物語

寄付金の使い道を、被災地の状況やそこで生きる人々の力強さを、全国の人々が東北へ寄せる応援の気持ちを、ちゃんと伝えてつなぎたい。『プロジェクト伝』は、釜石出身の鴨脚里子(いちょう・さとこ)さんが“伝えること”の重要性を痛感したことから発足したプロジェクトです。はじまりとこれまでの歩みを伺いました。
物資や寄付金だけではなく、気持ちも一緒に届けたい
「このお金をあなたに託すから、必要な人に届けてほしい」。
2011年3月、東京のブティック兼カフェで働いていた鴨脚さんは、顔見知りの常連客数人から寄付金を預かりました。東日本大震災の被災地のために何かしたいけれど、大きな団体に寄付しても、それが本当に被災地の役に立つのかわからない。だったら、釜石出身のあなたに託したい、と。
鴨脚さん:「どうしよう」と思いました。「どうすれば有効活用できるだろう」って。震災直後はガソリンも貴重だったし、道路の渋滞が問題になっていました。私が東京から釜石へ行くよりも、近くにいる人と連携したほうがいいはず。ちょうど、仙台でイタリアンレストランを営む目黒浩敬シェフが自身も被災しながら沿岸部で炊き出しを行うと聞き、活動費に充ててもらうことにしました。
釜石には、鴨脚さんの姉・長瀬裕子さんが家族と住んでいます。家は半壊したものの営んでいた下宿屋は無事で、地域の拠点として炊き出しを行っていました。目黒さんは長瀬さんと協力し、釜石市内でまだ支援が行き届いていないエリアを訪問することに。選んだのは、釜石の中心部から車で30分ほどの場所にある箱崎町でした。
鴨脚さん:訪問したのは3月の終わりでしたが、箱崎はほぼ手つかずの状態だったそうです。住民の方も殺気立っていて。ほかの地域には支援が入っていることも知らなかったから、よそ者が面白半分で見学に来たと思ったのでしょうね。目黒さんは「殴られるかと思った」と言っていました。
地元の人に取りなしてもらい、炊き出しに来たことを伝えると、箱崎町の住民たちは「何もなかったから助かるよ、ありがとう」と言ってくれたといいます。
鴨脚さん:同じ市内でも支援が入っているところと入っていないところでは大きな差がある。そういった現状を寄付してくださった方にお伝えすると共に、地元の方には「どういう人たちが、どういう思いでお金を出してくれたのか」をお伝えしました。そうすることで、気持ちが一方通行にならずに伝わるだろうと思ったんです。
名称を『プロジェクト伝』と決め、鴨脚さんは箱崎町に物資を届けたり人を派遣したりするようになりました。
「もらう側」でいることへの疲れ

活動初期に『プロジェクト伝』を支えたメンバー
半年ほど通ううち、箱崎町の住民たちは『プロジェクト伝』のメンバーを信頼し、顔を見せると「お茶飲みに上がっていってよ」と声をかけてくれるようになりました。鴨脚さんも東京から足を運び親交を深める中で、あることに気づきます。
鴨脚さん:みなさん、ものをもらいつづけること、「ありがとう」と言いつづけることに疲れているように見えたんです。ただものやお金を送る時期は終わったと感じました。
それと、女性たちが時間を持て余していることも気になりました。チラシでオブジェをつくり贈り合っていましたが、どんどんお部屋にたまって困っていて……。「何かしたい」という気持ちが消化不良を起こしていたんでしょうね。
そこで考えたのが、支援物資で届いた毛糸を使って製品をつくり販売すること。そうすれば、ありあまる時間と手先の器用さを活かすことができるし、ただ支援を受け取るだけの状態から、自分の手で価値をつくりだす側に回ることができます。やる気のある人を集めて半年間練習し、編み物の腕を磨くことにしました。
釜石の山側に住んでいて被災を免れた工藤さんという女性が編み物の学校を出ていたので、先生になってもらうことに。長瀬さんと一緒に箱崎へ通い、編み物職人を育成しました。「可哀想だから買ってあげよう」ではなく、本当にほしいと思ってもらえるもの、人に喜んでもらえるものをつくるため、品質は妥協せずに追求したといいます。
