物語

「色々あったけどね、結局はいまの形が一番良かったと思うよ」。経木製品に囲まれた復興公営住宅の一室で、穏やかな笑みを浮かべるクチバシカジカ工房代表の渡部正行さん。工房の設立からこれまでの軌跡を話してくれました。

経木の技術や文化を残すために

渡部さん:地震があった日はね、姪っ子が結婚相手を連れてうちに挨拶に来てたの。最初は6mの津波ということだったから、「ここまでは来ないだろうな」と思ってたんだけど、一応すぐ近くの高台まで行ったんですよ。外洋も内湾も一望できるところ。外洋は200m底が見えていて、これはまずいと思ってもっと高いところに逃げたのさ。

命は無事だったものの、家は流され生活は一変しました。避難所暮らしの後に仮設住宅に移り、自治会長を務めることに。新しい仕事を見つけなければという気持ちはありましたが、中々うまくいかずに困っていたそう。そこに現れたのが、当時筑波大学の院生だった宮田宣也さんでした。

震災の一週間後に南三陸に入り継続して復興支援活動を行ってきた宮田さんは、被災者が持続的な収入源を得られる機会をつくることが必要だと考えていました。目をつけたのは、津波によって塩害を受け、立ち枯れの状態になっていた数十本の杉の木です。この塩害杉を活用して仕事がつくれないだろうか——? 国産木材の推進を図る『KIZARAプロジェクト』のメンバーと相談したところ、経木をつくるという案が出たといいます。

経木とは、0.15mmから0.25mmまで薄く削った木材のこと。お経を写したり、食品を包んだりする用途に使われてきました。経木をつくる技術は日本独自のもので、室町時代から脈々と受け継がれてきましたが、現在その火は消えかかっています。発泡スチロールなどの包装資材に代替され、生産量は全盛期の60分の1へと激減。経木をつくることができる職人も製造所も、数えるほどしか残っていません。

行き場をなくした塩害杉を活用しながら、経木の技術や文化も次の世代に残していく。宮田さんたちから企画を聞いた渡部さんは大いに興味を引かれたそうです。

渡部さん:若い頃に肉屋を営んでいたから、経木の良さは知っていたんさ。それに、働き口がないなら自分でつくるほかないからね。

こうして、2012年にプロジェクトが始動。屋号は「クチバシカジカ工房」と定めました。クチバシカジカは志津川湾に生息する海水魚です。震災後一年ほど姿を消しましたが、海底の瓦礫撤去が進み養殖業が復活すると再び見られるようになり、復興のシンボルとして愛されていたのです。しかし、クチバシカジカ工房の道程は、決して平坦なものではありませんでした。

塩害杉は使えず、工房は建設中止に

ボランティアさんから群馬県桐生市にある佐藤経木を紹介してもらった渡部さんは、泊まり込みで修業し経木の製造技術を学びました。機械は、高齢のため引退された静岡県の経木職人から譲り受け、南三陸町まで移送することに。移送コストや機械のメンテナンス、工房の建設費用などを賄うため、初めてのクラウドファンディングに挑戦。多くの人の共感を得て、100万円以上が集まりました。ところが……。

渡部さん:知り合いの製材店から、「塩害杉に手を出すのはやめておけ」と言われたんです。「杉は塩分を吸い上げる。製材しているときは気にならないけど、一晩経つとノコは錆だらけ。道具も機械もダメにしてしまうから、やらないほうがいい」と。それでどうしようかと悩んでいるうちに、塩害杉を放置しておくと危ないからと全部伐られてしまったんですよ。

塩害杉の活用はできなくなりましたが、普通の木々を活用することも南三陸の林業振興につながります。気持ちを入れ替えて取り組もうとしましたが、今度は工房の建設にストップがかかりました。騒音などさまざまな問題から、その土地では工房を営むことができなくなってしまったのです。

渡部さん:電気もひっぱってきて、四トントラック一台分の生コンを流して、半分くらい建設が進んでいたんですよ。その時点でかなりお金を使ってしまっていて、また1から工房を建てる余裕はなくてね。そりゃあ悔しかった。でも、できないものは仕方ないっちゃ。応援してくれた人の想いを無駄にはしたくなかったから、宮田くんたちに経木を製造する意欲のある人を探してもらい、機械を譲りました。そして、クチバシカジカ工房では、経木を仕入れて加工だけすることになったんです。

さまざまな波乱の末に、当初の計画とは違った形で運営していくことになったクチバシカジカ工房。しかし、渡部さんは「これでよかった」と意外な言葉を漏らします。どういうことでしょうか。

