物語

東北マニュファクチュール・ストーリーでは、震災後に東北で生まれたものづくりを紹介してきました。これまでに訪問した現場は60以上。どの現場でも、製品の裏にかけがえのない物語があることを知りました。その物語は、現在進行形で綴られているものばかりです。
以前訪れた団体は、いまどんな風に変わっているでしょうか。私たちは、取材後に変化があった団体を取材し、「その後」として記事にまとめていくことにしました。今回は、『IIE(イー)』のその後をお届けします。

“青木木綿”の復活を目指して

s_IMG_6830塩川駅から車を走らせること約10分。のどかな田園風景の中に、どこか可愛らしさを感じる建物が現れました。廃園になった幼稚園の園舎を活用した、IIEのショップ兼工房です。

s_IMG_6825IIEは、会津地方の伝統工芸品である会津木綿を使ったものづくりブランドです。誕生のきっかけは、福島第一原発20km圏内から会津若松へ避難してきた女性たちと一緒にものづくりを始めたことでした。

前回取材したのは2012年11月。当時の製品はストールとブックカバーだけでしたが、3年半の間に新しい製品が登場していました。

s_IMG_6816たとえば、2種類の生地を組み合わせた会津木綿のあずま袋。富岡町出身のアーティストからの特注で製作を始めたそう。大きめのお弁当箱も楽々入るゆったりサイズです。

s_IMG_6807こちらは会津木綿のご祝儀袋。結婚式を挙げた友人が発した「ご祝儀袋はお祝いの気持ちがこもったものなのに、捨てなくちゃいけないのが嫌だ」という言葉から開発しました。受け取った側はハンカチとしてずっと使いつづけることができます。水引もオリジナルのデザインで、ひとつひとつ製作しているそう。

s_IMG_6809ストールにも新しい色・サイズのものが仲間入りしていました。写真はワイドサイズの「雪色」ストール。冬は深い雪に包まれる会津らしい製品ですね。洗いを入れて、“さらりとしつつ、しっとりとした”肌触りに仕上げたといいます。

s_IMG_6821現在のつくり手は約20人。最初は避難してきた女性だけを対象としていましたが、生産数の増加に伴い、地元の女性にも仕事を依頼するようになりました。子育てしながら在宅で取り組める仕事として、20〜40代の女性を中心にお手伝いして頂いています。

谷津さん:いまでもつくり手の半数は避難している方です。製作から離れた方もいますが、変わらず親しくしてもらっています。この活動を始めた根底には「会津に避難してきた方々との関わりをつくりたい」という想いがあって、それは仕事に限った話ではありませんから。昨年はつくり手さんと一緒に、IIEの元スタッフの結婚式に出席しました。とても感慨深かったです。

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IIE代表の谷津さん

活動を始めてから約5年。その間に、活動のコンセプトや心境に変化はあったのでしょうか。

谷津さん:震災があったからこその価値観ってありますよね。自然と人とのつながりだったり、先人たちが築いてきた文化だったり、そういうものを大事にする価値観。それをちゃんと形にして世の中に届けたいと思うようになりました。

奥会津のマタタビ細工、久慈市でつくられる手ぼうき。2014年から始めたウェブショップ『IIE SHOP』には、そうした魅力の詰まった会津・東北の手仕事品が揃っています。ショップのユーザー評価はなんと5点満点中4.9。製品の良さと、丁寧な対応も相まって、高い評価を得ているようです。

s_IMG_6829谷津さん:個人的な変化でいうと、僕は学生の頃からずっと地域活性化やまちづくりを仕事にしたいと思っていたけれど、会津で過ごすうちに、「プロデューサーやコンサルタントとして自分のまちに関わることはできない」という結論に達しました。「会津木綿がピンチだからこういう施策をするといい」と客観的に提案するような関わり方ではなくて、自分たちが主体として足りていない役割を担おう、と。

学生時代に、地元のお祭りに参加して感じたことも影響しているかもしれません。そこでは同級生がお祭りの主体として太鼓を叩き、高校生たちに教えていたんです。僕にはそれがすごくかっこよく見えて。当時研究していた地域活性化の事例よりも、こっちのほうがよっぽどリアルにまちをつくっているな、本質的だな、と思いました。

メディアに取り上げられるような派手さや新しさはないけれど、脈々と続いてきた伝統や文化を受け継ぐ営み。現在は谷津さんも地域のお祭りや消防団にも少しずつ参加しているそう。会合のときにふと話題にのぼる会津の話が、IIEの仕事をする上でも役立っているといいます。

s_IMG_6901工房のある青木地区は田んぼに囲まれたのどかな地域ですが、決してアクセスがいいとはいえません。製品を売ることを優先するなら、観光客が来る会津若松や喜多方に構えたほうがいいはず。それでもこの場所を選んだのは、ここに会津木綿のルーツがあるからです。

谷津さん:青木地区は“会津木綿村”と呼ばれるほど会津木綿の生産が盛んだったんです。質の高さや生産量から、青木木綿といえば会津木綿の代表格と言われていました。そういう場所に拠点を置いて、みんなに来てもらいたいと思ったんです。

6軒あった織物工場はすべて無くなってしまいましたが、近隣にはかつての職人さんが数名住んでいます。そうした人たちがふらりと立ち寄り、懐かしそうに昔話を聞かせてくれるそう。自然と会津木綿の歴史に触れられる土地なのですね。

s_IMG_6839昨年秋には、近隣の廃工場から青木木綿の織り機を譲り受けました。家屋が雪で崩れかけていたため、持ち主に連絡を取って救出したといいます。

谷津さん:大人4人でようやく動かせるほどの重さで、かなり苦労して運びました。30年間放置されていたものなので、ちゃんと動いてくれるかはわかりません。いま、一台一台綺麗に磨いて整備しているところです。課題はたくさんあるけれど、ひとつひとつクリアして、またこの地で青木木綿を織れるようになりたいと思っています。

s_IMG_6850機械織りはボタンを押せば自動で織り上がるものではなく、人の手で調整を加える必要があります。その技術は人から人へ伝承されていて、資料としてはほとんど残っていません。しかし、以前働いていた人は織り機の前に立つと自然と手が動くそう。地域の人たちに協力してもらいながら、自分たちで生地を生産できるように試行錯誤しています。

谷津さん:会津木綿に限らず、こうした織物事業はどこも衰退傾向にあり、後継者不足に悩んでいます。僕たちのように新しく始めようとする人は珍しいので、たくさんの人から応援してもらっています。それがすごくありがたくて。ちゃんと形にして返さないといけませんね。

s_IMG_6843地域の中で必要とされる役割を果たし、歴史や文化を受け継いで新しい形で世の中に出していく。IIEは“復興”という枠組みを越え、会津の地に根を下ろしたブランドになっていくと感じました。そう遠くないうちにきっと、新しくなった青木木綿を私たちの手に届けてくれるでしょう。楽しみに待ちたいと思います。

 


■IIE
WEB SITE:http://iie-aizu.jp/
WEB SHOP:http://store.shopping.yahoo.co.jp/iie/
以前の記事:http://www.tohoku-manufacture.jp/story/002_story_first.html

2016.5.30