんは、手間も時間もかかるものづくりにあえて取り組む理由を、「大事なものを次の世代につなげていきたいから」と話してくれました。
お蚕さまは、穢れを次の世代に渡さない
サワサワ、サワサワ……。蚕小屋に入ると、小川のせせらぎのような、霧雨が優しく降り注ぐような音が聴こえてきました。4千頭のお蚕さまが桑の葉を食む音です。
久米さん:本当は私、虫嫌いなんですよ。でも、お蚕さまのことは世話する内に可愛くなっちゃったの。この子たちはね、すごくシンプルに生きてるんですよ。自分が行く場所があるから行く、できることがあるからやる。人も同じで、求められている場所でできることをするのが心地いいんじゃないかな。私はいまお蚕さまに求められているから(笑)。毎日せっせと桑を刈って朝夕にあげて、愛情込めて育ててます。
蚕守りの魅力をいきいきと語る久米さんですが、養蚕に取り組むようになったのはこの数年のこと。原発事故後、久米さんは家族で福島市に避難しましたが、いつか小高に戻るためにできることしようと、2013年4月に主婦仲間2人と共に「NPO法人浮船の里」を立ち上げました。
少し話が飛びますが、相馬藩の農村復興に尽力した二宮尊徳は、復興の鍵は村民の自発性や意欲を引き出すことにあると考え、農民同士の話し合いの場を大事にしました。二宮はこの話し合いの場のことを芋こじと呼んでいます。桶の中に里芋と水を入れかき混ぜると、芋同士はぶつかり合い、お互いの泥を落として磨かれていくからです。支援者の方からこの話を教えてもらった久米さんたちは、小高の復興について語り合う場として、月に1度「芋こじ会」を開くようになりました。

写真提供:浮船の里
久米さん:最初は原発事故に対する恨みや今後の生活の不安を吐き出すばかりだったけど、4か月位経つとみんな飽きてきたのね。ようやく、「何かしようよ」と前向きな意見が出るようになりました。でも、食べ物はだめでしょ。作っても売れないし、食べさせる孫もいない。それで、養蚕だったらもしかしたら放射能が出ないんじゃないかという話になったんです。
まずは500頭を小高の桑の葉で育てて検査をしたところ、フンからは放射能が検出されましたが、蛹からは検出されませんでした。お蚕さまは穢れを体内に溜め込まないし、次の世代に渡さない。自分たちもお蚕さまのように、次の世代に胸を張れる活動をしよう。こうして小高でお蚕さまを育て、絹織物をつくるプロジェクトが始まりました。
このとき、ひとつ決めたことがあります。それは、機械を使わず全て手作業で行うこと。最先端の科学技術によって故郷を失ってしまったから、原点に戻り、自分たちの手を動かして、自分たちの手に負える範囲のことをやっていこうと考えたのです。
神様が見守る場所に響く音、みもろね
お蚕さまを育てるにあたり、久米さんたちが指導を仰いだのが養蚕農家の佐藤公一さん、よし子さんご夫婦です。小高はかつて養蚕と絹織物で栄えましたが、時代の移り変わりと共に養蚕農家は激減し、震災前には数えるほどになっていました。追い打ちをかけたのが原発事故です。一年の間は日中も立ち入りできず、ほとんどの農家が養蚕を辞め、小高の桑畑は荒れていました。そうした中、佐藤さんご夫婦だけは桑畑を綺麗に手入れしていたのです。
佐藤さん:養蚕を再開しようという考えはなかったけど、自分たちの土地を荒らしておくのも嫌だから、手入れだけはしていたんです。そのうちに、久米さんから畑を借りたいと声をかけられて、どうぞって。
代々蚕守りをしていて、多いときでは8万頭を育てていたという佐藤さんご夫婦。初心者の久米さんたちに1から養蚕のことを教えてくれました。特によし子さんは、「美しい繭をつくってください」と、毎日のように様子を見にきてくれたといいます。
養蚕と並行して、織りや糸づくりも学んでいきました。浮船の里のメンバーにとって、すべての工程が初めての体験です。あちこち出かけていき、たくさんの人に協力してもらいながら、一つひとつ覚えていきました。島抜さんが仲間入りしたのは2014年の秋のこと。ちょうど、糸づくりを始める頃でした。
島抜さん:糸づくりは、群馬県富岡市で養蚕と織りを行う「繭織工房」の金田さんご夫婦に教えていただきました。繭を煮て、糸を巻き取って、撚りをかけて、草木で染めて。それまで絹の生糸なんて触ったことがなかったから、素直に「独特の輝きがあって綺麗だな」と感動したし、「もっと見たい、もっと知りたい」と思いました。学べることが、すごく嬉しかったんです。

