物語前編

気仙沼の駅を出ると、道路の向こう側に見える白い看板。そこには、『梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ』と書かれています。お店の扉を開けると、色とりどりの毛糸に囲まれて梅村マルティナさんが編み物をしていました。

ここでは現在、9人の現地スタッフが働いているそう。靴下や帽子を編んで、お店やネットショップで販売しています。彼女たちはなぜ編み物をはじめたのでしょうか?虹色の毛糸玉がつないだ、マルティナさんと気仙沼の女性たちの物語を教えてもらいました。

自分たちだけドイツに帰っても、幸せじゃない

2014年現在の気仙沼

2014年現在の気仙沼

マルティナさんは、京都外国語大学でドイツ語を教える非常勤講師です。1987年に来日して日本人の男性と結婚し、2人の男児に恵まれて幸せな日々を送っていました。

「日本は危ないから、帰ってきたほうがいい」——2011年3月、東日本大震災とそれに続く原発事故のあと、ドイツの友人たちからはマルティナさん一家を心配する連絡が次々に入ったといいます。実際、震災後に日本を離れた外国人はたくさんいました。子どものためにも、ドイツに避難したほうがいいのだろうか…。悩んだマルティナさんが子どもたちに相談すると、当時12歳だった長男から思いがけない言葉が返ってきました。

「友達を捨てて自分たちだけがドイツに逃げても、幸せじゃない。健康に影響が出る恐れがあったとしても、日本の友達みんなを失ってしまうよりいい。日本に残ろう」。

普段は素直な長男の反発に、マルティナさんはハッとしたそう。「自分たちがいるべきところは日本だ」と覚悟を決め、被災地にも関わることにしました。

マルティナさん:ニュースでは、避難所でぼうっと座っているだけの人々の姿が映されていました。もし、私が同じ立場だったら何がほしいだろう。私にとってそれは、毛糸と編み針でした。

編み物をして心を休めてほしい

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マルティナさんは6歳の頃から編み物が好きで、家族みんなの靴下を編んでいました。日本に来てしばらくは忙しくて編み物から遠ざかっていましたが、2002年に母親からある毛糸を紹介されたことで、編み物熱が再燃します。

その毛糸とは、ドイツのTUTTO社が生産している『オパール毛糸』。一本の糸をメリヤス編みで編んでいくだけで、素敵な模様がひとりでに浮かび上がってくる不思議な毛糸です。

マルティナさん:編んでいて面白いし、仕上がりはとてもカラフル。「これだったらまた編みたいな」と思ったんです。編みはじめると夢中になってしまって、電車の中や、大学の休憩時間にも編んでいました。そうすると、「わぁ、何それ」って人が寄ってくるんですね。編んだ靴下をプレゼントするととても喜んでもらえました。

でも、毎回何かお返しが返ってくるんです。私は好きで編んでいるだけなので申し訳なくて、「どうしよう?」と思いました。それで、せっかくなら販売してお金をいただいて、それをアフガニスタンに寄付しようと考えたんです。

実はマルティナさん、貧しい国で医療に従事することが夢だったそう。しかし、白人女性は誘拐される危険性があるため、本当に助けを必要としている地域で働くことは叶わず、泣く泣く断念。病気の人を治す薬を開発しようと医療研究の道へ入りました。

研究職は激務であったため出産を機に離れることになりましたが、マルティナさんは元々とても「社会の役に立ちたい」という気持ちが強い女性だったようです。(余談ですが、ベルリン自由大学、群馬大学、京都大学と3つの大学で博士号を取得したそうです。才女ですね!)

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マルティナさん:靴下は、「アフガニスタン、そして世界の平和につながる靴下」という想いを込めて、「平和の靴下」と名づけました。ドイツ語でFriedensSocken(フリーデンス・ソッケン)。2006年から手づくり市に出店し、収益をアフガニスタンへ送っていました。

でも、東日本大震災が起こり、海外ではなく東北のために何かしたいと思ったんです。編み物をしていると心が休まり、とても幸せです。手を動かすことで、辛い想いを忘れられるんじゃないかと思いました。それに、完成すると嬉しいし、誰かにプレゼントすることもできます。だから、オパール毛糸を被災地の人に贈ることにしました。

マルティナさんは毛糸2玉と輪針、編み方の説明書の3点をセットにし、NPOに頼んで避難所へ届けてもらいました。説明書は息子さんたちが書いてくれたそうです。

お父さんも、お母さんも、子どもたちも。
みんなでつくった『小原木タコちゃん』

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「どうしていま、毛糸を送るの?」——最初、マルティナさんの想いは中々理解されませんでした。避難所で、「いまほしいのは水や食料だ」と断られることもあったそうです。

マルティナさん:でも、ゴールデンウィークの少し前に、気仙沼市唐桑町の小原木(こはらぎ)中学校避難所から電話があったんです。私、そのときのことよく覚えてます。「ウワァ、なになに!?」って興奮しました。小原木の避難所のリーダーは女性で、みんなに毛糸を配って編んでみたそうなんです。「できればもっと送ってほしい」ということだったので、喜んで送りました。”

その後も電話でやりとりをしたり、編んだ作品と一緒にみんなが写っている写真が届いたり、と交流をしているうちに、マルティナさんは小原木の人たちと会ってみたくなったそう。6月に家族で気仙沼を訪れました。

マルティナさん:みなさんに会って、とても楽しい時間を過ごしました。嬉しかったですね。ただ、180人ほどいる避難所の中で、編み物ができるのは十数人だけ。もっと大勢の人ができることってないかな?…それで、自分が子どもの頃からつくっていたタコちゃんを思いついたんです。

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この人形なら、毛糸を丸めて8本分の三つ編みをつくり、ボタンをつけるだけなのでとても簡単です。京都でいらなくなったボタンを集めたマルティナさんは、再び気仙沼を訪問しました。

避難所でタコちゃんをつくる会を開くと、お父さんたちは毛糸を撚って紐を作り、子どもたちは三つ編みをして、とほぼ全員が参加してくれたそう。「足が8本あるから、たくさんの幸せを掴めるね」「タコは足がちぎれてもまた生えてくるから、復興のシンボルにぴったりだ」と、とても盛り上がったのだとか。完成品は『小原木タコちゃん』と名付け、マルティナさんが京都の手づくり市で養子に出しました。

マルティナさん:タコちゃんは単なるお人形じゃなくて、被災地と全国をつなぐメッセンジャー。だから、「販売」ではなく「養子縁組」と表現していました。最初は思うように里親が見つかりませんでしたが、パンフレットをつくったり、ブログで紹介したりして、少しずつ養子に出せるようになりました。

2014.9.21