物語

釜石の漁家に生まれた佐々木勇人さんは、震災後に瓦礫の集積所で光るものを見つけます。それは、ガラスでできたビン玉でした。津波に翻弄されてあちこちぶつかっても割れずに残った姿に感銘を受けた佐々木さんは、浮き玉を象ったお守りのストラップを製作し、支援してくれた人にお礼として贈ることに。ストラップはたちまち評判となり、地元のお母さんたちの小さな手仕事へと発展しました。
沈まない、割れないお守り
佐々木さんが『MINIビン玉ストラップ』をつくりはじめたのは、2011年の夏。きっかけとなったのは、三重県の運送会社の方々との交流でした。
佐々木さん:毎月10トントラック2台3台で物資を運んできてくれていたんです。顔を合わせるうちに、何かお返しがしたいなと思うようになりました。でも、まだ店も開いていないし買えるものもない。ただ、届けてもらった物資の中に、ちょうどビー玉と細い糸があって。これでビン玉に似せたストラップをつくったら釜石らしくていいんじゃないかと閃きました。
ビン玉とは、漁網を浮かせるために使うガラス製の浮き玉のこと。現在はプラスチック製のものが大半ですが、昭和50年代まではガラス製のものが主流でした。佐々木さんが子どもの頃、水平線にはビン玉が浮かび、きらきらと光を放っていたといいます。
佐々木さん:震災後、瓦礫集積所で偶然ビン玉を見つけたんです。割れずに残っていることに驚きました。津波に流されてあちこちぶつかったり、重機で集められて落とされたりしたのに無事だったのはすごいなと。興味を持って調べてみると、南のほうで使われていたビン玉に比べて、三陸では編み目を細かく編んでいたことがわかりました。こっちは海が荒れるから、何かがぶつかっても中のガラスが割れないように気を配っていたんですね。
津波にさらわれても壊れることなく残った縁起の良いビン玉を模したお守りをつくったら喜ばれるんじゃないか。試しにつくってボランティアさんたちにプレゼントすると、「家族や友人にほしいと言われたからもっとつくってくれないか」「これは商売にしたほうがいいよ」と大好評。毎日20〜30個製作しても追いつかないほどたくさんの注文が入りました。
昼間は別の仕事を持っていた佐々木さんは大忙しで、毎晩1時に寝て5時に起きるような状態に。「これはひとりでは無理だ」と、仮設住宅のお母さんたちに手伝ってもらうことにしました。
編み目の数は37個、穴の直径は7ミリ以下
講習会には40〜50人のお母さんが参加しました。ストラップを見せると、「わぁ、かわいい」「つくってみたい」とお母さんたちの表情はぱっと明るくなったそう。しかし、細かな作業のため、ほとんどの人が完成できずに脱落。一週間かけて辛抱強く教え、ようやく12人がつくれるようになりました。
佐々木さん:編み目の数は37個、穴の直径は7ミリ以下と決めてつくっています。そうすると見た目も綺麗に仕上がるし、どの面を下に置いてもビー玉が直接床に触れないんです。編んだ糸に守られているから割れません。
そういう想いを込めたお守りなので、検品は厳しくしました。一か所でも穴が大きいとつくり直しです。お母さんたちから「えっ、これでダメなの」と泣きつかれることもありましたが、「持つ人の願いを外に逃がさないためのお守りだから、ちゃんとつくってほしい」と説明して納得してもらいました。
長く使っても糸が切れたりしないように強度のある樹脂糸を使用。ビー玉も気泡の入ったものを取り寄せて使っています。
佐々木さん:「中に空気が入ってないと浮かないよな、沈み玉だよな」と思って調べたところ、ビー玉を製造する工場が日本で唯一、宮崎県にあるとわかったんです。問い合わせの電話をしたら、「釜石って大槌の隣ですよね」って言われて。「なんで宮崎の人が釜石や大槌のことを知ってるんだろ」とびっくりしたんですが、その人はたまたま大槌の知り合いを津波で亡くされていて。「何か支援がしたいと思ってた」「ぜひ協力させてください」と言ってくれました。

強度を保てる限界まで気泡を入れたビー玉
最初はひとつ製作するのに一時間半かかっていたお母さんたちも、練習するうちに15分で仕上げられるようになりました。でも、慣れてくると全体のバランスや細部の美しさが気になりはじめてまた時間がかかるようになるのだとか。一度糸の太さを変えたときは、見た目にはわからない微細な差のはずなのに、「糸の太さか長さ変わった?」と気づかれたそう。「職人さんだなぁ、と感心しました」と、佐々木さんは嬉しそうに目を細めながら話してくれました。
「釜石に帰ってくるなら、人の3倍やらないと許さない」
