物語前編

「赤ちゃんのおなかを空かせたくない」。気仙沼で被災した佐藤賢さんは、自身も7か月の赤ちゃんの父親であったことから、『ピースジャム』という団体をつくって母子への物資支援活動を始めます。時間の経過と共に、活動内容はお母さんたちが安心して働ける職場づくりへとシフトしていきました。
「イギリスから物資として送られてきて重宝したモスリンスクエアの日本版をつくることができないだろうか?」——そんなアイデアから生まれた『ベビーモスリン』は、全国のお母さんたちに愛される製品となりました。

何が起こっているのか全くわからなかった震災当日

s_IMG_0678佐藤さんは気仙沼生まれ気仙沼育ち。社会人になってからは仙台を中心に居を転々としますが、病気になった親を看病するため、27歳のときに気仙沼に戻ってきました。

佐藤さん:地元で何の仕事をしようかと考えたときに、「気仙沼は魅力ある地域だけど面白い場所がない。自分でつくろう」と思って、海沿いに『ルードジャム』というブルースバーを開きました。もともと、音楽とお酒が好きだったから。

常連客にも恵まれ楽しい日々を送っていた佐藤さんですが、2011年3月11日を機に、人生が激変します。

その日、佐藤さんは仕事が休みだったため、家で奥さんと生後7か月の赤ちゃんとのんびり過ごしていました。凄まじい揺れに建物倒壊の危険を感じ、すぐに避難を開始。大津波警報が出ていたため、「津波なんて来ないだろうけど、とりあえず高いところへ行こう」と車で高台にある『市民の森』へ逃げました。

佐藤さん:数時間はそこにいたんですが、携帯も繋がらないし、状況が全くわからないんです。「ひとまず必要なものを取りに帰らないと」と家に向かったところ、途中で車が半分水に埋まってしまって、「うわっ何だ!?」とすぐにバックして。そのときは状況が飲み込めていなくて、「水道管でも破裂したのかな?」なんて思っていたんですね。あとから振り返るとそれは津波の第三波で、ちょうど穏やかなタイミングだったから良かったけど、少しズレていたら飲み込まれていたかもしれません。

佐藤さん一家は家に帰ることを諦め、気仙沼高校に避難しました。そこでは「家が流されていた」「遺体が浜に数百体打ち上げられている」といった情報を耳にしましたが、「そんなことがあるわけないだろう」と信じられなかったといいます。

震災翌日の気仙沼。ルードジャムがあった場所にて

震災翌日の気仙沼。ルードジャムがあった場所にて

佐藤さん:ただ、バーが気になったので、翌朝すぐに見に行ったんです。「アンプとかギターとか、カウンターの上に上げてくればよかったな」なんて呑気に考えながら。そうしたら、途中からもう瓦礫だらけで、家はひっくり返っていて。丈夫なエンジニアブーツを履いていたからどんどん乗り越えて漁港付近までたどり着いたんですが、バーは跡形もありませんでした。綺麗さっぱり無くなっていたので、悲しいとも思わず、ただただ驚きましたね。

赤ちゃんとお母さんを守りたい

s_image呆然としながらも、津波による被害の大きさを認識しはじめた佐藤さん。ひとまずは赤ちゃんのミルクを買いに行こうと、営業している店を探して車を走らせました。

バイパス沿いに開いている薬局を発見しますが、既にミルクは売り切れ。そこでは赤ちゃんを抱えたお母さんたちが、「母乳が出ないから、ミルクがないと困るんです」と店主に詰め寄っていました。店主がいくら「ない」と説明してもお母さんたちは引きません。着の身着のまま逃げてきて、移動手段もなければ頼る人もなく、パニックになっていたのでしょう。佐藤さんは「これは非常にまずい状態だ」と感じたといいます。

佐藤さん:バーから戻る途中で、亡くなっている方をたくさん見て、死がすごく近いところにある状況だと感じました。もしこのままミルクが手に入らなかったら、赤ちゃんの命も危ない。そうなったらこのお母さんは地獄の上に地獄を見ることになります。自然災害はある意味で仕方のないことだけど、生き残った命、手を貸せば生きることができる命は守りたいと思いました。

パニックになっていたお母さんにミルクを買ってくることを約束した佐藤さんは、あちこち探しまわり、ようやく古川でミルクを発見。前日のバーの売上を使い、10万円分のミルクを購入しました。しかし、避難所で必要としているお母さんに配ると、一瞬で無くなってしまったそう。「これが無くなってしまったらどうすればいいのか」と不安げな表情を浮かべるお母さんたちに、佐藤さんは「またミルクを買って持ってきます」と約束しました。

