物語前編

震災直後の南三陸には、自身も何らかの形で被災しながら、より大きな被害を受けた人たちのために献身的に行動する住民がたくさんいたといいます。
非営利団体オアシスライフ・ケアのボランティアとして南三陸を訪れた國分圭介さんは、そうした住民たちの姿に心を打たれて南三陸に通うように。交流を深める中で誕生したのが、地元のお母さんたちによる革細工製品の『SHIZU革』です。
「私を助けて」ではなく、「あの人たちを助けて」
國分さんは震災前、
國分さん:沿岸部の被害の大きさを知り、ボランティアに行こうと考えたんです。スコップや長靴を揃え、被災地へ向かうボランティアバスに乗り込もうとしました。でも、行ってみたら長蛇の列で乗れなくて。「仕方ない、翌日また挑戦しよう」と思っていたときに、オアシスチャペル利府キリスト教会の松田牧人牧師から電話がかかってきました。僕もクリスチャンで仙台市内の教会に通っていたので、以前から面識があったんです。
震災直後から利府で給水支援を開始したオアシスチャペル利府キリスト教会は、『オアシスライフ・ケア』というボランティア団体を発足し、沿岸部へも支援を広げようとしていました。相談を受けた國分さんはその想いに共感し、一緒に活動することに。同年5月、壊滅的な被害を受けた南三陸町を視察しました。

震災から数ヶ月後の南三陸
國分さん:仙台や利府も被害は受けましたが、それとは比べ物にならない惨状でした。比較の問題ではないのかもしれませんが、「何から手をつけたらいいんだろう、このまちはどうやって復興していけばいいんだろう」と言葉を失ってしまって。
でも、南三陸にはそんな状況下でも「私を助けて」ではなく、「あの人のほうが困っているからあの人を助けて」と周囲の人を思いやる方がたくさんいたんです。それに、行政や外からの支援を待つのではなく、自分で水道や道路を直し、家まで建ててしまった方もいました。そうした献身的な姿勢や逞しさに心を打たれてしまって。
支援を必要としている地域は南三陸のほかにもたくさんありましたが、「この人たちと一緒に活動していきたい」と思いました。
オアシスライフ・ケアのもとには、キリスト教のネットワークから多くの支援物資や寄付金が寄せられました。國分さんが物資を南三陸に運び、地元のお母さんたちが住民に配る。そうした体制ができていきました。
國分さん:家が流されずに残ったお母さんたちが、「お世話係」として動いてくれたんです。僕たちは外の人間なので、どこにどんな人がいるかわかりません。お母さんたちと連携できたことで、必要なものを必要な人に届けることができました。
失敗を繰り返しながらたどり着いた革細工
オアシスライフ・ケアが活動指針として決めたのは、「今日の必要を満たす働き」「明日の必要を満たす働き」「永遠の必要を満たす働き」という3つの働きをすること。「今日の必要」とは生活物資の供給やボランティアの斡旋など、緊急の必要に応える働き。「明日の必要」とはこれからの日々を生きていく励ましとなるような働き。「永遠の必要」とは、心のケアにつながる働きです。
物資支援を通してお母さんたちとの交流を深めていった國分さんは、「明日の必要を満たす働き」として、お母さんたちに内職仕事を提供できないかと考えるようになりました。
お世話係のお母さんたちは、家こそ残ったものの、仕事を失ったり、家族と離ればなれになったりしていて、大なり小なりストレスや寂しさを感じていました。そんなお母さんたちに必要なのは、「小さな収入を得られる仕事」と「みんなで集える場」ではないかと考えたのです。
ただ、内職仕事を1からつくりあげるのは、想像以上に大変でした。ガラス細工や縄細工を試してみましたが、コストや機材の価格、工程の難しさ等から断念。國分さんは途方に暮れてしまったといいます。
國分さん:ほかのスタッフも交えて相談していたんですが、「ものづくりって難しいね…」とどんよりムードで。でも、スタッフのひとりがペンケースに革のキーホルダーをつけていて、「あっ、革細工は?」と声が挙がって。
お世話係のお母さんたちが住んでいるのは、南三陸の中でも志津川という地域です。僕、昔からダジャレが好きなもので、「志津川で、SHIZU革!」ってピーンと来ちゃいまして(笑)何の根拠もなかったんですが、ネーミングだけで「これはイケる!」と確信してしまいました。
革細工の経験がある人はひとりもいませんでしたが、ものづくりが好きな知人の協力のもと、革の紐を編んでつくるブレスレットやキーホルダーを試作。ガラス細工や縄細工と比べるとつくりやすかったため、11月にお母さんたちを集めて説明会を開きました。
しかし、お世話係のお母さんたちは50〜60代が中心です。新しいことに挑戦するのは容易なことではありません。最初はあまり上手くつくれず、「やっていけるのかしら…」と悲壮感が漂っていたといいます。
國分さん:ただ、みんなで集まって話をすること自体は、必要とされているなと感じました。そこで、「品質が伴っていなくてもいいから、まずはやってみよう」ということになったんです。練習を重ねた後、12月に教会のネットワークを通して試験販売をしてみました。
お母さんたちは精一杯取り組んでいましたが、まだまだ品質は低い状態です。でも、購入してくださった方からは、思いのほか好評で。お世辞ではなく、「素敵ですね」と言ってくださって、周囲にも広めてくださったんです。そのおかげで「あ、自分たちが思っているほど悪くないんだな。このまま練習していけばいけそうだぞ」と自信がついて、一般販売に踏み切ることができました。
浅草の革問屋さんとの出会い
SHIZU革製品の革紐は、浅草の革問屋さんから仕入れています。この革問屋さんとの出会いも、運命的でした。
國分さん:協力してくれる革問屋さんを探しに、浅草に行ったんです。事前に調べたお店を片っ端から訪問したんですが、協力を得るには至りませんでした。
すっかり意気消沈してしまいまして、とぼとぼと歩いているうちに道に迷ってしまいました。でも、ふと顔を上げたら目の前に革問屋さんがあったんです。だめもとで入ってみたら、そのスタッフの方が親身に話を聞いてくださって。協力してもらえることになって、思わず涙ぐんでしまいました。
革紐は、職人さんがSHIZU革用に製作してくれることになりました。規格の厚みに漉いて、均一の幅にカットして、折り畳んで貼り合わせて。完成するまでには7つもの工程を経るそう。どの工程にも繊細な感覚が必要で、國分さんは熟練した職人の技に感銘を受けたといいます。
國分さん:販売からしばらくして、製品にオリジナリティを持たせるため、SHIZU革のシンボルマークを刻印した革のタグをつけることになりました。そこで出会った抜き型職人さんや型押し職人さんの細やかな仕事ぶりにも、圧倒されました。
浅草の職人さんたちの繊細な手仕事と、志津川のお母さんたちの想いのこもった手仕事が繋がってSHIZU革が生まれる。そう考えると、より誇りを持てるようになりました。
この職人さんたちを紹介してくれたのも、革問屋さんなんです。SHIZU革を製作面から支えてくれるキーマンですね。
シンボルマークは、南三陸の町の鳥であるイヌワシにしました。聖書の中にも、「つまづき倒れた人が、神に力をもらって鷲のように翼を張る」という意味の文章が出てきます。「SHIZU革が鷲のように羽ばたき、復興のシンボルになるように」という願いを込めてタグに刻印しています。
2015.5.30