物語後編

大事な大漁旗を、余すところなく使いたい

s_tkeyholder_追加画像①(写真提供:南三陸町観光協会)

大漁旗ハンチングは大人気商品となりましたが、ひとつ困ったことがありました。中途半端な形の端切れがたくさん出るのです。漁師さんたちから預かった大事な大漁旗なので、残った部分を捨てるわけにはいきません。菅原さんはまず、端切れを使ったキーホルダーをつくることにしました。

菅原さん:牧野さんという女性の町民がキーホルダーをつくっていて、震災前にボックスショップに出品していたことを思い出して。「あれならこの布地を活かせるかもしれない」と思って、依頼しました。

キーホルダーはシンプルな形なので、大漁旗の鮮やかな色や手染めの風合いが際立ちます。ハンチングは派手なので使う人を選びますが、キーホルダーなら万人受けするところもポイントでした。

s_tpouch_追加画像⓪(写真提供:南三陸町観光協会)

長さが足りずキーホルダーにもできない端切れは、ミニポーチや巾着、コースターの一部に模様として使うことに。こちらも町内の女性に依頼して製作してもらっているとか。

菅原さん:元々手づくりを楽しんできた方々ですが、観光協会の依頼を受けて製作するとなると気合いが入るそうです。よりたくさんの人に見られるようになって、メディアに取り上げられたりもして。観光協会がオリジナル製品をつくることが、町民のみなさんが表に出ていくことにつながったらいいな、と思っています。

現在、『みなみな屋』はネットショップから実店舗へと変化を遂げ、南三陸ポータルセンター内で営業をしています。店内には、大漁旗グッズだけではなく、町内で生産される手づくり品がずらりと並んでいました。展示販売するだけでなく、外部から講師を呼んで勉強会を開き、一緒に製品をブラッシュアップしていく試みもしているといいます。

いつでも戻ってくることができる南三陸へ

s_IMG_9405菅原さんは現在、隣町から車で南三陸町へ通ってきています。津波によって家は流され、ご主人が勤めていた会社は潰れました。小さな子ども2人を含めた一家4人が暮らしていくためには家と仕事が必要で、やむなく隣町へと移住。それでも菅原さんは、南三陸で働きつづけることを選びました。

菅原さん:私たち以外にも、さまざまな事情でどうしても南三陸を離れなくてはいけなかった人はたくさんいました。故郷を捨てたような後ろめたさを感じている人もいると思いますし、残された人の中には寂しさを感じている人もいると思います。でも、離れたからといって南三陸のことを思っていないわけじゃないし、遠くにいてもつながることはできます。出ていった人と残った人のつながりが断たれることがないようにしたいな、と思っています。

菅原さんの子どもたちは時折、南三陸を訪れて海を眺めるそうです。何年経っても、風景が変わってしまっても、ふるさとはふるさと。生まれ育った土地の空気は、人を安心させます。菅原さんは、「南三陸で育った子どもみんながいつでも戻ってくることができる南三陸、懐深く待っていられるような南三陸であってほしい」と願っているといいます。

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南三陸は、震災前から若者が少ないまちでした。若者の大半が、高校進学を機に、進学や就職で町外へと出ていってしまいます。現在でもその状況は変わりませんが、一方で震災をきっかけにUターン・Iターンをした若者もいます。自分たちで地域を盛り上げる活動を始めたり、NPOを立ち上げたりする人も出てきました。

菅原さん:震災で、多くの人が「外の人との関わり」を持ちました。それによってさまざまな縁ができたり刺激を受けたりして、若い人が活動しやすい雰囲気になったんだと思います。人口的には減っているかもしれないけれど、南三陸町が好きだといって、活動している若者は増えた気がします。観光協会として、そういう人たちが楽しく活動するお手伝いができたら、と思っています。

2015.5.13