つくり手インタビュー

はまなすの会につくり手として参加している祝田佐智子さん、淳子さん。おふたりは大槌で営んでいたカフェを津波に流され、現在は花巻で暮らしています。手仕事を始めた理由、引っ越した後も続けている理由を伺いました。

半分は仕事、半分は趣味

おふたりと待ち合わせたのは、盛岡駅から車で10分ほどの場所にある『南昌荘』。盛岡市の保護建造物に指定されている明治時代の邸宅です。しっとりとした和の情緒があるこの場所に、はまなすの会の手仕事作品と、力強い書道作品が飾られていました。

この日開催されていたのは、はまなすの会による『いろどりいわての手仕事展』と、書道家・支部蘭蹊氏による『書・ことばの知・加・楽(ちから)展』。両者とも、震災直後から現在まで、さまざまな形で東北を応援してきました。

建物のレトロな雰囲気に、手でつくられた作品がよく合っています。ひとつひとつ作品を眺めていると、祝田さん姉妹が到着しました。

——おふたりはどんなきっかけで活動に参加するようになったんですか?

淳子さん:被災してから少しして、友の会のみなさんが支援に来られたんです。最初はお茶をしながらちょっとした小物類をつくっていました。そのうちに「これを仕事にしたい方を募ります」と言われて、講習会に参加したんです。仮設住宅で何もすることがなかったし、縫い賃もくださるということで、「ああよかった」って。お年寄りから若い人まで集会所に月1回集まって、楽しみながら縫っていました。

——もともと縫製はお得意だったんですか?

淳子さん:母が服を手づくりしてくれていて、私も自分の分を縫っていたんです。社会人になってからは購入していましたが、震災があってから一日を過ごすことがすごく苦痛で。いいひまつぶしになると思い、再開しました。半分仕事で、半分趣味のようなものですね。

佐智子さん:私は不得意なんですよ、ミシンがうまく使えなくて。そうしたら、佐藤尚子先生が私でもつくれるものを考えてくださったんです。ミシンを使わずにつくれる小さなもの、端材を使ったどんぐりのキーホルダーとか、ポーチとか。それで続けることができました。

——製作されているものがどれもすばらしくて驚きました。検品など、厳しいのではないでしょうか。

佐智子さん:でも、商品を売るって、そういうことですよね。それは重々承知しています。完成したときは「よくできた」と思ったりもしますが、展示会などでプロの作品を見ると、「まだまだだな」と痛感します。だから、色々な展示会に行って、目を養っているんです。それに、佐藤さんたちが都会的なセンスや息吹を届けてくれるから。

淳子さん:裂き織りと帆布を組み合わせると上品ですっとした見た目になるんだな、とか、布をどう有効活用するかとか、とても勉強になるんですよ。

——現在は花巻に引っ越されたそうですね。

佐智子さん:私たちが住んでいた地域は防波堤になるそうです。母は花巻に引っ越すというし、ひとりにはできないから、私たちも一緒に、と。

しばらくは一ヶ月に一度、大槌の講習会に参加していました。大槌は小さな町ですが、それでも町民全員と知り合いというわけではありません。でも、講習会に参加するようになって、たくさんの人と親しくなれました。

ただ、震災から6年ですから、当時60歳だった方もいまは66歳です。高齢で目が見えにくくなったり、家族のお世話をするようになったり、ほかの地域に引っ越されたり、いろいろな変化がありました。現在は大槌のメンバーが少なくなってしまったので、私たちも盛岡に通っています。

淳子さん: 盛岡にもたくさんの知り合いができました。私たちは友の会には入っていませんが、楽しそうな集まりのときには参加させてもらっているんです。やっぱり、大事なのは人とのつながりですね。

佐智子さん:ボランティアの方々というのは本当にすごいなと思います。時間が経っても、ずっと通ってきてくださっているんですから。いつまでもお世話になっていていいのかな、なんて気持ちもあります。

だからその分、商品の売れ行きがいいと聞くと嬉しいんです。全国の人に見られるんだ、手にとってもらえるんだと思うと、がんばらないとって。もっと勉強して、いいものをつくっていきたいです。

■ はまなすの会
https://moritomokai.jimdo.com/支援活動/はまなすの会/

2017.10.26