つくり手インタビュー

s_IMG_5034『ふっくら布ぞうりの会』では、月に1〜2度、各地域の編み手が集まって納品会を開いています。2016年3月、石巻で開かれた納品会へ参加し、お話を伺ってきました。質問に答えてくれたのは『南三陸ふっくら会』の後藤祐子さん、『石巻たんぽぽ会』の西村しげさん、木村孝江さんです。

忙しいけど、ここには仲間がいるから

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左から後藤さん、西村さん、木村さん

——『ふっくら布ぞうりの会』の活動にはどんな経緯で参加することになったんですか?

西村さん:私は最初、家を作業場として提供していたんですよ。でも、ただ家を貸すだけだとつまらないから、講習会のとき自分でもつくってみたのね。編んでは解いて、編んでは解いて。そうしたら工藤さんから「編み手として参加したら?」と声をかけられたんです。

——作業場として提供したということは、家はご無事だったんですね。

西村さん:いえ、1階の天井まで水が来て、被災後すぐは使える状態じゃありませんでした。でも、次の年に家を直したので、何かの役に立てればって。ボランティアのみなさんには物資支援でお世話になったし、できることでお返しがしたいと思って、使ってもらうことにしました。

木村さん:私は西村さんから誘われて参加しました。もう30年も前のことになるけど、西村さんの会社で働いていたんです。こどもが生まれるまでの間だから、7〜8年かな。それからずっと娘みたいに気にかけてもらっていて、震災のときも心配して電話をくれたんですね。

そのときに布ぞうりを編んでると聞いて、すぐに「私もやりたい」と言いました。二つ返事でしたね。楽しいですよ、編むのは。

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——後藤さんは、最初はボランティアとして参加されたそうですね。

後藤さん:うちは古川だから、津波は来なかったんですよ。揺れはひどくて家の中はぐちゃぐちゃになりましたけどね。その後、南三陸にボランティアに行くようになって。そこで、布ぞうりの講習会があると聞いて参加してみたの。布ぞうりに興味があったから。それから『南三陸ふっくら会』ができて、どんどん関わる比重が大きくなっていきました。

s_IMG_5054——差し支えなければ、震災時のことを教えてください。

木村さん:私は家にいました。いつか宮城県沖地震が来るって言われてたから、「やっぱり来た」って慌てて。揺れが収まったときは、「ああ、うち潰れないで助かった」って思ったの。でもラジオで「6メートルの津波が来ます」って流れてきたから、「うちも飲み込まれてしまう、逃げねけー」って。

西村さん:私は会議をしていました。最初ぐらっと揺れたときはみんな机の下入ったのね。二回目はすごい揺れだったから外に出て。町内会長やってるもんで、ご近所さんの安否確認しながら帰ってきたんですよ。老人や一人暮しの人の家を回って「逃げて」って言って回って、知ってる人の車が来たら載せて。

それが悪かったのね、娘と一緒に孫を迎えにいこうとするときに、車ごと水に飲まれてどんぶらこどんぶらこって流されて。途中で倒壊した家か何かに当たってぽーんと水面に上がったり、また下がって真っ暗になったり。そのうちに窓ガラスがパーンと割れたもんで、車から出て泳いだんですよ。

s_IMG_5134木村さん:引き波があったはずなのに、内陸へ内陸へ流されたんだよね。何かの障害物で流れが変わったんだろうね。

−−流されている間は脱出できなかったんですか?

西村さん:車の中に水も入ってきちゃったし割ろう割ろうとは思ったんですけどね。金槌がない、ラジオで割ろうか、って言いながら決断できなかったんですよ。

後藤さん:しなくてよかったね。海の近くで割れたら沖へ流されていたかもしれない。生かされたんだね。布ぞうりを編めってことだね(笑)

s_IMG_5128西村さん:そのときは家に帰れば車ももう一台あるし大丈夫って思ってたの。でも、車は流されていたし、家は残ったけど一階の天井まで水浸しで、あららら何もない、って。

木村さん:うちもガラスが全部割れて家の中のものは無くなっててね、代わりによその家のものが入ってきていて。でも、箪笥に入れていた母子手帳は天井に挟まってたの。ああ無事だったっちゃ、って喜びました。

——その後は避難所に入ったんですか?