鴨脚さん:「私たち被災者なのに、こんなに厳しく指導されるなんて」と不満を感じ去っていく人もいましたが、姉と工藤さんは頑として譲らず、品質を守り抜いてくれました。そこで基準を緩めると一所懸命取り組んでいる人たちに失礼だし、少数でもやる気のある人たちが残ったほうがいい、と。残ってくれた人たちは、「支援で終わりたくない」と頑張ってくれました。
そのおかげで、完成した商品は度々メディアに取り上げられるように。職人さんたちも、「テレビに出たときに自信を持って“私たちの商品はすごいんです!”と言えたのは、2人が厳しく指導してくれたから」と胸を張ってくれたそうです。
ゆたんぽカバー、レインボーバッグ、ルームシューズ
では、『プロジェクト伝』にはどんな商品があるのでしょうか。ひとつひとつご紹介しましょう。
最初に製作したのは、ペットボトルのゆたんぽカバーです。編み物を始めるにあたって余り毛糸の寄付を募ったところ、全国から手紙つきで毛糸が届きました。中には編み物が好きだった亡き母との思い出を書いてくれた方もいたそう。そうしたメッセージを読むうちに、「寒い地域から届けるものだからあたたかさを感じる製品にしよう、思いのこもった毛糸だから、きっと使う人のこともあたためてくれるはず」と考えるようになり、ゆたんぽカバーを採用したといいます。
鴨脚さん:グラフィックデザイナーおおうちおさむさんにデザインをお願いして表面に葉っぱのワッペンを複数あしらい、自分たちらしい商品にしました。葉っぱをたくさん身にまとい暖をとることを想像したデザインです。震災直後、電気や車や電話など、たくさんの文明が使えなくなりました。最後に残るものは、地球にもともとあったものたち。それらに命を守られている。地球の営みに感謝することを大切にしたいと思いました。
飲み終わったペットボトルの容器にお湯を入れてこのカバーに包めば、じんわりと温かさが続きます。ゆたんぽの容器を買う必要もなくてお手軽。ペット用のゆたんぽとしても喜ばれているのだとか。
iPadカバーとしても使えるレインボーカラーのミニバッグは、企業から依頼を受けノベルティグッズとして開発し、後に一般販売も行うようになった商品です。「雨が降っても、その後には虹が出る」というコンセプトのもと、傘マークのロゴを付け、持ち手は7色の毛糸で彩りました。
鴨脚さん:毛糸を送ってくれた人や職人の思いが重なって、買ってくれた人の肩に虹がかかる。そんなイメージでつくりました。7色使ったのは半端な毛糸を有効活用するためでもあったんですが、職人さんたちは「街並は瓦礫で灰色だし、仮設住宅も全部同じ色だから、こうしてカラフルな毛糸に触れているとウキウキする。どの色を組み合わせようと考えるのが楽しいのよ」と言ってくれました。つくる人の気分も晴れやかになるって、いいものづくりですよね。
そして、『プロジェクト伝』の看板商品であるルームシューズ。ゆたんぽカバーを購入した人から「これを靴下として履いたら可愛いんじゃないか」と言われたことがきっかけで商品化しました。冷えとり商品を販売している企業や漢方の先生からアドバイスをもらい、通気性・保温性に優れたウール100%の毛糸のみでつくることに。「足首を締め付けず脱ぎ履きしやすいけれど、あたたかい空気を逃がさない」デザインになっています。フローリングでも使えるよう、かかとには滑り止めをつけました。
色使いは職人さんに任せていますが、「足首・つまさき・かかとを同系色でまとめる」というルールを設けているので、どんな組み合わせでもおしゃれに仕上がります。編んだ後に一度洗って縮めてあるので、家で洗濯しても大丈夫。しっかりしたつくりで安心感があり、足元をじんわりと温めてくれます。
鴨脚さん:一足4千円と決して安くはない価格なんですが、購入してくださった方は「とても使い心地がいいから友達にもプレゼントしたい」とか、「お香典返しの品としてみんなに贈りたい」とリピートしてくださることが多いんです。贈り物に選んでもらえるのは、商品として認めてもらえたからということですよね。それがとても嬉しいんです。
