つくり手インタビュー

s_IMG_3552『ゲラメモ』の製作現場を取材しに、南相馬市鹿島区にある『自立研修所ビーンズ』を訪ねました。ここは就労が困難な人に働く機会を提供し、知識や能力を高める支援を行う施設で、現在20人の方が通所しています。『ゲラメモ』の仕事は、ビーンズのみなさんにどんな影響を与えたのでしょうか。施設長の郡さん(左)、主任の北畑さん(右)、つくり手の菊地さん(中央)にお話を聞きました。

“障がい者”から“職人”へ

ーーまずはビーンズについて教えてください。

郡さん;ビーンズは、南相馬を中心にさまざまな障がい者支援事業を行う『NPO法人さぽーとセンターぴあ』が運営する事業所のひとつです。平成11年に小規模事業所として始まり、その後認可を受けました。震災前は利用者が10人いて、さをり織りの小物製作や資源回収、南相馬市立中央図書館に併設したカフェの運営などを行ってきました。

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——震災時の南相馬はどんな状況だったのでしょうか。

郡さん:南相馬は、震災関連死も含めると福島県で一番亡くなった方が多いんです。地震で家屋は倒壊して、沿岸部は津波で壊滅状態になって。そこに原発事故でしょう。面積の約3分の2が原発30キロメートル圏内だったので、病院も学校も銀行も郵便局も閉まって、物資も来なくて。生活するのも困難な状況でした。元は7万人以上いた人口が、一時期は1万人位に減ったんです。

−−そうした中でも、職員のみなさんは避難しなかったんですか。

郡さん:職員は当時20数名いましたが、ほとんどが避難しました。残ったのは3人。ビーンズの事業所も半壊して使えない状態でした。でも、利用者さんからどんどんSOSが来るんです。障がいを持っている方にとって、避難生活はかなり負担がかかるものです。狭い体育館で周囲に迷惑をかけないようにと緊張しながら暮らすよりは、危険かもしれないけど住み慣れた土地に留まりたい、と考えたのでしょうね。放射能のリスクと避難のリスクを天秤にかけ、前者を選んだ方が一定数いました。

——みなさん、どんな状態だったのでしょうか。

郡さん:親に置いていかれてひとりぼっちになってしまった人もいましたし、ずっと家に籠りきりだった人もいました。食べ物も偏っていたし、生活リズムも乱れてしまって。障がいがある方というのは、そうした環境の変化に繊細なんですね。機能低下が見られたり、心理的に追いつめられて顔つきが厳しくなったり…。家族も辛そうで、共倒れになる前に何とかしなければと思いました。屋内退避の指示が出ていてこの先どうなるかわかりませんでしたが、国と県と市に逆らう形で、4月11日に事業を再開しました。とにかくこの人たちを守らないと、って。結果的に、市は応援をしてくれました。

——震災後に利用者が増えたのはどうしてですか?

郡さん: 4月30日からJDF(日本障害フォーラム)の訪問調査が始まり、物資も届き、ぴあの事業所のひとつが拠点になったので、利用者さんや障がい者手帳を持っている人のお宅を回ったんです。いままで接点のなかった人も事業所に来るようになって、活動の様子を見て「私も参加したい」と言う人が何人もいて、あっという間に倍になりました。ほかの事業所は再開していなかったから、行くところを必要としていたんでしょうね。

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——当時はどんな活動をしていたのですか。

郡さん:さをり織りや雑巾づくりです。以前から受けていた公園清掃のお仕事もあったので工賃は払えましたが、本当にわずかでした。最初はみんなで集まって何かをするだけでよかったんです。でも、少しずつ「もっと工賃がほしい」という声が聞こえるようになって。その頃、うちの代表がイベントで羽塚さんと知り合い、状況を相談したところ『ゲラメモ』を提案してくださいました。

——『ゲラメモ』のアイデアを聞いてどう思いましたか?

郡さん:正直に言うと、「これは難しいな」と思いました。最初は代表と私がつくり方を教わったんですが、工程が複雑だったので、「誰にでもできる仕事じゃないな」と。

でも、羽塚さんが話していた「日本古来の技術で職人を育てたい」という言葉にとても共感したんです。障がいのある方って、何かに秀でていたり、ひとつのことに根気強く取り組んだりできるんですね。「これだけは誰にも負けない」という職人技を身につけたら、障がい者じゃなくて、ひとりの人間として立っていけるじゃないですか。

——利用者のみなさんの反応はいかがでしたか。

郡さん:やっぱり難しくて、つくれるようになったのは菊地くんと佐藤さんのふたりだけ。ふたりとも、手がすごーく器用なんですよ。それでも、綴じの部分や銀紙を貼るところはできるようになるまで一年ほどかかりました。だから、最初は職員が工程の一部を担当していたんです。それがいまでは最初から最後までひとりでできるようになりました。