木村さん:そうですね。次の日になってもごはんはなくて、配られたのは飴っこふたつだけ。お米が来るようになってからはおにぎり握るのを手伝ったりしました。

西村さん:私は家の二階にいました。自宅避難民です。山形の実家から迎えがきて何日か滞在したんだけど、避難所だけじゃなく一般家庭にも物資を供給するっていうニュースを聞いてひとりで戻ってきたの。家族からは止められて喧嘩したけどね。町内会長だから、色々やることがあるんですよ。

s_IMG_5116−−責任感が強いんですね。

西村さん:でも、ボランティアの方にたくさん助けられて、すごく貴重な体験をしました。その人たちとはいまでもつながっていて、うちの町内でお祭りがあるときに遠方から来てくれたり、うちに泊まっていったり。工藤さんともいまでもこうして一緒に仕事ができているしね。それが楽しいし、楽しいだけじゃなくて財産ですね。

——『ふっくら布ぞうりの会』では、編み手のみなさんがフェイスブックのグループページでやりとりしているそうですね。インターネットやSNSは以前から馴染みがあったんですか?

西村さん:いいえ、初めて。いまでもわからないことばかりですよ。でも、「70の手習いなんで、みなさんよろしくお願いします」って書き込みました。間違っちゃうこともあるけど、みんな見守ってくれています。やってみると楽しいですね。これから孫が離れていくけど、フェイスブックで連絡取り合えるなって。

s_IMG_5006−−活動を続けてきて大変だったことはありますか?

西村さん:私はいまね、スランプなんですよ。Dr.スランプ(笑) 前は悩まないで編んでいたんですけどね、踵がうまくできないの。綺麗に丸くならない。自分でもあー下手だな、情けないなってわかるから、できあがったものをまた解いて…。ものづくりってやっぱり毎日携わらないとだめだね、数こなさないと。

私は会社もあるし家では駄菓子屋をやっているし、町内会の仕事もあるので布ぞうりをつくる時間があまりないんですよ。でもね、ここには仲間がいるから。

後藤さん:しげさんがいないと私たちダメだもの。今日も美味しいおいなりさんをつくってきてくれたんですよ。お米一升炊いたんですって。

——みなさん元々お知り合いだったんですか?

西村さん:いえ全然。孝江以外は布ぞうりがご縁で知り合いました。住んでいるところも仕事も環境も全然違う人とこうして親しくなれるのが嬉しいよね。これがものづくりの力というか。

後藤さん:私も震災前はこんな風にたくさんの人と関わるなんて、考えもしなかった。陸前高田に石巻に、どんどん仲間が増えて。私の生活も変わりました。

s_IMG_5040−−『常総Tシャツ布ぞうり』の製作もされていますね。普通の布ぞうりをつくるよりも大変だと伺いました。

西村さん:そう、大変なんです。洗濯した布で編むでしょう、だから生地が硬くてふんわり感がなかなか出ないんですよ。その加減が難しくてね。手も痛くなるし。

でも、私たちも最初は支援してもらったから、お返しするのは当たり前のことだと思う。私たちもまだこんな状態だから「お金集めて寄付しよう」ということはできないけど、常総の生地で布ぞうりを編んで少しでも役立てるなら。

これからまた日本のどこかで何かの災害が起こるかもしれない。そのときは大変かもしれないけど工藤さんに現地へ行ってもらって、もし同じように余った布があったら布ぞうりを編むことで支援できればと思います。みんなお互いさまだから。

s_IMG_5020——今後の目標を教えてください。

西村さん:まずはスランプから抜け出すことですね。前は月1で布ぞうりを編む勉強会を開いていたんですけど、最近は忙しくてできていなかったんです。でも、やっぱり上手な人から教わるのは大事だからね、またやろうと話しています。私ももうちょっと頑張らないと。

後藤さん:とてもいいメンバーが集まっているから、この輪をずっと大事に、長く続けたいなと思っています。s_IMG_5113

2016.3.19