物語後編
被災地を大勢の人とつなぐ、311mの“希望の布”
東日本大震災から1000日目を迎えた2013年12月、『三陸さをりプロジェクト』は、全国を巡回して生地を織り継ぐ『Cruise around Tsunami Havens』というワークショップをはじめました。被災地で織ったたて糸にさまざまな地域の人がよこ糸を通すことで、“希望の布”をつくるという企画です。
被災者たちが背筋を伸ばしてシャンと生きていることをたて糸で表現したい。ひとりでも多くの人に参加してもらうことで、震災の風化を防ぎたい。背景にはそんな想いがあったといいます。
このワークショップはタイ・アメリカ・ネパールの3か国を含む国内外100カ所で開かれ、3000人が参加しました。各地のワークショップでは、「被災地のために何もできなかった」と後ろめたさを感じていた人たちが、「織ることで被災した方々を元気づけられるなら嬉しい」と喜んで織ってくれたそう。“希望の布”は中越地震の被災地である新潟県長岡市、インド洋大津波の被災地であるタイのプーケットを経由し、阪神淡路大震災20年目の節目となる2015年1月17日には神戸で311メートルを突破しました。
3000人が織り継いだ“希望の布”には、3000人の想いやエピソードが込められています。この布を展示することで、「多くの人が東北を応援している」ことを表現できると考え、同年12月から岩手県各地で巡回展を行いました。宮古や大槌では住民がモデルとなったさをり織りファッションショーが同時開催されるなど、想像以上の広がりを見せたそう。“希望の布”は現在も、全国を旅しながら織り継ぎされています。
みんなで楽しく織ることが、一番大事なこと
2017年現在、『三陸さをりプロジェクト』には10を超える織りのグループがあり、いまもなおメンバーが増えつづけています。
大森さん:震災から6年弱が経ちましたが、まだ大勢の人が仮設住宅で暮らしています。仮設は狭くて息苦しいし、何かをしようという気になれない。だから、家以外のところに集まってみんなでお茶したり作業したりするのはいい気分転換になるんですよ。明るい気分になれずにいる人、家に引きこもりがちになっている人に参加してもらえたらなと。
ここから得られる収入はせいぜい夕飯のおかずが一品増える程度だけど、楽しみながら作業してお小遣いが増えたら嬉しいでしょ。
活動を初めて間もない頃、織り手さんたちは暗い色の糸を選ぶ傾向があったそう。回を追うごとに、色味は鮮やかに変化していきました。
大森さん:タイにさをり織りを広めたお坊さんがね、「タイでは心的外傷後ストレス障害の薬はいらない」って言っていたんですよ。手仕事に集中する、人と交流する。それが一番の薬だって。日本は自己責任だなんだと個人のせいにする傾向があるし、自分で自分を追い込んじゃうところがあるでしょう。
最初はほんとにみんな沈みそうな色ばっかりだったのよ。あんな体験をした後だと、明るい色を使うことに抵抗があるんだね。気持ちが落ち着くにつれて、綺麗な色を素直に使うようになって。それと同じように、表情も明るくなったし冗談も言うようになりました。
デザイン性の高い製品を開発し、品質を一定に保って高価格で販売する。そういった方向性を模索していた時期もありましたが、織り手が楽しめなくなってしまうことから、きっぱりと諦めたといいます。
大森さん:みんなで笑いながら、楽しく織る。それを最優先に続けていきたいと思います。
2016.11.21