渡部さん:妻がね、寝たきりになっちゃったの。震災のときに家が流されたりするのを見たショックからか、急にバタバタバターっと体調が悪くなってしまって。多系統萎縮症という難病で、24時間介護が必要なんです。工房が建っていたとしても中々行けず、維持できなかったと思う。だから、家でできるこの仕事はすごくありがたいんですよ。これがなかったら、どうなっていたことか。

工房が建設できなくなるなど一見すると不運に思えた出来事の数々も、後から振り返ってみるとと最善の巡り合わせだったのですね。

ボランティアさんへの恩は、返しきれない

現在クチバシカジカ工房では、経木を使いさまざまな製品をつくっています。一番の人気商品はメモ帳。『KIZARAプロジェクト』からデザインを提供してもらい、クチバシカジカ工房のロゴマークをつけました。優しい手触りで、ひとつとして同じ木目はありません。

渡部さん:10人中8人が「もったいなくて使えない」って言うの。一枚一円位だから遠慮せず使ってほしいんだけどね。文字を書くだけじゃなくて、お客さんが来たときにお菓子を出す皿代わりに使ってもいい。高級感が出るでしょう? 天ぷらの下に敷いたり、おにぎりを包んだり。吸水性や殺菌性に優れているから、食材との相性はいいんですよ。

こちらは経木を通して温かな光が広がる行灯。購入した人が組み立てて完成させる製作キットとして販売しています。工具がなくても組み立てられるように工夫したそう。経木シートは2枚ついてくるので、その日の気分で表面の柄を変えられます。写真は、ボランティアさんが送ってくれた押し花をあしらったもの。数量限定です。

ポストカードやメッセージカード、しおりも数百種類揃っています。障害を持つ詩人の国頭弘司さんの詩と絵、南三陸で捕れる魚のイラスト、渡部さんが大好きなクラシックカーの写真。さまざまなものを経木に印刷しています。

また、自社製品を販売するだけでなく、名刺の印刷やノベルティグッズの製作も請け負っています。ほのかに木の香りがする名刺は人気で、よく頼まれるそう。

渡部さん:ものづくりは難しいね。最初はボランティアさんが支援で買ってくれたけど、もうそんな時期じゃない。経木を使って何がつくれるか、いつも考えてるんですよ。大きさも限られるし、高価な道具や大きな機械は導入できないから大変なんです。経木にこだわらなければ色々できるけど、それじゃ意味がない。いまはあんまり暮らしの中に木がないでしょう。経木の製品を通して、木の良さ、温もりを知ってほしい。ほかの素材にはない癒しがあるからね。それをわかってもらえたら最高だなぁ。

家を離れられず、自分でイベントに出店したり販売先を開拓したりできない渡部さんに替わって、ボランティアで南三陸にやってきた人たちがさまざまな経路で販売してくれるそう。ウェブサイトを開設してくれたのも、フェイスブックの使い方を教えてくれたのも、取引について教えてくれたのもボランティアさんだといいます。

渡部さん:教えられ教えられようやく覚えていったんですよ。いまでもボランティアに来てくれる人はいてね、必ず感謝状を渡してるのさ。久しぶりに来た人はうちに泊まってもらってね。遠いところだと、北海道とか沖縄から通ってきてくれるんですよ。

嫌なことや辛いこともあったけど、ボランティアさんたちが本当に良くしてくれるから励みになりました。お世話になりっぱなし、いつ恩を返せるんだか。それこそ返す頃には死んでしまうんじゃないかな。色んな人に応援されていまがあるから、細く長く、ちょこちょことでも続けていきたいね。

取材中、何度もお世話になった人たちの名前を挙げて感謝していた渡部さん。震災から7年が経っても渡部さんに会いに来る人が絶えないのは、この誠実であたたかい人柄のおかげだろうと思いました。

クチバシカジカ工房の製品は渡部さんご夫婦が暮らす復興住宅でも買うことができます。南三陸に行く機会があれば、ぜひ訪ねてみてください。

■ クチバシカジカ工房
HP:https://kuchibashikajika.jimdo.com/
住所:宮城県本吉郡南三陸町志津川字天王山38-7 町営志津川復興住宅J棟(※工房を訪問する際は事前にご連絡ください)
電話:0226-29-6423
メール:wh180163-1818アットマークtbz.t-com.ne.jp

★ 製品は、南三陸町ポータルセンターやさんさん商店街内「NEWS STAND SATAKE」などの取扱店舗のほか、ファックスや注文フォームを通して販売しています。詳しくはホームページをご覧ください。

2018.4.4