佐藤さん:僕は別に、お金持ちというわけではありません。でも、自分のこどもが生まれたときにすごく感動して、「赤ちゃんって生命の象徴だな」と思ったんです。そんな祝福されるべき存在を危険にさらしたくない。おなかを空かせたくない。バーも無くなってしまったし、しばらくは赤ちゃんとお母さんを守る活動をしようと決心しました。それから2週間ほどで、共感してくれる人がどんどん現れて、男ばかり15人の母子支援チームができあがりました。

震災直後の避難所は衛生状態が悪く、赤ちゃんの夜泣きに苦情を言う人もいたため、半壊した家に帰るお母さんもいました。しかし、一度家に戻ってしまうと、物資が届きにくくなります。役場も被災していて手が回らないことがわかっていたので、佐藤さんたちは全戸訪問して赤ちゃんのいる世帯を把握。「俺たちは食べなくてもいいから、その分を赤ちゃんに回そう。そのほうが男前だろう」と、必要な食料や物資を配りつづけました。

佐藤さん:ブログにそうした近況をアップしたところ、「現地に手伝いに行きたいけど行けないから、せめて物資を送らせてほしい」という人が現れたんです。そうしたら「私も」「俺も」とどんどん支援してくださる方が増えていって。北海道から沖縄まで、全国から物資が届くようになりました。正直、自分たちも被災していて「このままだと破産する」という状況だったので、すごく助かりました。

仮設住宅へオムツやミルクを届けにいく佐藤さん

仮設住宅へオムツやミルクを届けにいく佐藤さん

さまざまな奏者が関わりあうことによってひとつの曲を奏でるジャムセッションのように、たくさんの人に参加してもらって平和な日々を取り戻したい。そう願いを込めて団体名を『ピースジャム』と命名。支援する母子も気仙沼に限定せず、東北全域から東京に避難している母子にまで広げ、最終的には400世帯をサポートするようになりました。

売れなくなってしまった農産物でジャムづくり

s_IMG_9226震災から2か月が過ぎる頃になると、物資は足りるようになってきました。代わりにお母さんたちから挙がってきたのは、「旦那の海の仕事が再開するまで、私が稼がないといけない。仕事がほしい」「仲のいいママ友がいなくなってしまった。子育ての悩みを共有できる場所がほしい」という声です。佐藤さんは子育てしながら働ける職場を探しましたが、そんな職場は見つかりません。「ないならつくるしかない」と、お母さんたちが働ける仕事づくりに乗り出すことにしました。

同じ頃、東北の農家は放射能問題に苦しんでいました。基準値内の農作物でも売れず、出荷量が激減していたのです。佐藤さんはこの問題にも関心を寄せていました。

佐藤さん:子育て中のお母さんが働ける職場がないこと、農業が儲からず高齢化が進んでいること。どちらも、震災前から地方が抱えていた課題が表に出てきたんだ、と感じました。そこに震災が重なったことでダメージが深刻になったわけですが、考えようによってはチャンスかもしれない。見えないところでゆっくりと進行していた課題を食い止めるならいまだ、と思いました。

農家の野菜を活用することでお母さんが働ける職場が生まれ、そのことで農家も潤っていく。お互いがお互いを助けあう関係を生み出そうと考えました。

佐藤さん:ちょうどその時期に、マクロビオティックやヨーロッパ薬膳の先駆者的存在のオオニシ恭子さんが気仙沼にやってきました。オオニシさんは70過ぎの女性で震災前は海外にいたんですが、長年培ってきた知識と経験をもとに、放射能から体を守る食療法の講演会を全国で開いていたんです。状況を説明すると、「マクロビオティックの野菜ジャムをつくったらどう?」と提案してくれました。「団体名もピースジャムだし、ちょうどいいんじゃないか」って。

s_IMG_4197_convert_20120312154828佐藤さんたちはオオニシさんの指導を受け、さっそく試作を開始しました。厨房設備があり、製作したものを販売することができる場所が市内にはなかったため、一関市の公民館で作業することに。お母さんたちは「ここに来ると元気になるから」と、毎日のように1時間かけて車を走らせ通ってきたといいます。

佐藤さん:同じような境遇のお母さんたちが集まると、自然と不安や悩みを吐露しあうんですね。抑えていた感情を一通り吐き出すと、人って自然と前を向くようになるんです。

あるとき、ひとりのお母さんが泣きながら「こういう場をつくってくれて、本当にありがとうございます」って言ってくれました。正直、物資支援をしていたときはしんどいことばかりだったから、その言葉がすごく嬉しくて。感謝されたくてやっていたわけじゃないけど、「続けてきてよかった」と思いました。

試行錯誤の末、「トマト」「キャロット」「オニオン」の3種類が誕生し、2011年10月に発売。「食べること、買うことで支援したい」と全国から注文が入り、幸先の良いスタートを切りました。

その後も「より良いものをつくろう」と改良が加えられ、フルーツを使った3種類のジャムも仲間入りしました。現在は6種類×2サイズの12製品を販売しています。

2015.7.24