物語

震災から6年が経ちましたが、家族や友人を失った人や壮絶な体験をした人は、癒えることない傷を抱えながら暮らしています。『手作りくらぶArabesque』の齋藤志津子さんは、会社勤めができなくなってしまった人が小さな収入を得て社会との接点を維持できるように、活動を続けています。
怖くて車を出せなかったから、津波に飲まれずに済んだ

現在の山元町の海
齋藤さん:こんなこと言うと笑われちゃうかもしれないけど、亡くなった祖父がよく「きょうだいで協力しあって暮らしていくんだぞ」と言っていたんです。ずっとそれを聞かされていたからか、みんな実家の敷地内で暮らしていました。
齋藤さんは、宮城県の東南端に位置する山元町で生まれ育ちました。実家は農家。種籾蒔きや田植えのときはみんなで手伝い、働いた後はバーベキューや流し素麺を楽しみ、誰かが病気やケガをしたときは誰かが看病して……と、お祖父さまの言葉通り助け合って和やかに暮らしていたといいます。しかし、津波はそんな暮らしを根こそぎ奪い去っていきました。
齋藤さん:あの日は娘の中学校の卒業式でした。地震が起きたのは、式を終えレストランで食事会をしていたときのこと。壁が崩れたりシャンデリアが落ちてきたりと、揺れはすさまじくて。娘は仲の良かった友人と抱き合って泣いていました。でも、それがその子との最後になってしまったんです。
それぞれ家に帰ることにしましたが、齋藤さんは恐怖から中々車を出せませんでした。しかし、それが幸いしたのです。そろりそろりと走り出すと、道行く人から「津波が来てるからこっちは駄目だ」と止められ、引き返すことに。避難所の中学校校庭に入った途端、今まで自分たちが走ってきた道を濁った水の渦が覆いました。
齋藤さん:実家は海から数百メートルの場所にあるので、あのときスムーズに車を出せていたら絶対に助かりませんでした。もっと言うと、卒業式じゃなかったら、私は海のそばの会社に出勤していたので死んでいたかもしれません。本当に、何が運命を分けるかわかりませんね。
総面積の3分の1となる1900メートルが津波で浸水し、637人が犠牲になるなど、山元町の被害は甚大でした。齋藤さんのご家族は無事でしたが、家屋も田畑も農機具も全て流失。また、娘さんは地震・津波のショックや友人を失った悲しみから、パニック障害を発症してしまいました。医者から「山元町にいないほうがいい」と助言され、仙台の仮設住宅に入ることに。地元には、震災前や震災時の記憶を呼び起こすものが溢れすぎていたのです。
唐草模様に願いを込めて
周囲に知る人のいない仙台での仮設住宅暮らし。しかし、齋藤さんは区役所職員から促されて自治会の役員を務めることになり、集会所でのお茶飲み等を企画します。集会所には、文化服装学院から贈られたミシンが置かれていました。半工業用と言える立派なミシンだったので、使える人がおらずそのままになっていたのです。
実は、齋藤さんは元文化服装学院生。縫製会社で働いていたこともあります。支援で送られてきたけれどサイズが合わなかった衣服をほどき、巾着などの小物をつくりはじめました。すると、周囲から「ミシン教えて」という声が。お茶飲みに加えて、みんなでささやかなものづくりを楽しむようになりました。
小さな子どもを抱えたお母さんが参加すると、おばあちゃんたちが孫のように可愛がるなど、和気あいあいと過ごしていたそうです。
齋藤さん:ポケットティッシュケースなんかをつくって置いていたんですが、それを見た人が「素敵ね、ボランティアをしてくれた人たちに贈りたいから売ってちょうだい」と言ってくれたんです。そうするとつくり手としてはものすごく嬉しいわけです。「あ、買ってくれるんだ!」って。
最初はみかん箱にティッシュケースを並べて簡易的に販売していましたが、イベントにも出店するようになり、少しずつ商品アイテムを増やしていきました。売れるとみんなで喜び、「もっといいものをつくろう」と奮起。ものづくりが活力の源になっていきました。
そんな折、支援で唐草模様の風呂敷をいただき巾着をつくってみた齋藤さんは、「これはいい!」ととても気に入ったのだとか。

