物語前編

ファッション業界で40年以上活躍してきた加賀美由加里さんは、震災を受けて「南三陸でバッグをつくり、女性を雇用したい」と考えるようになりました。その想いに賛同したのが、南三陸で電子部品を製造するアストロ・テック社の佐藤秋夫社長。技術指導を受けて製作したバッグは好評で、同社の売上は震災前と比べて200%を記録しているといいます。
“Love Of Our Motherland”の想いから
「テレビで流れる津波の映像に、涙が出て止まりませんでした」。高級服地ブランド『ドーメル・ジャポン』とファッションブランド『MCMファッショングループ』の双方で代表を務める加賀美さんは、2011年3月11日のことをそう振り返ります。
加賀美さん:私は長年、敬愛するデザイナーの“ファッション・イズ・エモーション”という言葉を大事にしてきました。素敵な服を着ると気持ちが弾むように、ファッションは人の心を動かすものだと信じています。
東北の方々が負った悲しみは計りしれません。ファッションを通して少しでも力になれたらと思い、震災から三ヶ月後の7月に『一般社団法人LOOM NIPPON』を立ち上げました。
LOOMという名前は、郷土愛を意味する“Love Of Our Motherland”の頭文字から取ったもの。震災時、誰もが大きな混乱の中にいながら、多くの人々が思いやりと助け合いの心を持って行動していました。加賀美さんは海外の友人たちから「日本人はなんてすばらしいの」と賞賛を受け、日本人であることを意識したといいます。
加賀美さん:以前仕事でお世話になった気仙沼の造船所の方と4月半ばにお話したときにも、郷土愛を感じました。家の一階部分が浸水してしまったと伺い、「神奈川にマンションを持っていますのでどうぞ使ってください。何年でも住んでくださって構いません」と申し出たんです。とにかく何かの力になりたくて。
次の日、その方から「家族会議をしました」と電話がかかってきました。会議では、おじいさまがこうおっしゃったといいます。「親戚も死んだな、友達も死んだな。復興ってなんだ?ここを去ることじゃないだろう。ここにいることが復興だろう」って。それで家族の気持ちがひとつになって、気仙沼で生きていくことを決めたそうです。
先祖代々受け継がれてきた土地と暮らしに対する、東北人の強い想いを痛感する出来事でした。彼らが暮らしを取り戻せるように力添えすることが、一番大事なことなのかもしれない。加賀美さんはそう考えたといいます。
20年後までに、3千本の桜を植えよう
造船所の方とのやりとりの中で、加賀美さんはもうひとつ印象に残ったことがあったといいます。
加賀美さん:その方は私に、「加賀美さん、庭の桜が一輪咲いたんです。来年もきっと咲きますよね」と言ったんです。私は「もちろんです」と答えました。「あぁ、桜って、希望の象徴なんだな」と実感しました。
桜が満開になれば、きっと人々に笑顔が戻るだろう。加賀美さんはそう考えましたが、実際にあちこちで桜が咲くと、人々は目を瞑り手を合わせていたといいます。日本では古来から、災害に襲われる度に桜を植えてきました。桜は、鎮魂の花でもあるのです。
加賀美さん:桜を植えることで、亡くなった方たちの心、傷ついた人々の心を慰めたい。多くの木々が流されてしまった地域に桜を植えて、美しい景色を生み出したいと考えました。美しいものを提供することが、ファッションの役割ですから。
でも、どこに植えたらいいだろう?場所を探していた加賀美さんが思い出したのは、パリで牡蠣を食べたときのこと。かつてフランスで牡蠣が全滅したとき、三陸から幼貝が支援されたそう。パリの人々はそのことを覚えていて、「この牡蠣のご先祖さまは、日本の牡蠣よ」と教えてくれたといいます。
そのエピソードを南三陸の知人に話すと、「南三陸とパリとのつながりは、それだけじゃありませんよ」という言葉が返ってきました。南三陸の入谷は養蚕が盛んなエリアです。入谷産生糸を使用した絹織物は、1900年のパリ万国博覧会で金賞を受賞しました。そのため、南三陸の人々はパリに親しみを感じていると言うのです。
ファッションの聖地・パリと南三陸との意外なつながり。長年ファッション業界で生きてきた加賀美さんは、「このまちの復興を手伝いなさい」と背中を押されたような気がしたそう。南三陸に3千本の桜を植えようと決心しました。
加賀美さん:桜が成長するには20年かかります。最初に植えた桜が大人になるまで、2011年に生まれたこどもが大人になるまで、毎年桜を植えつづけよう。亡くなった方達の魂が桜に宿って復興を見守ってくださるように祈ろう。そして、20年後には東北で一番の桜の名所になって、たくさんの人が訪れてくれることを夢見よう。そう思って、南三陸での植樹プロジェクトをスタートさせました。
南三陸でバッグをつくり、雇用を生み出そう
ただ、桜を植えるだけでは、地元の人々が暮らしを取り戻す手助けにはなりません。当時、東北では男性の仕事はあっても、女性の仕事は少ない状況でした。東北の女性は慎ましく控えめですが、村や家庭を下支えしてきたのは彼女たちです。加賀美さんは、復興で一番大事なことは女性の仕事をつくることだと考えました。
加賀美さん:南三陸でバッグをつくり、少しでも多くの女性の雇用を生みだしたいと考えました。バッグはイメージキャリングプロダクトと言われています。ファッションの最前線で、ブランドのコンセプトを体現するものはバッグなんです。
一緒にバッグを製作してくれませんか。植樹プロジェクトの会合で加賀美さんがそう呼びかけると、その場で「やります!」と手を挙げた人がいました。南三陸でアストロ・テックという電子部品工場を経営していた、佐藤秋夫さんです。工場は津波で被災しましたが、従業員をひとりも解雇せずに会社を立て直そうとしていました。

