物語前編

原発事故により、福島の農業は大打撃を被りました。いわき市遠野で農業法人を経営していた平子さんは、社員を雇用しつづけるため食品加工メーカーとして再出発する道を選びます。また、福島のお米を使った純米酒の開発など、地域ぐるみでの挑戦も始めました。活動の背景には、「いわきを震災前よりもいいまちにしたい」という想いがありました。

福島の農業はどうなってしまうんだろう

s_syokuzai1平子さんが『株式会社いわき遠野らぱん』を設立したのは2005年のことです。それまでは鉄筋工業の会社を経営していましたが、公共事業削減に伴い年々仕事が減少。「このままでは先細りする一方だ」と、農業分野での起業に挑戦しました。

平子さん:苦楽を共にしてきた仲間の首を切りたくなかったんです。社員の多くは兼業農家なので、農業ならスムーズに移行できるだろうと考えました。

でも、農業って建設業のように計画通りにはいかないんですね。価格は変動する、天候には左右される。それに、私たちが目指したのは無農薬の農家です。食は体をつくるものだし、これからは無農薬の野菜を求める人が増える。そう考えて始めたものの、虫に全部やられてしまった年もあり、頭を抱えました。

最初の数年は厳しい状況が続きましたが、農業指導を受け改善を繰り返し、収穫量は少しずつ上がっていきました。生産した作物を有効活用するため、『とろろ屋半兵衛』『うつつ庵』といった飲食店も開業。また、大手企業の社員食堂でも野菜を使ってもらえることになり、ようやく事業は黒字に転化しました。

東日本大震災が起こったのは、そんな風に希望が見えはじめた矢先のことでした。

平子さん:双葉郡には、うちで鉄筋工事を請け負った火力発電所があります。震災のときはその火力発電所も被害を受け、調査が必要になりました。ところが、放射能の問題があるからどのゼネコンも受けたがらない。ようやく決まったゼネコンの下請けとして、息子と一緒に現場に入りました。

いままで食わせてもらったんだから、協力しないわけにはいかないでしょう。でも、現場に行く前に息子が女房や子どもと涙ながらに抱き合っているのを見て、「酷なことをしたな」と思いました。同時に、「これから福島の農業は苦境に立たされるだろう」と覚悟しました。

事故の収束に動く一方で、平子さんは地元の仲間を助けるためにも奔走しました。水をタンクに積んで必要なところに届け、安否を確認。倉庫が流され保存しておけなくなった会社の食品を老人ホームやホテル、地域に配って回りました。

平子さん:いま振り返ると、あのときは異常な状態だったと思います。ずっと躁状態で全く疲れないんですね。落ち込んだり将来を悲観したりすることも一切なくて。そうしなければ乗り切れなかったかもしれません。

学生時代、先生から常に「みんな何かの使命を受けて生まれてくる。だからそのときが来たら、ちゃんと使命を果たすんだぞ」と言われていたんです。その言葉が鮮明に蘇ってきて、気持ちを支えてくれました。

食品加工メーカーとしての再出発

s_yahoobaner4『いわき遠野らぱん』の農産物は露地栽培だったので、その年に採れたものは全量出荷停止になりました。大口の取引先だった社員食堂への提供も不可能に。しかし、一度取引を中断してしまったら、元に戻すのは困難です。そこで、震災から一ヶ月が経たないうちに、山梨県北杜市で農地を借りて生産を始めました。

平子さん:ところが、ここでもまた苦労続きだったんです。環境が全く違いましたから。山梨は鹿も猿もハクビシンもいます。見事に荒らされ、収穫できたのは2割程度。結局、2年ほどして撤退しました。

山梨で農業を続ける可能性を模索しながら、平子さんはいわきでも諦めず畑を耕していました。震災から一年後には出荷も可能になりましたが、利益は震災前の1〜2割に減少してしまったといいます。

平子さん:いわき土壌の線量は、東京よりも低いくらいなんです。畑は5カ所測るし、収穫物は全て大学や商工会に持ち込んで検査してもらいます。でも、どれだけ客観的なデータを出して問題ないと言っても、福島の野菜というだけで買ってもらえません。これはこのまま農業を続けていてもだめだと思いました。

生産部門は縮小し、食品加工メーカーとして再出発しよう。そう方針転換し、補助金を使って2015年2月に食品加工場を建てました。OEMの受注と自社製品の開発・製造を行う工場です。

s_make工場の建設を後押ししたのは、心臓血管外科医の渡邊剛氏との出会いでした。渡邊医師は東京医科大学や金沢大学の教授などを歴任し、手術の成功率99.6%と言われる人です。

「医師として復興の手助けができないか」という想いをもっていた渡邉医師は、食品加工場の建設計画を聞き、「それなら私たちのチームが患者に勧めているスープを製品化しませんか」と提案しました。

平子さん:野菜の細胞にはリコピンやクロロフィルといった植物栄養素・フィトケミカルが含まれていますが、頑丈な細胞壁に守られているため中々吸収できません。渡邉先生チームは、この細胞壁を分解し、フィトケミカルをまるごと吸収できるようにしたスープを独自の製法でつくっていました。患者さんに飲ませると、手術ができる体力になるそうです。

関係医療機関に卸すだけでなく自社製品として販売してもいいというお話だったので、「ぜひつくらせてください」とお願いしました。

免疫学の教授からも指導を受け、『フィトブロス 陽のしずく』を開発。化学肥料や農薬を使わずに育てた野菜を、実だけでなく皮や種まで丸ごと入れて煮出したスープです。同じフィトケミカルシリーズとして、『野菜のシロップ』『野菜のお酢』といった製品も開発しました。

平子さん:フィトケミカルという言葉は、健康や美容に関心のある一部の人は知っていますが、ほとんどの人にとっては馴染みのないものです。広く受け入れられるまでは時間がかかるでしょう。でも、ほかの人がまだ手をつけていないからこそ挑戦する価値があります。私たちはファーストペンギンとして、市場を開拓していこうと考えています。

2015.12.3