物語前編

東北マニュファクチュール・ストーリーでは、震災後に東北で生まれたものづくりを紹介してきました。これまでに訪問した現場は70以上。どの現場でも、製品の裏にかけがえのない物語があることを知りました。その物語は、現在進行形で綴られているものばかりです。

以前訪れた団体は、いまどんな風に変わっているでしょうか。私たちは、取材後に変化があった団体を取材し、「その後」として記事にまとめていくことにしました。今回は、『OCICA』のその後をお届けします。

状況に合わせて、運営体制を変えていく

前回『一般社団法人つむぎや』が始めたプロジェクトのひとつ、『ぼっぽら食堂』が終了したことを紹介しましたが、同じくつむぎやがプロデュースした鹿角と漁網のアクセサリー『OCICA DEERHORN DREAM CACTHER』は現在も生産を続けています。

2012年9月に訪問してから4年半。きっと、さまざまな変化があったと思います。つむぎやの友廣裕一さん、多田知弥さんと一緒に、つくり手の平塚寛子さん宅を訪れました。

——以前は10人前後で製作されていましたが、いまつくり手さんは何人いるんですか?

平塚さん:3人です。牡蠣の殻剥きの仕事が再開して、みんな戻ったの。

–2012年に伺ったときは、作業を分担されていましたよね。電動糸のこやミシンを使う作業ができるのは一部の方だけでした。

平塚さん:そうそう、最初の頃はおっかなかったから、若い人にお願いしてました。でも、「いつまでも人に頼ってらんないな」という気持ちが芽生えてね。みんな同じだったみたい、人知れず練習してて、自分ひとりで全部の工程をできるようになっていました。あとね、りなちゃん(※つむぎやスタッフ)がやっていた仕事も私たちで行うようになって。

友廣さん:最初はつむぎやのスタッフが常駐していたんですが、途中で抜けることになりました。本業である牡蠣養殖が再開して、お母さんたちが卒業したこともあって生産量が減ったし、そもそも同じ商品を売っていると震災から時間が経つにつれてどうしても売上は減っていきます。その売上で運営側の人件費を一人分稼がないといけないと思うと、お母さんたちのプレッシャーになってしまう。

OCICAは「お母さんたちが誇りに思えるもの、“自分の仕事だ”と思えるものをつくろう」と始めたプロジェクトなので、企業から依頼される内職仕事を受けるようになったら「何がやりたかったんだっけ?」ということになるし、どんどん人を増やして生産量や種類を増やすこともしたくなかったんです。それで、固定費を減らして、今いるお母さんたちがつくりたいペースでつくれるように考えました。

初期は赤・青・茶の3色でしたが、黄色やこげ茶といったカラーも登場しました

——それで、それまで常駐スタッフがやっていた仕事をお母さんたちが引き継いだ、と。でも、「つくるのは好きだけど、事務処理は苦手」という人も多いですよね?

友廣さん:お母さんたちに当時の売上や状況を共有して、「続けていくなら、僕らも頑張るけどお母さんたちにも頑張ってもらわないといけない」という話をしました。僕らは自分たちを支援者だと思ったことはなくて、お母さんたちともずっと対等な関係でやってきたつもりです。だから、どちらか一方が無理をするのは違うし、「どうすればいいか一緒に考えましょう」と。それで話し合った結果、お母さんたちに生産管理まで担ってもらうことになりました。

——すごいですね!

平塚さん:メールはどうにかできたし、わからないことはすぐに電話とかで聞けたから。生産管理も、大口の注文が入りそうなときは前もって言ってもらえるので、無理なくできているんですよ。

友廣さん:それに伴って、委託販売をほぼやめさせてもらいました。雑貨店やカフェなど一時は70〜80店舗くらいのお店で取り扱っていただいていましたが、数が多いため毎月の管理がものすごく大変だったんです。基本的に買い取りにしてもらって、その分お店の利益が増えるような掛け率に変更しました。それで売上の管理も大分楽になりましたね。

——つくり手の人数が減って、体制も変わって……と、大きな変化があったということですが、平塚さんはその間「やめたい」と思ったことはなかったんですか?

平塚さん:それはないですね。つむぎやさんからやめますって言われるまでは続けようかね、と。無理している状態でもないし。人からは「まだ続けてるのー、すごいね」と言われるけど、「んだよー、うちで時間あるときにできるし、みんなで集まって話すのも楽しいから」ってさ。

それと、震災後いろんな人からすごく助けてもらったから、恩返しの気持ちもありますね。ありがとう、続けてますよ、と伝えたくて。

——続けてきて印象に残っている出来事ってありますか?

平塚さん:私は浜の仕事しかわかんねえからさ、フェスとか売りに行ったりしたのはすごーく楽しかったよ。普通に暮らしてたらできねっちゃ。

色んな人と出会えたのもよかったですね。うちは娘がいないから、りなちゃんなんて娘みたいで。石巻を離れた後も、「石巻のお母さん」みたいにして連絡くれるの。お父さんもね、「りなちゃんりなちゃん」って可愛がってて。

つむぎやさんもこうして石巻に来たときは立ち寄ってくれるし、結婚とか節目のときは報告してくれるし。そういう人との巡り合わせは嬉しいですね。

——今後の展望を教えてください。

平塚さん:何ていうかね、「こうしたい」という欲はないんですよ。今まで通り、地道にコツコツ続けられたらな、と。手にとってくれた人に私たちの気持ちが届いて、大事に使ってもらえたらそれで充分です。

左から多田さん、平塚さん、友廣さん

平塚さんのお話を聴いて、本当に無理なく楽しくつくっているんだな、ということが伝わってきました。

被災地の状況は、刻一刻と変わっていきます。状況に合わせて、運営体制を柔軟に変えていくこと。それが無理なく続ける秘訣なのかもしれませんね。

 


■ OCICA
HP:http://www.ocica.jp/
前回訪問時の記事:http://www.tohoku-manufacture.jp/story/005_story_first.html

2017.1.15