アストロ・テックの佐藤さん
「元に戻すことが復興じゃない。新しいものを生み出して前より良くしていくのが復興だ」——佐藤さんはそんな考えを持っていました。もともと、アストロ・テックという社名は「明日を取ろう」と名付けたもの。社名の通り、明日に向かって新しいことに挑戦していきたい。佐藤さんの前向きな想いに加賀美さんは胸を打たれ、一緒にバッグの製作に取り組むことにしました。
団体名のLOOMには、織機という意味もあります。「私たちは、愛のタペストリーを織る織機でありたい」。そんなコンセプトを体現するため、革を手織りしてバッグをつくることに。第一弾のデザインは、七夕まつりをイメージしたものでした。
加賀美さん:南三陸の女性から、あの日のことを聞きました。その方はたまたま出張で金沢にいて、テレビで自分のまちが津波で飲み込まれるところを見ていたんですって。子どもを置いてきていたから生きた心地がしなかったけど、2日かけてなんとか帰って、無事に再会できたそうです。
「どんなに怖い想いをしただろう」と思って子どもに震災当日のことを聞くと、「お母さん、あの日、雪が止んで雲が切れたら、お星さまが綺麗だったんだよ」と返ってきたんですって。学校から出題された作文でも、お星さまについて触れる生徒は多かったと聞きます。それほど印象的だったのでしょうね。
その星の光には、佐藤さんも助けられたそう。佐藤さんは地震のあと、津波から逃れるために車を捨てて山をかけ登りました。しかし、夕方になるといつものようなまちあかりはひとつもなく、あたりは雪で真っ白。どこを歩いているのかわからない不安に襲われましたが、雲間から星の光が差してきたおかげで自分のいる場所がわかったといいます。

2本の白いラインで、夜空に瞬く織姫と彦星を表現。
たくさんの人を導き支えた星空を表現したバッグは2012年8月に販売を開始し、デザインの美しさや質の高さから評判を呼びました。アストロ・テックの女性社員たちが“織姫”となって、心を込めてバッグを手織りしています。
2015.4.3