懐かしく温かみのある唐草模様のカードケース。ひとつ700円
齋藤さん:唐草模様って、どの年齢層にも親しみ深い柄なんですよね。年配の方からは「東京ぼん太だな」と言われたり、子どもからは「あ〜、泥棒の柄だ!」と言われたり。話が弾むきっかけになりました。
実は、植物が生い茂る様子を表した唐草模様には、縁結びや子孫繁栄の意味があるんですよ。昔はお嫁に行くときに唐草模様の風呂敷にお布団を包んだんですって。どこの家にも必ずあったから、泥棒が入ったときに使われてそういうイメージがついてしまったんでしょうね。本当は、とても縁起がいい柄なんです。
震災でたくさんの尊い命が失われましたが、震災後に新しい命も誕生しました。その命がずっと続いていくようにという願いから、唐草模様をシンボルに製品をつくっていくことにしました。
会社勤めが難しくなってしまった人のために手仕事を続けよう
震災から時間が経つにつれて、元気な人は再就職し、メンバーは少なくなっていきました。仮設住宅も閉鎖となり、行き先はバラバラに。齋藤さんも災害公営住宅へ引っ越しました。それでも活動を続けたのは、コミュニティはまだ必要だと感じたからです。
齋藤さん:仮設にいたときは、おばあちゃんから「カーテン洗ったんだけどレールに届かないからかけてくれない?」と頼まれたり、こちらから「買い物行くけど何か買ってくる?」と聞いたりして、助け合いながら暮らしていたんです。でも、公営住宅だと隣の人と顔を合わせる機会がなくて。「コミュニティってなくしちゃいけないな」「やりたい人だけでも続けよう」と決心しました。
理由はもうひとつあります。会社で働きはじめたのは、元気な人たち。でも、震災のショックが元で閉所恐怖症を発症したり、人間関係を築くのが難しくなったりと、以前のように働けなくなってしまった人もいたのです。
齋藤さん:普通に過ごしていたらわからないし、本人も何も言いません。でも、親しくなると、「実は扉を閉じたところにいられないの」とか、「朝じんましんがひどいんだ」「震災の話題になると辛い」とか、それぞれ事情を抱えていて。「あぁ、うちの娘だけじゃないんだ」と思いました。
齋藤さん自身も、一度はパートで働きに出たものの、娘さんが突然倒れて救急車で運ばれることが多かったため、毎日出勤することの難しさを感じていました。同じように困っている人がいるなら、自宅でできるものづくりで少しでも収入を得て、社会とのつながりを維持できないだろうか。手作りくらぶの活動に、新たな意義が生まれた瞬間でした。
仙台のお土産として喜ばれる製品をつくりたい

看板商品のがまぐち。ポシェット(2,000円)、がまぐち大(1,450円)、がまぐち中(1,150円)、がまぐち小(850円)
震災直後は『卸町5丁目仮設住宅手作りくらぶ』という名前で活動していましたが、仮設住宅を卒業した現在は団体名を『手作りくらぶArabesque』に変えました。Arabesqueとは唐草模様のこと。震災後に生まれたたくさんの縁を大切に紡いでいます。
ミシンが好きな人、アクセサリーパーツを取り付けるのが上手な人、裁断や梱包が得意な人。それぞれの長所やできることを活かし、苦手なことは補いながら仕事を進めているそうです。最近では娘さんも販売を手伝ってくれるようになり、それまでひとりでイベントに出店していた齋藤さんは大助かりなのだとか。
商品数も増えました。特徴的なのが、仙台七夕まつりで使われる吹き流しを再利用したアイテムです。

吹き流しの素材を使った雅な和柄手帳。ひとつ800〜1,000円
齋藤さん:震災後一時的に働いていた仙台の紙屋さんで吹き流しを製作していたんです。今はリサイクルされているそうですが、当時はお祭りの後に廃棄されていて、「こんなに綺麗なのにもったいない!」と思って。仙台らしさのある商品なので、とても気に入っています。アクセサリーは若い女の子にも人気なんですよ。

キャプション:折り鶴のピアス(2,000円)。イヤリングに付け替えも可能です

吹き流しのかんざし。天然石を使うなどパーツにもこだわっています
また、現在は革のがまぐちづくりにも挑戦しています。イベント出店を通して、以前東北マニュファクチュール・ストーリーでも紹介した『Rinn Products』の丹野さんと知り合い、「布製品はどうしても単価が安くなってしまうから、革製品を手がけてみませんか?」と発注してもらったそう。革を縫う難しさと格闘しつつ、鋭意製作中とのこと。完成が楽しみですね。

がまぐちのふっくらした形を出すのが難しいところなのだそう
齋藤さん:いろんな人からいろんな支援をいただき、これまでやってこれました。でも、まだまだつくり手さんに毎月安定したお給料をお支払いできる体制ではないんです。事務的な仕事が苦手なこともあり、苦労しています。
一緒に商品開発をしてくれる人、事務作業を手伝ってくれる人、商品を販売してくれる人がいたら、ぜひご連絡いただけると嬉しいです。
震災から6年。メディアには前を向いて力強く活動している人が登場しますし、「東北はもう復興した」と捉えている人もいると思います。でも、未曾有の大災害に遭遇した当事者が受けた傷はあまりに大きく、数年で癒えるものではありません。
人といるときは明るく振る舞っていても、家に帰りひとりになるとどっと疲れてしまう。PTSDに苦しんでいても打ち明けることができず、周囲から「あの人コミュニケーション取りづらいな」と思われ、居づらくなって職場を辞めてしまう。齋藤さんのお話を伺い、そんな人も多いのだろうと感じました。だからこそ、自分のペースでできる手仕事が必要なのだと思います。
齋藤さんの今後の目標は、「仙台らしく、お土産として喜ばれる製品をつくること」と、「つくり手のみなさんにわずかでも安定したお給料をお支払いすること」。もし、「一緒に取り組みたい」「自分にはこんな手伝いができそう」ということがあれば、ぜひ連絡してみてください。
● 手作りくらぶArabesque
FACEBOOK:https://www.facebook.com/tedukuriclub/
メール:3.11arabesque_shizuko.0310★i.softbank.jp(★を@に変えてご連絡ください)
製品を購入したい場合は、宮城生協の「とうほくてしごとカタログFUCCO」からお申し込みいただくか、齋藤さんに直接メールをお願いします。
2017.8.17