写真提供:木田修作
小高で育ったお蚕さまの絹糸だから、小高の草木で染めたい。身近に生えている山法師にネムノキ、よもぎに茜、梅の木に桑の木。ときには散歩しながら拾い集め、ときには近所の方から譲り受け、ときには種を蒔いて育てました。これまでに試した色は80色以上にのぼります。
完成した糸は「MIMORONE」と名づけました。「みもろ」は「神様が見守る場所」、「ね」は「音」。お蚕さまが桑の葉を食む音に、風が草花を揺らす音。小高の四季折々の風景をうつしとった糸、という意味が込められています。

写真提供:木田修作
小高100%の絹糸を使った小さなものづくり
2017年初冬、MIMORONEのオンラインショップがオープンしました。最初の商品は、木の玉を芯にして絹糸を巻き付けた可憐なイヤリングとピアス。品の良い光沢を帯びて耳元で揺れ、小粒でも存在感があります。

写真提供:木田修作
久米さん:里美ちゃんが勉強してくれたおかげで糸を紡いで染めるところまではできるようになったけど、ストールなど大きなものを織って販売するまでには数年かかります。糸づくりも織りも、もっと練習しないといけないから。その間何もしないのはもったいないな、と思っていたときに、新しくふみえさんという女性が仲間入りして、巻玉のアクセサリーを提案してくれました。里美ちゃんのときもそうだったんだけど、いつも必要な時期に必要な人が登場してくれるんですよね。
オンラインショップには、季節の草木で染めた商品数種類を掲載しています。数種類に絞っているのは、四季の移ろいを感じてほしいから。また、少人数で運営しているので、無理せず続けていくためです。
最近では、ピアスやイヤリングを製作するときに残った糸端を使った、細やかな織ボタンのハットピンやバレッタも登場しました。気持ちを込めてつくった糸だから、どんなに短い糸端も無駄にしたくない。島抜さんはいつも、どうすれば絹糸の魅力を生かした商品をつくれるか考えているそうです。
島抜さん:草木染なので時間の経過と共に色が変化していきます。糸も人と一緒に歳をとっていくんです。それが本当で、ずっと色褪せないほうが変なんだと思うようになりました。そういうことをわかってくれる人、変化を楽しめる人に使ってもらえたら、と思っています。
原発事故を経験したからこそ、価値のあることを
MIMORONEが完成する前、久米さんたちは市販の糸を使って機織りを練習していました。すると、周囲から「せっかく織ったなら売ろう」「売るからもっと織って」と言われるように。それは親切心から出たアドバイスだったと思いますが、久米さんは葛藤を覚えたといいます。
久米さん:買った糸でさをり織りしたコースターなんて、ここじゃなくても、私じゃなくてもつくれるでしょう。そういうものに「被災地」という冠をつけて売ることが恥ずかしくて、でも断れなくて、泣く泣く織ってたの。買う人だって「可哀想だから」という気持ちで買うだろうし、そういうものはきっと大事にされないだろうと思いました。自分のつくっているものに自信が持てなくて、すごく苦しかった。それでもう、無理して人の期待に応えようとするのはやめることにしたんです。そうしたら、すごく楽になって。いまは、自分の人生だから、自分が納得できることだけやろう、と考えています。
島抜さん:本物に触れるまでは、既製品の糸でさをり織りするのも悪くないと思っていたんです。でも、手紡ぎの糸や、手織りの反物に触れたら、全く違うということがわかりました。本物が教えてくれたんです。私たちだって価値のあることをしてるじゃないか、お蚕さまを育てて、小高の素材だけを使った糸をつくるという、誰もやったことのないことに挑戦してるじゃないか、と。
本来、お蚕さまの糸には柔らかなウェーブがかかっています。繭から糸を繰るときに機械で引っ張ると消えてしまいますが、手で引くと揺らぎが残り、その糸で織った絹織物には独特の表情が出るといいます。島抜さんと久米さんは、そうしたことを一つひとつ学び、妥協することなく追求していきました。いまは、自分たちの取り組みに自信を持っているといいます。
島抜さん:あとは技術面ですね。そこはまだまだ。その道数十年の方から見たら笑われてしまいます。糸づくりも織りも奥が深くて、納得のいく反物をつくるにはあと10年はかかるかな。
主人から聞いたのですが、ものをつくることって、人をつくることなんだそうです。人が技術を手にして、それを高めることで初めていいものが生まれる。下手な時期しか出せない味わいもあるからいまも大事にしつつ、遠い先を見据えて一歩一歩技術を高めていきたいです。
お蚕さまを育てて絹織物を織るところまで、全てを自分たちの手で行っている団体は、そう多くありません。正確な数はわかりませんが、全国でも100に満たないでしょう。ひとつの反物が完成するまでにかかる時間は一年ほど。機械に頼らないものづくりは、時間も手間も途方もなくかかります。それでも取り組むのは、なぜなのでしょうか。
久米さん:震災と原発事故は、被災地に色んな事態を巻き起こしました。支援されることに慣れて一人で立てなくなってしまったり、メディアに「すごい人」と持ち上げられて家族や友人と溝ができてしまったり。特に原発被災地は、みんなが賠償金を手にしたでしょう。それによって、「お金は働いて稼ぐもの」という意識を失ってしまった人もいました。平常心を保つことがすごく難しい状況だったんですね。私もNPOを立ち上げてすぐの頃はメディアに次々取り上げられて、感覚がおかしくなっていたと思います。そんな中で、お蚕さまに向き合ってると余計な力が抜けていくのを感じました。お蚕さまは何も言わないし、綺麗な糸を生み出してくれるし。私にはこういうことが必要だったんだと思います。

