物語前編

東京で30年近くレザーバッグの製作に携わってきた丹野富美子さんは、震災の一年後に福島市にいる同級生たちと「NPO輪プロダクツ」という団体を立ち上げ、革を使ったものづくりをはじめました。活動を始めた背景には、「長期戦になると思われる福島の戦いに傍観者でいてはいけない。何かしなければ」という危機感があったといいます。
持続可能な活動を通して、少しでも故郷を元気づけたい
福島市は福島県中通りの北部に位置し、“桃源郷”とも唄われる花見山と豊かな果樹で有名な都市です。2011年の原子力事故を受け、原発周辺自治体から一万人を超える被災者が福島市に避難してきました。一方、福島市渡利地区では年間の被ばく線量が20ミリシーベルトを超えると予想される地点が一部にあり、自主避難者も出るなど不安と混乱が広がりました。
渡利出身の丹野さんは、そうした状況に憤りを感じていたといいます。
丹野さん:原発事故そのものにも、それに対する行政の対応にも、「おかしい」と思うことが何度もありました。でも、弱者や一般の人たちの声はなかなか届かず、状況は何も変わらなかった。何かしないと世の中の流れに飲み込まれてしまう。こんな状況になってしまった福島だからこそ、新しいことを始めて発信していかないと、と思いました。
丹野さんはレザーバッグブランド『INDEED』の代表兼デザイナーです。触り心地が良く経年変化していく革を好み、タンナーとオリジナルの素材を共同開発してきました。品質の良さと飽きのこないデザインが評価を受け、百貨店の鞄売場など全国50以上のお店で販売されています。
丹野さん:バッグの製造過程では、革の端材が大量に出ます。被災地から福島市に避難している人たちに、この端材を活用して製品をつくってもらい販売できないかと考えました。
寄付のように一時的な支援ではなく、継続的な支援をしたい。そのためには自分が得意とする革を用いた“何か”をするのが一番いい。そんな考えから、まずは福島に避難している方を対象としたワークショップを開催しました。
丹野さん:参加者の様子を見ていて感じたのは、女性は自分で友人をつくってお茶をしたり遊びに行ったりできるけれど、男性は何か機会がなければ家に籠りきりになってしまうだろうな、ということ。革製品づくりの仕事は意外と力を使う作業もあるので、時間を持て余している男性にも手伝ってもらおうと考えました。
しかし、ワークショップは盛況だったにも関わらず、「仕事として取り組みませんか」という呼びかけに乗ってきたのは、一人だけだったそう。
丹野さん:津波の被害を受けた地域では「みんなで一緒に新しいことをしよう」という機運が高まりやすかったけど、福島の原発事故による被災者はあちこちに分散してしまったので、みんなで行動を起こすということが難しかったんだと思います。
でも、一人でもやりたいと言ってくれる人がいたことは、モチベーションを高めてくれました。
革をつなぐ。人とつながる。明日につなげる。
丹野さんの呼びかけに応えた佐野信一さんは、飯館村で畜産業をしていました。200頭の牛を飼い、息子夫婦と孫、ひ孫に囲まれ、賑やかに暮らしていたそう。しかし、原発事故を受けて子どもたちは各地に避難していき、奥さんとふたり暮らしに。ぽっかりと空いてしまった時間を埋める何かを探していたのかもしれません。丹野さんは佐野さんが安心して製作に取り組めるよう、機械や工具を揃え環境を整えていきました。
丹野さん:私は普段東京にいるので、現地で活動をサポートしてくれる人が必要だと思い、地元にいる同級生に協力を依頼しました。それに手を挙げてくれたのが佐藤賀津雄さんと奥さんの圭子さん、土田仁子さんです。このメンバーで「NPO輪プロダクツ」を発足し、現在は土田さんが核となり福島の工房を運営しています。
工房は、空き家になっていた佐藤さんの実家を使わせてもらうことに。佐野さんは玄関横の駐車スペースを改造し、機械を入れて作業場にしました。ずっと屋外で働いていたため、多少の暑さ寒さがあっても、風が入り外の景色が見えるところで働きたかったのだといいます。
最初につくった製品は、型抜きしたパーツをつなげた牛革のレザーベルト。使うほどに艶が出ていき、多少伸縮するため体にもよく馴染みます。ネジを外してパーツを外すことで、長さを調節できるところも特徴です。『Rinn Products』というブランド名で、オンラインショップやINDEED直営店で販売しはじめました。
丹野さん:本物の素材を使っていて触り心地もいいし、手仕事の温もりも感じられる。お買い上げいただいた方からは「このクオリティでこの価格は安い!」「とっても重宝しています」といった意見をいただいています。
キャッチコピーは「革をつなぐ。人とつながる。明日につなげる」。この言葉が、活動への想いを物語っています。
2015.11.18