物語後編
みんなでつくったキャンドル工房
『ともしびプロジェクト』の工房は、ワインバーから始まり、商店街の倉庫、仮設住宅の一角と、空いているスペースを借りて転々としていました。次第に移転に疲れ、工房を本設したいと考えるようになったそう。気仙沼南町に空き物件を見つけ、大家さんに交渉して借りることにしました。
建物はひとつですが一階がふたつに区切られている少し変わった造りで、右側はキャンドル工房、左側はシェアオフィスにすることに。大家さんがお金を出して建物を直すことはできないけれど、自分で修繕するなら好きに使っていい、工事中は家賃はいらない、という条件だったといいます。
杉浦さん:でも、津波を受けて壁とかガラスとか何も無くなっていて、ひどい状態で。どうすっかなと思っていたときに、カブで日本一周している人が気仙沼に来たんですよ。僕も旅をしていたから、旅人が集まるんですね。で、聞いてみたら一級建築士で、一年世界を旅したあとに飛騨高山の地元で起業するつもりだっていうじゃないですか。「これは来たぞ」と思ってここに連れてきて、「ここにキャンドル工房つくりたいんですよ。言ってる意味わかりますよね」って(笑)
彼も面白がってくれて、毎日一緒に寝泊まりしながらあーしようこーしようって話し合いました。彼にとってこの工房は、独立して最初の作品なんですよ。
一級建築士が来た一週間後には、土木屋をしていた若者が日本一周の途中で気仙沼に立ち寄ったそう。ところどころ剥がれてでこぼこだった床を見せると、コンクリートを流して整備してくれました。彼はその後木工にも取り組みはじめ、あちこちからリフォームを頼まれるように。ついには気仙沼に住民票を移してしまったそう。
杉浦さん:そんな風に、入れ替わり立ち替わりたくさんの人が訪れて工事を手伝ってくれました。女性もいたし、海外から来た留学生もいたし。資材は捨てる予定の木材をもらってきて、ヤスリがけして使って。壁もお洒落って言われるけど、ボランティアの子が適当に取り付けたから、結構ガタガタで。でもそのかっちりしてない感じがいいのかな。
完成までに、100人以上の手が入っていると思います。壁の内側には、施行した人の名前が書いてあるんですよ。とにかく、いろんな人に関わってもらって、「自分がつくった場所だ」って愛着を持ってほしかったんです。そうすれば、また来たくなるでしょ。
工房は2014年7月に完成。お母さんたちがキャンドルを製作するだけでなく、販売やワークショップもできる場所です。毎月11日には、『TOMOCAN』の中にLEDライトを入れ、一晩中照らしているそう。南町の小さなランドマークとなりました。
震災から時間が経ったいまだからこそ
震災後すぐに被災地に来てその惨状を目の当たりにし、「できることがあればやろう」と強く思ったという杉浦さん。できることを積み重ねてきた結果、いまがあります。
杉浦さん: 僕自身の生活も激変しました。会社もつくったし、結婚もしたし、こどもも生まれたし。いろんなことに挑戦するフィールドを与えてもらっていると思うと、ありがたいです。こんなことがなければ定住や起業もしていなかっただろうし、そうしたら結婚なんてしなかっただろうしましてやこどもなんて考えられなかったでしょうね。人生が変わってしまいました。
震災から4年半が経ち、被災地以外の場所では、震災のことが忘れられつつあります。でも、そうした中でも『ともしびプロジェクト』のフェイスブックページには全国から写真が寄せられていて、被災地に気持ちを寄せる人がまだまだたくさんいることを教えてくれます。

上海から届いたともしびの写真
杉浦さん:「忘れない」という言葉の重みが増してきている感がありますね。いまだからこそ必要、というか。
正直、忘れることはしょうがないと思うんです。でも、何かきっかけがあって関わりはじめたら、すげえいいなと思うことがたくさんあるし、俺なんてもう住んじゃってるし、ごはんが美味いとか人が面白いとか魅力は色々あるので、一度来てみてほしいです。
被災地に応援に行きたいと思いながらも仕事や家庭の事情で行けず、「もう遅い」と思っている方もいるかもしれません。でも、東北の海沿いのまちにはいまも津波の爪痕があちこちに残っているし、嵩上げ工事も進んでいます。それを見て、現状を知ってもらうだけでもいいと、杉浦さんは話します。
杉浦さん:何より、まちの人がみんなストーリーを持っているんですよね。震災当日のこと、いままでの歩み。話を聞くだけで、「あー俺も頑張ろ」って背中を押される気持ちになる。なかなかできない経験だと思います。
『ともしびプロジェクト』としての今後の目標は、まずは売上を安定させること。新商品の開発に販路の拡大、企業とのコラボレーションなど、やりたいと思っていることはたくさんある様子です。
もうひとつは、若者に挑戦する機会を提供すること。気仙沼に残っている10代、20代が面白いことを仕掛けていける仕組みをつくろうと画策しているそう。若者から「こういうことをやりたい」と相談されたときは、基本的に引き受ける前提で、どうやってやるかを一緒に考えるといいます。
杉浦さん:若いうちからまちの活動に顔出していれば、どんどん経験値が上がっていって、30代になったとき自分たちで何かを起こせるようになるんじゃないかな、と思います。若い奴らが、「自分たちがまちをつくっていくんだ」ってイメージできればいいですよね。
2011年の夏、地元のおじさんたちと一緒に気仙沼のこれからを話し合ったときのことが、強く印象に残っているという杉浦さん。そのとき思い描いた未来は、トライ&エラーを繰り返しながら少しずつ形になっています。きっとこれからも、気仙沼に新しいものを生み出してくれることでしょう。
2015.7.29