北畑さん:発注がたくさんあって忙しいとき、最後の縫いの作業を「こっちで縫っておくから」って2冊だけ私が担当したんです。そしたら、その2冊が検品で引っかかっちゃって(笑)もう私たちよりもずっと上手ですね。

郡さん:中央図書館で和綴じの講習会を開いたことがあるんですが、そのときは菊地くんが講師役を務めました。和綴じに興味がある人って多いんですね。定員20人が満席になって、当日も好評で。菊地くんも自信を持ってくれたみたいです。私が電話をしているときに『ゲラメモ』という単語が出ると、「僕の出番かな?」という感じで待っていてくれるんですよ。「自分の仕事なんだ」と責任感を持ってくれているんですね。

ふたりだけでしたが、こんな風に利用者さんが光る仕事をつくれたことが嬉しくて。羽塚さんの見立てはさすがだったな、と思います。

s_IMG_3531——平原さんは「最初の頃は思うように売れなくて申し訳なかった」とおっしゃっていましたが…。

郡さん:でも、随分良くしてくれたんですよ。売れたら支払う、という形ではなくて、月に何冊と決めて買い取ってくださって。一方的に仕事を発注するのではなく、現場のことを考えながら進めてくれました。福祉事業所のこと、障がい者のことをよくご存知なんですよね。

北畑さん:検品のときも写真を元に「ここがこうなっていたのでやり直しをお願いします、改善策としてはこうすればこうなります」と丁寧に教えてくれて。言いっぱなしじゃなくて改善策も示してくれたから仕事しやすかったです。

郡さん:こだわりがすごくあるんですよね。すべてに意味がある。私たちは福祉への熱い想いは持っているけど、コンセプトやデザインを考えたり売れるものをつくったり、っていうところはセンスがないんです。そういう一番苦手なところで手を組めたのが大きかったですね。

得意なことを活かせる仕事

s_IMG_3530では、つくり手の菊地さんはどんな想いで『ゲラメモ』に関わっているのでしょう。声をかけると、菊地さんはさをり織りの名刺入れから名刺を取り出し、挨拶をしてくれました。

——まず、『ゲラメモ』のつくり方を教えていただけますか?

菊地さん:はい。最初に、チェックありとチェックなしのゲラを交互に入れて、クリップで留めます。

s_IMG_3510菊地さん:端に穴を開けて、ティッシュでこよりをつくって詰めていきます。これが終わったら、角に銀紙を貼ります。貼ったものがこちらです。

s_IMG_3512菊地さん:次は表紙をつくります。こうして包んで糊で貼ります。

s_IMG_3513菊地さん:表紙を中身の上に置いて、穴を4つ開けます。

s_IMG_3516菊地さん:専用の糸で綴じていきます。順番通りに針を通していって、最後に玉止めして糸を切れば完成です。

s_IMG_3529——すごい。料理番組のように各段階のものを用意してくださっていたので、とてもわかりやすかったです。難易度が高そうに見えますが、菊地さんは以前からこういう仕事をしていたんですか?

菊地さん:いえ、折り紙が得意で、でも仕事じゃなくて趣味としてつくっていました。ビーンズに来る前は富岡にいて、そこではラベンダーを詰める仕事をしていました。

菊地さんがつくった折り紙の飾り花。

菊地さんがつくった折り紙の飾り花。

——じゃあ、ここで手先の器用さを活かせる仕事に出会った、ということなんですね。最初からこんな風に上手にできたんですか?

菊地さん:最初はできなかったです。「順番どうなってるのかな」ってわからなくなって。銀紙の貼り方も、ずれちゃったり皺ができたり、なかなか綺麗にできなくて。あとは綴じ方かな。糸がよれたりしていました。

——何度も練習を重ねた結果、ここまでできるようになったんですね。『東北和綴じ自由帳』のときは、発注がたくさんあって大変だったのではないですか。

菊地さん:でも、あっちは最初から穴が開いていたし表紙も用意されていたから楽でした。ぼくも一冊買って、ここの予定表を書いています。

——『ゲラメモ』もそうですが、「もったいなくて使えない」とよく言われませんか?

菊地さん:はい、言われます。あとですね、和紙でつくったノートもあるんです。これはゲラではなく普通のノートで、表紙だけ和紙を使っています。

s_IMG_3538——わぁ、綺麗ですね。こちらはどこで販売しているんですか?