毛糸を寄付してくれた人から注文を受けることも多いそう。寄付した人は箪笥がすっきりして、そのおかげで職人は製品をつくることができ、購入した人は気に入って使う。誰も損をせず、無理なくお金と気持ちが回っていく。「いい仕組みをつくることができました」と、鴨脚さんは柔らかな笑みを浮かべます。
パワーのある人を釜石に呼ぶ
『プロジェクト伝』では、寄付金や商品を販売して得た利益の一部を、「パワーを持った人を東北へ送る活動」に充てています。その一環で釜石を訪問した人の中に、タレントのピーコさんがいます。ピーコさんは元々鴨脚さんの知り合いで、震災直後から鴨脚さんの家族の安否を心配し、無事だったことがわかると自分のことのように喜んでくれたそうです。
鴨脚さん:最初にピーコさんが釜石に来てくれたのは2011年の5月です。「自腹で行く」と言われましたが、交通費だけこちらで出させてもらいました。当時、被災地を訪問してくれた芸能人はたくさんいましたが、受け入れ側は段取りをしないといけなくて大変だったんです。だから、特別な段取りはせず、炊き出しの配達を手伝っていただきました。
やっぱり、パワーのある人が行くと、その熱が地域に伝播するんですね。ピーコさんにはそれから数回訪問してもらいました。職人さんたちと同世代なので、すっかり仲良しになって。編み物を始めるときは、ラジオで毛糸の寄付を呼びかけてくださったし、完成したときも宣伝してくださいました。そのおかげで、びっくりする程のたくさん毛糸が集まったし、注文もいただいたんですよ。
ピーコさんのほかにも、クラシック演奏家を招いてコンサートを開催したり、プロの料理人に来てもらい食事交流会を開いたりと、さまざまな人を釜石に呼び寄せ、交流の機会を設けました。
鴨脚さん:わずかでもギャラをお支払いすることで、こちらの要望も聞いてもらえます。「奉仕の気持ちで来てあげた/来てもらった」ではなく、対等な関係になれるんですね。職人さんたちも、「自分たちが働いたお金で地域に魅力的な人を呼べた」と自信を持ってくれました。
復興は進んだように見えるかもしれませんが、復旧が進んだだけで、まだまだこれからです。でも、釜石に来てくれる人は減る一方で、寂しくなるばかり。いまこそ、人を呼ぶことが必要なのかもしれません。
職人さんたちのすばらしさを伝えたい
「東北と関わりつづける中で、印象的だったことや学んだことはありますか?」ーーそう聞くと、鴨脚さんは「いい顔をしているんですよね、職人さんたちが」と答えてくれました。
鴨脚さん:最初の頃は無我夢中で気づく暇もなかったけど、ふと見ると、とてもいい顔をしているんです。人生の山をいくつも乗り越えた人たちが持つ、どんとした佇まいというか。本人たちは全く気づいていないけど、とてもいいパワーや生きがいを、私や周囲の人に与えてくれているんです。目先の細々したことを越えた次元から「ありがとう」と言ってくれているんだろうなと感じるし、色んな意味で丁寧に生きることの大切さを実感します。大げさに聞こえるかもしれないけど、生きる意味を私たちに伝える役割を果たすために生き残ってくれたんだろうな、と。
地域によっても人によっても状況は違うから「東北はこうだ」と大きな話はできないけれど、いい顔をしたすばらしい女性たちがいる、ということも、現在の東北の確かな一面だと思います。そして、自分がそれを人に伝える役割を担うことができたことが、とても嬉しいんです。
『プロジェクト伝』は、今後も活動を続けていく予定です。一時期は注文が大量に入り数ヶ月待ちになっていましたが、現在は在庫も豊富に揃っているそう。製品が売れると、また職人さんが手を動かすことができるし、きっと鴨脚さんや長瀬さんがその様子を伝えてくれることでしょう。
ウェブサイトから注文できるので、興味を持った方はぜひ覗いてみてください。
■プロジェクト伝
HP: http://www.project-den.net/
電話:03-5766-5680
※製品の注文やお問い合わせは直接団体へお願い致します。不要になった毛糸の募集も行っています。
2017.10.25