つくり手インタビュー
『東北クロッシェ村』のつくり手のひとり、伊藤文子さんは『EAST LOOP』の初期から参加していた方です。現在は、宮古エリアのつくり手を束ねる役割を担っています。「この活動に参加して、人生が変わった」とにっこり笑う伊藤さん。一体どう変わったのでしょうか?お話を聞かせていただきました。
みんなで笑って過ごしたから、仮設暮らしもあっという間だった
——伊藤さんは、どんな経緯で活動に参加することになったんですか?
伊藤さん:昔習っていた紙粘土教室の先生から、「遠野の団体が編み手さんを探していて、宮古からも参加できるからぜひやりなさい」と勧められたんです。「えー」と言ったら「悩まない、落ち込んでないですぐ決断する!」って、力強く背中を押されて(笑)その人が言ってくれなかったらやらなかったから、今となっては感謝ですね。
——それはいつ頃のことですか?
伊藤さん:震災後すぐの6月のことです。遠野から宮古までは2時間かかるし、余震もまだ収まってなかったから、「私ひとりのために来てもらうのは悪いな」と思ったんです。でも、EAST LOOPのスタッフの方が「ひとりでもやりたいと言ってくれる方がいるなら行きます」と言ってくださって。最初は私と友人のふたりで講習を受けました。ハートの形と、「寄り添う」という言葉がすごくいいな、と思いました。
——そこから人数が増えていったんですね。
伊藤さん:3か月後には5〜6人になりました。避難所は明るさも足りなかったし団体生活だから難しかったんですけど、幸いすぐに仮設住宅に入ることができたので、そこからのめりこんでいきました。みんなと「お金をいただいたら手芸のものをひとつずつ増やそうね、針買おうね、糸買おうね、道具買おうね」と励まし合って。けっこう良い収入になったんですよ。その分頑張らせていただきました。多いときは、月に200個編みましたから。
——編み物で得たお金で、編み物の道具を購入されたんですね。
伊藤さん:「続けていこう」という気持ちがあったからですね。このあたりには、編み物を好きな人っていっぱいいるんですよ。でも教室がないからみんな自己流でやっていたし、途中で諦めることも多かったんです。いまはそういうわけにはいかないし、頑張った分だけ財産になるから、続けられています。
人にも恵まれたんですよ、本当にいい人たちが集まりました。私が住んでいた仮設住宅は作業場として解放して、毎日誰かが来ていました。ひとりで編まず、みんなでアドバイスしあって、腕を高めようって。人数が多いときは、立って編む人もいたくらい。狭いのは気にせず、みんなでごはんを食べてね。昨年10月に仮設を出たんですが、仮設で暮らした4年数ヶ月はあっという間でした。笑って過ごせたから。

取材した日は持ち寄りパーティ。メンバーが収穫した山の幸、海の幸が並びました。
——仮設暮らしはストレスが溜まるとよく聞きますが、「笑って過ごせた」というのはすごいですね。
伊藤さん:周りからも、「伊藤さんって毎日笑っているのね」と不思議がられました。「伊藤さん、夜眠れないことある?」「遅くまで編み物してるから、眠れないなんてことないよ」「元気そうだよね」「仕事があるからだよ」なんて話していました。
本当は、泣き虫でいつもくよくよしているのが私だったんですよ。でも、津波でやっと助かった命だから、じっとしていられなくて。
——差し支えなければ、震災時のことを教えていただけますか?
伊藤さん:あの日は、実家の手伝いをしていて、帰るところでビヨンビヨンって警報が鳴ったんです。実家が船を持っているので、息子は「俺はこのまま船を沖に出す」と言って海へ向かいました。でも、資格は持っていたけど、実際に操縦したことはなくて。ちょうど運良く衛星電話が通じて、おじいちゃんたちから操縦方法を聞いて動かすことができたそうです。
私は一旦家に戻ったんですが、うちの周りは「ここまでは津波が来ない」と言われていた地域なんです。だから、ご近所さんは亡くなった方も多くて……。私ももたもたしていたんですが、「津波が来たよ」という声を聞いて、すぐそばの避難所に走って逃げました。それで助かったんです。逃げ込んだのは私が最後で、「津波が来たよ」と叫んだ方は来ませんでした。
私もあと少し遅かったら危なかった。だから、やることをやらなくちゃって。元々は暗い性格で、外に出るのも苦手で、モグラみたいだったんですよ。でも、事務局の真山さんが引っ張ってくれて、一緒に進むことができました。
——とても朗らかな印象なので、暗い性格だったなんて想像できません。
伊藤さん:編み物の力って大きいですよ。両親を亡くして、自殺を考えるくらい塞ぎ込んでいた人を編み物に引っ張り込んだら、すっごく元気になってくれましたから。
——現在、宮古地区には何人のつくり手さんがいるんですか?
伊藤さん:いまは約10人です。おじいちゃんおばあちゃんを看ている人もいるし、農業や漁業を手伝っている人もいるので、みんなで助け合いながら、励まし合いながらやっていますね。ばね指になったり肩にきたりして続けられなくなると困るから、負担にならないよう気をつけています。編むのが遅い人の分は早く終わった人が手伝うなどして、「ひとりじゃないからね」と伝えるようにしています。
——会社になるにあたって、どんな感想を抱きましたか?
伊藤さん:嬉しかったですね。「私の会社でもあるんだ」という気持ちもちょっとだけあって。仕事が来るように、長く続くように、みんなで頑張ろうねって言い合いました。
——続けてきて、印象に残っていることはありますか?
伊藤さん:新宿のユザワヤに行ったら、宮古のみんなが編んだサンプル、私が編んだサンプルが飾ってあったんですよ。感動で涙が出て、30分動けませんでした。「これ私が編んだのよ」って周囲の人に言いたくなっちゃいました。
それと、サンプル編みで縦横の長さや重さが寸法とぴたっと合ったときはすごく嬉しいです。気持ちいいですね。
本当に、世界が変わりました。ただうちの中にいるだけだった主婦が、東京へ行ったり、手芸を見ると「これ編めるかな」なんて思うようになったんですから。良い仲間に巡り会えたこと、楽しく編ませていただいていることに、本当に感謝しています。
——東北クロッシェ村の仕事や仲間が大好きなんだな、と伝わってきました。ありがとうございました。
■東北クロッシェ村
WEB: http://tohoku-crochet.com/
電話:0198-68-3770
住所:岩手県遠野市上郷町板沢11-6-6(旧上郷中学校内)
※訪問時は事前にご連絡ください。
以前の記事はこちら:http://www.tohoku-manufacture.jp/story/009_story_first.html
2016.8.22