菊地さん:図書館にあるカフェビーンズで、350円で販売しています。いろんな色合いがあるので、ぜひ見てください。

郡さん:『PRe Nippon』さんからご承諾をいただいて、自主製品もつくらせていただいているんです。

——身につけた技術をいろんな形で応用するのは素晴らしいですね。

菊地さん:本当は、ひとりでつくっているんじゃなくて、佐藤さんという方とふたりでつくっているんです。今日はお休みで残念です。

s_IMG_3535——『ゲラメモ』を応援している人や興味を持っている人に向けて、何かメッセージがあればお願いします。

菊地さん:えーと、気兼ねなく使ってもらえたらと思います。

——ありがとうございました。

震災を乗り越えて

s_IMG_3557この日、ビーンズでは『ゲラメモ』の製作以外にも、Tシャツのシルクスクリーンプリント、缶バッジづくり、野球ボールのリサイクル、さをり織りなどさまざまな作業をしていました。話しかけると、利用者さんはにこにこと説明してくれます。この雰囲気の良さはどこから来るのでしょうか。再び郡さんにお話を伺いました。

——菊地さんはこちらの質問の意図を汲み取って答えてくれて、写真を撮るときには動きを止めてくれて、取材慣れしているなと感じました。普通の人よりも気配りが上手というか、障がいがあるようには見えませんでした。

郡さん:取材に関しては慣れもあると思います。でも、最初の頃はあんまりほかの人と関わろうとしなかったんですよ。お母さんからも「人見知りで、急な予定変更も苦手」と聞いていました。それが、得意な仕事ができて自信がついたからでしょうか、周囲に気配り目配りをしてくれて、人間関係を築くのも上手になって。予定変更があったときも「はい、わかりました」と柔軟に受け入れてくれます。成長した…というとおこがましいかもしれませんが、良い方向に変わったなと思います。

s_IMG_3521——ほかの利用者さんもフレンドリーですね。

郡さん:震災直後はこんな風にみんなが笑顔でいられるなんて想像できませんでした。何気ない言葉を悪く捉えて暴れてしまう人もいたし、トラブルが絶えなかったんです。やっぱり、こどもの頃にいじめられたり虐待されたりしてトラウマを抱えているケースが多いんですね。そこに震災が重なって、慣れない避難生活や家族・ペットとの離別を経験して、更に状態が悪くなっていて。バリアを張って、傷つく前に攻撃するような感じでした。

——どうやってそういう時期を乗り越えたんですか?

郡さん:攻撃的になるにはやっぱり理由があるんですね。だから、怒って手がつけられない状態でも、全部話を聞きました。その上で、「わかった、でもね、そういう意味で言ったんじゃないんだよ」とこちらの気持ちも伝えて。

——根気強く向き合ってきて、いまがあるんですね。

郡さん:そうですね、根気強く、辛抱強く。みんな大変な想いをしたことはよくわかっているから、安心して来ることができる居場所をつくろう、楽しく過ごせる場にしよう、という一心でやってきました。全く喋らなかった人がいまではうるさいくらいになったり、問題を起こしていた人が「仕事大好き」「毎日楽しい」と笑っていたり…。こうして落ち着いた状態になってほっとしています。

見学や取材も利用者さんの励みになっているんですよ。自分の仕事に注目してもらえる、気持ちを口に出して喋るというのは、心の安定につながるんですね。やっぱり、自分の役割があるって、嬉しいじゃないですか。

——ちなみに、震災後は仕事がなかったということですが、いまは安定したのですか。

郡さん:おかげさまで少しずつ上向きになって、月平均1万8500円を工賃として渡せるようになりました。ビーンズは「就労継続支援B型事業所」に分類されるんですが、同じタイプの事業所の平均工賃は約1万4千円です。全国平均を上回ることができました。また、ボーナスも年に2回出しています。微々たる金額ですが、利用者さんにはとても喜ばれているので、これからも頑張らないと、と思っています。

s_IMG_3568——今後の展望があればお願いします。

北畑さん:『ゲラメモ』でいうと、平原さんが結婚式の引出物として依頼してくださったときのように、その人に思い入れのある紙を使ったオリジナルの『ゲラメモ』をつくれる体制を整えたいなと思います。こちらも手間暇かけて気持ちを込めてつくっているので、あんな風に使ってもらえるのは幸せだなと思いますね。

郡さん:『ゲラメモ』の製作を通して、「ものをつくって販売するってこういうことなんだな」と学ばせていただいた気がします。想いとか、コンセプトとか、検品とか、パッケージとか、そういうものが総合的にひとつの製品になって人の手に届くから、どの工程も手を抜けないなって。ほかの製品をつくるときも、意識するようになりました。

震災後、正直に言うと「事業所を続けるのは難しいかな」って思ったこともありました。でも、全国の人が関わってくれて、こうして持ち直すことができて。たくさんの応援を受けて生まれた『ゲラメモ』なので、長く続けていきたいなと思います。

2015.12.9