『MINIビン玉ストラップ』はひとつ800円。売れた段階ではなく、製作した段階でお母さんたちに工賃を払う仕組みです。利益は次の材料を買うために使っているため、佐々木さんのところにはほとんど残りません。むしろ、大口の注文があったときのために在庫を多くストックしているため持ち出しの状態です。なぜそこまでするのでしょうか。
佐々木さん:幼なじみに言われたんです。「釜石に戻ってくるなら、人の3倍努力しないと許さないからな」って。
震災当時、佐々木さんは盛岡で車やボイラーの整備士をしていました。震災によって実家は流されたものの家族は無事で、しばらくは盛岡と釜石を往復する日々を送ります。しかし、環境のギャップや周囲の震災に対する温度差から、次第に盛岡にいることが耐えられなくなっていったといいます。
佐々木さん:盛岡に帰ると、あたたかいごはんにあたたかいお風呂が待っています。「家族を地獄みたいな場所に置いてきて、俺は何やってるんだろう」と罪悪感に苛まれました。それに、津波が家や車を飲み込む映像を見て、周囲の人が映画でも観るかのように「うわすっげぇ」と言ってることに違和感があって。こっちは実際の状況を目の当たりにしていたから。
家族が地獄にいるなら、自分も一緒にそこにいたい。こんなときだからこそ、そばにいて親孝行したい。しかし、周囲からは「仕事はどうするんだ」「どこに住むんだ」と大反対を受けました。特に、幼なじみからは「帰ってきてくれるのはすげえ嬉しいけど、友達だから正直に言うな。迷惑だ」とはっきり言われたといいます。
「俺は子ども4人抱えて家と仕事無くして、毎日職安に行ってる。ひとつの求人を数十人で奪い合う。自分と同じように仕事を探して列をつくる奴ら見て、正直“こいつら釜石から出ていけばいいのに”って思うんだよ。お前が帰ってきたら、誰かの分の仕事をひとつ、住むところをひとつ取ることになる。だから、帰ってくるなら人の3倍やらないと許さないからな。そこまでの覚悟があるなら、帰って来い」と。
佐々木さん:友達だから、そこまで腹割って正直な気持ちを話してくれたんですよね。住むところは弟夫婦の家の空き部屋があったからいいけど、こっちで就職したから誰かの働き口は奪ったことになります。だからその分、釜石に新しい仕事をつくらないとって思いました。あのとき言われた言葉が、いまの原動力になっています。
目指すのは、三陸土産の定番商品
「三陸の海を持ち歩きませんか?」——これが『MINIビン玉ストラップ』のキャッチコピーです。震災直後は海に恨みを感じている人や気持ちの整理が着いていない人が多かったため、どう思われるだろうかと不安もよぎったそう。しかし、佐々木さんには当初からこのストラップを復興支援商品ではなく三陸のお土産として育てていきたいという狙いがあったため、あえてこのコピーを採用しました。
佐々木さん:あるとき、津波に家族を流された人から、「海を持ち歩けるのが嬉しい」って言われたんです。「海は家族を奪っていったけど、家族が最後にいた場所でもあるから、家族が海になったようにも感じている。だから、いつも一緒にいられて嬉しい」って。それを聞いて、「あぁ、つくってよかった」と思いました。
『MINIビン玉ストラップ』は、ボランティアの方々や佐々木さんのブログを読んだ人からたくさんのアドバイスや応援を受けました。「普通に生きていたら話すらしないようなすごい人たちと出会えて、手助けしてもらえた」と笑う佐々木さん。販路もクチコミを通して自然と広がっていったといいます。「沈まない」という特性から、受験祈願のお守りとしても評判となりました。
今年8月はNHKに取り上げられ、一ヶ月に2000個の注文が入ったそう。震災から6年目にして月間販売個数の記録を更新しました。
佐々木さん:一過性の復興支援商品にはしたくないと思っていたから嬉しいです。『MINIビン玉ストラップ』はこれからが本番の商品です。お母さんたちにも、「まちが再建して三陸にもっと人が来るようになったときのためのものだからね」と言ってきました。三陸のお土産の定番品になって、ストラップを買いに外から人が来るようになってくれたら、と思っています。
■ 三陸網(ねっと)わぁーく
HP:http://mini-binndama.com/
Blog:https://blogs.yahoo.co.jp/j32habit
商品の購入方法:HPに記載された販売店か、ウェブショップ「三陸釜石元気市場」(http://hamayuri.net/?pid=80116077)で購入することができます。
2017.10.24