物語前編

豊かな海と山に恵まれた、気仙沼・唐桑半島。2014年夏、ここにpensea&Co. という小さなデザイン会社が生まれました。長年、国際協力の仕事をしていた松田憲さんと、東京のデザイン会社に勤め、震災を機に地元へ戻ってきた鈴木歩さん、ふたりのチームです。

気仙沼の静かな海辺を愛するふたりは、その美しさを伝え残していくためのレーベルをつくることにしました。砂浜や夕暮れの海をキャンドルで表現した『pensea SEASIDE CANDLE』は、その第一弾製品です。

震災の翌日、ヘリで気仙沼へ

s_2015-04-09 14.33.29B松田さんは震災前、国際協力NGOに所属して世界の紛争地を回り、難民キャンプの運営やフェアトレードプロジェクト、地元産業の支援を行ってきました。3.11当日は東南アジアでのプロジェクトを終え、休暇でインドネシアでサーフィンをしていましたが、日本で大災害が起こったことを知りすぐに帰国。関西空港を経由して栃木まで行き、ヘリに乗って翌日には気仙沼入りしたといいます。

松田さん:国際協力団体、企業、自治体の広域連携のようなものがあって、国内で大きな災害が起きたときはすぐに駆けつける協定を結んでいたんです。ビーサンで冬の日本に帰ってきたので、めちゃくちゃ寒かったですね。途中で長靴とか最低限のものを買い足していきました。

気仙沼を選んだのは、被害が大きく、かつ被災初期段階には幹線道路からアクセスしづらい場所だったから。出身というわけでもないし、何か縁があったわけでもありません。

イオンの屋上駐車場に下ろしてもらったんですが、ひっくり返った車の上を歩いて、目の前の建物は燃えていて、という状態でした。
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食料や医療品を災害本部に届け、そのまま支援活動を続けた松田さん。地元の人々とも親しくなり、住民票も移します。唐桑で水産業の六次産業化を進めるNPOを立ち上げることになり、クリエイターの募集をかけました。その説明会に来ていたのが、気仙沼出身で、当時は東京でデザイナーをしていた鈴木さんです。

鈴木さん:仕事にやりがいは感じていたし、これから楽しくなるというところでした。でも、震災が起きて、ものや情報の消費を加速させるような仕事に違和感を感じてしまって。デザイナーという立場を活かして、地元に貢献できることはないかと模索していたんです。だから、募集を聞いて「絶対私にしてください」とお願いしました。

松田さん:唐桑は、夜になると人よりも狸や鹿に遭遇するほうが多いような地域です(笑)ここにクリエイターが来てくれるのかな、と心配していましたが、ありがたいことにたくさんの応募がありました。

その中でも歩さんは、実家が事務所から5分の距離にあるほど、ドンピシャ地元で。高校から仙台の美術系専門学校に進学したという話を聞いて、デザイナーになるために相当がんばってきたんだろうな、と想像できました。そんな方が、地元に戻って仕事をしたがっている。これに応えないわけにはいかないし、僕自身、一緒に仕事がしてみたいと思いました。

電気も水道も復旧していない中、
キャンドルの灯りであたたかな気持ちになった

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しかし、そのNPOは拠点地域の発展を第一に進めるようコンセプトを設計していたため、他の湾の仕事を手伝うとなると方向性がずれてしまいます。ちょうどその頃、地域の中で「今後は自分たちで主体的に進めていきたい」という積極性を持ったメンバーも出てきていたため、NPOの運営はその人たちに譲り、新しくpensea&Co.というデザイン会社を立ち上げることにしました。

事業内容は、大きく分けてふたつ。ひとつは、生産者や水産加工企業のロゴやウェブサイト、製品のパッケージデザイン等を請け負うこと。ときには、新規事業の企画から関わることもあるといいます。

松田さん:「以前と同じやり方じゃだめだ」と思っている30〜40代の2代目・3代目から相談を受けることも多いんです。でも、デザインで見栄えを良くしただけで売れたら苦労はしません。そこで、新規事業や新商品の企画や戦略の立案から携わって、必要な製作物をつくるということもしています。一定期間、参謀として入るようなものですね。

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もうひとつは、自社レーベルの製品やサービスを世の中に提供していくこと。その第一弾として生まれたのが、『pensea SEASIDE CANDLE』です。製作の背景には、歩さんの原体験や地元のお母さんたちの想いがありました。

歩さん:震災のとき、しばらく家族の安否がわからなかったんです。一週間後にようやく父から電話があったときは、駅の改札を出たところだったんですが、その場で泣き崩れてしまいました。家は流されてしまったけど、ありがたいことに家族はみんな無事で、祖母の家に避難していたそうです。

それで、3日後位に車で気仙沼へ向かいました。まだ水道も電気も復旧していなくて、キャンドルに火をつけて食事をしました。あの状況の中で、真っ暗な中でもあったかい気持ちで囲んだ夕食。家族と交わした「キャンドルって心が和むね」という言葉が、ずっと残っていて。だから、キャンドルをつくりたいと思ったんです。

松田さん:海辺の風景を模したキャンドルにしたのは、慣れ親しんできた大事な風景を製品として残すため。気仙沼の風景は津波によってがらりと変わったし、復興が進むことでも変わりつづけています。

防潮堤の建設は、非常に難しいテーマですよね。地元の人と話をしていると、防潮堤の建設に賛成か反対かは人それぞれだけど、大好きな海辺の風景が変わっていくことに「寂しい」という気持ちは共通して持っているように感じました。

そこで、それぞれが大好きな海辺の風景をつくって灯りをともすことで、気持ちが癒されることになればと思ったんです。

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昼間や夕方の海の色をグラデーションで表現した筒状のキャンドル、浜で拾った貝殻にロウを流し込んだキャンドル。松田さんと鈴木さんは、工房で「あの夕陽が綺麗だったね、表現したいね」「もう少しざらっとしたほうが波の感じが出るかな」と楽しみながら試行錯誤を重ねたといいます。

完成したキャンドルは、2014年の冬に販売を開始しました。気仙沼らしさがあり、かつお洒落なお土産として人気を博しています。自分たちでもお気に入りで、よく使っているんだとか。

松田さん:家の食卓で、いつもと同じ料理を食べていても、蛍光灯を消してキャンドルを灯すだけでむちゃくちゃ特別な雰囲気になります。高級レストランに行かなくても味わえる贅沢さ。それを楽しんでもらえたらな、と思います。

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2015.4.9