写真提供:浮船の里
MIMORONEの活動も、「経済的に余裕があるからできること」と見られることがあるそう。「正直言ってその通り」と、あっけらかんと笑う久米さん。その笑顔の裏で、「幸か不幸か受け取ることになったお金を、いまの状況を、どう活用すれば自分を見失わずにいられるだろう。価値のある活動につなげられるだろう」と考えつづけてきたことが窺えました。

写真提供:木田修作
島抜さん:傍目には遊んでいるように見えるかもしれないけど、心を込めているし、何ていうのかな、真面目に、真剣に取り組んでいます。経済的価値だけを追求することで失ったものって多いと思うんです。お金にならないからとやめてしまったこと、効率が良いからと進めてきたこと。その結果として原発事故が起こって、故郷を失って、家族や友人との絆を失って、心を失って。本末転倒ですよね。だからせめて、本当の豊かさってこういうことだよね、と思うものを形にして、次の世代につないでいけたらと思っています。
何でも簡単につくられて消費されていく世の中だけど、本当に価値のあるものを生み出すのは時間がかかるから、焦らず少しずつ。かたつむりのようにゆっくりかもしれないけど、着実に。自分たちが大事にしたいことを、大事にできるように。大事にしてもらえるように。
おふたりの話を聞いて、MIMORONEのアクセサリーは小さいけれど、そこにはたくさんの物語と想いがぎっしり詰まっていると感じました。自然の生み出す糸や色の美しさ、手でものをつくる喜び、本当の豊かさとは何なのかということ。優しい手触りの細い絹糸は、「あなたの大事にしたいことは何ですか?」と無言のうちに語りかけてくるような気がします。

写真提供:木田修作
■ MIMORONE
HP: http://mimorone.jp/
オンラインストア:https://mimorone.thebase.in/
購入方法:オンラインストアからご購入ください。
2018.6.26