物語前編

「みんながものづくりをするようになれば、日本はもっと優しい国になるんじゃないか」。そう話すのは、石巻縫物舎を東京から支える石田理恵さん。被災した石巻の人たちと一緒に活動するうちに、ものづくりの魅力にのめりこんでいったそうです。
ただ、道のりは平坦ではなかった模様。そこにはどんな物語があったのでしょうか?お話を伺ってきました。
日本はこれから、どうなってしまうんだろう?
石田さんは、長年服飾業界で仕事をしてきた方です。ファッションデザイナーの吉田ヒロミさんのもとで広報やディレクションの経験を積み、2009年に独立してデザイン企画を行う株式会社ストーンフィールドを設立しました。震災のときは東京で展示会の準備を行っていたそうです。
石田さん:ニュースで被災地の状況を見て、大変なことになってしまったと思いました。「これから日本はどうなってしまうんだろう、子どもたちの未来は大丈夫かな」と、とても不安に思ったのを覚えています。
被災地に対して、何か自分にできることはないだろうか。そう考えていた石田さんは、ツイッターで「支援物資の衣類を仕分けるためのハンガーがほしい」というつぶやきを目にして、吉田ヒロミさんと相談し大量のハンガーを石巻に寄付。そこから石巻の人たちとの縁が生まれ、絵本や文房具を送ったり、化粧品会社の人と協力して石巻で美容レクチャーを開催したりしました。
石田さん:震災から半年後の9月に石巻を訪問したんですが、交流していた避難所の人たちがもうすぐ仮設住宅に移るということで、「そろそろ私の役目も終わりかな」と思いました。
しかし、まだまだ石田さんの役目は終わらなかったのです。
『石巻縫物舎』始動
石巻を訪問してから数ヶ月後、石田さんは友人から声をかけられ、南三陸で始まった『ミシンでお仕事プロジェクト』を手伝うことになりました。『ミシンでお仕事プロジェクト』とは、被災地へミシンを送り、手仕事支援を行うプロジェクトです。あるときそこに、石巻の仮設住宅の自治会長から、「南三陸でやっているようなものづくりの活動を、石巻でもやりたい」と相談が入りました。
石田さん:ほかのメンバーは南三陸の活動で忙しそうだったので、私が対応して仮設住宅を訪問しました。ただ、私は正直、難しいんじゃないかと思ったんです。震災から既に一年が過ぎていた時期だったので、支援金やボランティアを集めるのにも苦労するだろうし、「支援」だけの気持ちではもう買ってもらえない。本気で取り組み、良いものをつくる必要がある。
そう説明しましたが、それでもやりたいということだったので、東京に戻って繊維産業の企業経営者が集まる会合で協力を呼びかけました。すると、さまざまな企業の社長が「協力したい」と仰ってくれたんです。
石田さんは再び石巻に向かい、地元の人向けに説明会を実施。「趣味ではなく、真剣に仕事として縫製をやっていきたい人に残ってもらいたい」と呼びかけたところ、手を挙げる人が数人いたため、団体を設立して取り組むことにしました。
みんなで話し合った結果、『石巻縫物舎』という名前と、くじらをシンボルにすることが決まりました。石巻は調査捕鯨の港があるため、地元の人にとってくじらは身近で馴染みのある動物なのです。
準備も整い、新たな門出に前途は洋々…といいたいところですが、そうトント
ン拍子にはいかなかったそう。活動を開始してすぐ、石巻縫物舎は壁にぶつかりました。
「もう辞めたい」と言われて
団体設立後、石田さんはさっそく繊維産業の社長の方々に連絡し、職業用ミシン3台、家庭用コンピューターミシン1台、ロックミシン1台とミシン糸を提供してもらいました。フェイスブックで呼びかけたところ、全国からもミシンや裁縫道具がぞくぞくと到着。また地元の縫製工場の方から、「縫製の仕事に関する講習会」も開いてもらうことになりました。
内容は、「100枚縫う仕事を受けたら、100枚全て同じものをつくらなくちゃいけない」「1センチに何針ステッチをかけるかまで決める」といった、縫製工場として仕事をしていくために必要な心構えや基礎知識。しかし、石巻縫物舎のメンバーはみんな、直線縫いすらしたことがない人たちです。「自分たちにはとても無理だ」と意気消沈してしまった人も多かったそうです。
石田さん:F1レーサーの片山右京さんのグッズを200枚製作させてもらう仕事をするために直線縫いの練習を毎日してもらっていたのですが、途中で「もう辞めたい」と連絡が入りました。「簡単に言うなぁ」とため息が出てしまって。東京にいたんですが、次の日石巻へ行って話をしました。
「それで、辞めてもいいけど、ミシンはどうするの?」と聞くと、「石田さんの家に返す」と言うんです。私の家に返されても困るので、支援してくれた人たちのことを説明して、「このミシンはみんなが被災地のことを思って送ってくれたミシンだよ。その気持ちはどこへ返すの?」と問いかけました。そうしたら、太田さかえさんという女性が、「私は続けたい。ひとりになってもやる」と言ってくれたんです。
太田さんの発言にほかのメンバーも気持ちを盛り返し、「みんなでがんばってやっていこう」ということに。それぞれが家でまっすぐ縫う練習をして、なんとか納品。ひとまず、最初の壁を乗り越えることができました。
2014.10.9