物語前編

南三陸町では、東日本大震災により6割の建物が全半壊するという、甚大な被害を受けました。一般社団法人南三陸町観光協会も社屋を流され、一時は解散寸前の状態に。しかし、復興に向けて歩む町民を応援するため再結成し、新たな事業を始めました。そのひとつが、大漁旗を使ったグッズの製作と販売です。企画をした職員の菅原きえさんに、お話を伺いました。
楽天市場に『みなみな屋』オープン
南三陸町観光協会は、南三陸における観光振興事業の企画運営や情報発信を行う団体です。平成21年に一般社団法人となり、旅行業を取得して研修旅行を受け入れたり、町民の手づくり品を展示販売するボックスショップを経営したりと、精力的に活動をしてきました。
菅原さんの震災前の仕事は、ボックスショップを通して町民の活躍を応援することでした。しかし、観光協会の事務所とお店があったのは、海から100mほどの距離にある場所。東日本大震災により、全てが流されてしまったといいます。
菅原さん:幸い職員は全員避難をして無事でしたが、あまりの被害の大きさに協会は解散寸前になりました。でも、5月末に「再起しよう」となって。きっかけとなったのは、楽天市場さんへの出店でした。町長の元に、楽天市場さんから「復興支援として、全面的にバックアップしたい」とお申し出があり、観光協会に声がかかったんです。
製品は全て流され、まだ漁業も再開していない時期だったため売るものは何もありませんでしたが、情報発信だけでもしていけたらと考え、観光協会は出店を決意。店舗名は、「みんな、南三陸においで!」という想いを込めて、『みなみな屋』と名付けました。
菅原さん:第一弾商品として販売したのは、『こども夢花火』です。南三陸では、毎年夏に花火大会を開いていましたが、さすがに震災直後は「今年は無理かな」と思いました。まだあちこちは瓦礫だらけでしたし、地元企業はどこも大変で、例年のように協賛を依頼できるような状況ではありませんでしたから。
でも、子どもを持つお父さんお母さんたちは、「今年も子どもたちに花火を見せたいよね。どうにかして、開催したいね」という想いを持っていたんです。そこで、楽天市場に花火大会で打ち上げる花火玉を出品し、全国の方に買っていただくという企画を立てました。
3千円、1万円、10万円と、3段階の価格があり、金額に応じた大きさの花火が南三陸の夜空に打ち上げられるという仕組みです。この企画は瞬く間に広まり、5日間で約3千万円分の花火玉が売れたといいます。
菅原さん:まさかこんなに短期間で集まると思っていなかったら、もうびっくりしちゃって。涙、涙ですよね。全国のみなさんが南三陸に気持ちを寄せてくださっていることが伝わってきました。打ち上げのときは私も子どもと一緒に見に行ったんですが、心にずしんと来て、やっぱり涙が出てきちゃって。あの花火は忘れられません。
花火が始まるまでのあいだ、あちこちの会場で子どもたちが手持ち花火をして遊んでいました。そんな風にみんなで集まる場や機会は当時少なかったんです。大きな声を出して笑ったのは震災後初めてだったかもしれない。久しぶりに気持ちが弾んだ日でした。あの花火をきっかけに前を向けたという人も、多かったんじゃないでしょうか。
津波で流された船の大漁旗を、新しい形で蘇らせる
(写真提供:南三陸町観光協会)
『こども夢花火』の企画が大成功に終わったあと、観光協会では引き続き楽天市場で売れるものを考えました。いま南三陸にある資源って何だろう。ストーリーがあり、南三陸の魅力を伝えられるものって何だろう。そこで思いついたのが、漁師さんたちが持っている大漁旗を活用させてもらうことでした。
大漁旗とは、新しい漁船に乗る漁師に向けて、親戚や友人が豊漁と安全を願って贈るもの。進水式のとき、漁師は集まってくれた人に向けて船上からお餅やお菓子を撒いて振る舞い、大漁旗を空へ掲げて湾をぐるりと周ります。南三陸で暮らす人にとって、それは馴染みのある光景でした。
菅原さんは漁師さんたちから「流された船の大漁旗が箪笥にしまったままになっている」と聞き、何かに生まれ変わらせることはできないかと考えたといいます。
同じ頃、町内で帽子を製造していた縫製工場が、取引先を失い困っているという話も耳にしました。被災は免れたものの、停電によりしばらく工場を稼働できず、その間に取引先が離れていってしまったのです。菅原さんはその工場に、大漁旗を布地に使ったハンチングの製作を依頼しました。
(写真提供:南三陸町観光協会)
菅原さん:大漁旗の中には、一度波に攫われて少し滲みや掠れが出ていたものもありました。でもそれも、南三陸で起こったことの記憶の断片です。手に取った方に震災のことを思い返してもらえたらと思い、商品化することにしました。
大漁旗は一つひとつ手染めのため、プリントされたものとは風合いが格段に違います。鮮やかな色味やユニークさ、物語性も相まって、大漁旗ハンチングは大きな話題を呼びました。最初に製作した分はあっという間に完売。その後も追加販売する度にすぐに売り切れるという状態だったといいます。
(写真提供:南三陸町観光協会)
菅原さん:お客様の反応も嬉しかったし、漁師さんたちの反応も嬉しかったんです。大漁旗は漁師さんたちにとっても思い出深い大事なものですが、みなさん「置いておくより、活用してもらったほうがいい」と快く提供してくださって。最終的には、十数人の漁師さんから、百枚以上の大漁旗を譲り受けました。
商品ができたときは、お礼の気持ちを込めて一人ひとりにハンチングを贈ったんです。「身につけるものだから、ずっと一緒ですよ」って。みなさん、「え〜こんなことできるの」とか、「派手だね〜(笑)」とか言いながら、とても良い笑顔を見せてくれました。
大漁旗は、津波で流されてしまった船が、確かに存在したという証。かつて自分の船上で舞っていた大漁旗が形を変えて人の役に立っていることに、漁師さんたちは喜びを感じていたのでしょう。
2015.5.13