物語後編
必要としてくれる人がいるなら続けていこう
「三陸鉄道のグッズをつくってみませんか?」——森さんはある日、笑路を取り扱ってくれている三陸鉄道盛駅の担当者から、そんな提案を受けました。
森さん:一時期、笑路の在庫が増えてしまって、つくり手さんにあまり仕事をお願いできなかったことがあったんです。そうしたら、「もうつくらないの?」「辞めちゃうの?」と言われて。「ちゃんと必要なものになっていたんだな、そういう人が数人でもいるうちは続けていこう」と決心しました。
そんなときに三鉄さんの話を聞いて、「そうか!」って思ったんです。笑路の製作を通してビーズ細工をつくる技術は身につきました。それを応用してほかの製品をつくればいいんですよね。
森さんは、三陸鉄道の3つの車両を図案にしてビーズ細工で表現。三陸鉄道からもOKが出て、2014年のゴールデンウィークから盛駅限定で販売しはじめました。震災で大きな被害を受けた三陸鉄道は、今年4月にようやく全線が開通したばかり。お祝いも兼ねて観光に来た人たちが、記念にと買ってくれているそうです。
森さん:被災地を走るイベント『TOMOSU RUN』や陸前高田の音楽フェス『TAKATA-FESTA』からも声をかけていただいて、ロゴマークをビーズ細工でつくりました。つくり手さんも新しい製品をつくれることをとても喜んでくれています。これをきっかけに、「私もつくりたい」と言ってくれる人が現れてメンバーも増えたんですよ。今後は、こんな風にさまざまな団体とのコラボ製品を提案していきたいな、と考えています。
団体としてもより地域に根ざした活動にしていこうと、震災から時間が経ち役目を終えつつあった『がんばっぺしプロジェクト』から独立し、『TAKATA-FESTA』と一緒に活動することに。『TAKATA-FESTA』は収益を地元商店街に寄付しているため、『笑路』も利益が出たときは一緒に寄付をする予定です。
森さん:と言っても、材料費とつくり手さんに支払う工賃を除いたら利益はほとんど残らないし、ぎりぎりで回しているんですけどね。本当は、「ビーズ細工を地元の仕事として確立したい!」と大きな目標を宣言できたらいいんですが…。私自身、こうしたものづくりも販売も初めてなので手探り状態なんです。たくさんの人に支えられながらなんとかやってきたので、続けられる限り続けていきたいと思っています。
震災によって強くなった郷土愛
地元に帰る道中、森さんは無意識に、子どもの頃から慣れ親しんだ懐かしい故郷の風景を思い描いているといいます。でも、実際に目の前に広がるのは、震災で大きく変わってしまった姿。思い出の場所は津波にさらわれ、今も高台移転工事のために山が切り崩されています。
森さん:もちろん、そうやって家が建つのを楽しみに待っている人がいるから、仕方ないことなんです。でも、頭ではわかっていても、通っていた学校のすぐそばの山が削られていくのを見ると、ふるさとがなくなってしまうような寂しさを覚えます。ずっとあるもの、いつでも見られるものだとどこかで思っていたんでしょうね。だから、ふるさとを思う人と出会うと慰められたような気持ちになるのかもしれません。
これまで数多くのイベントで『笑路』をはじめ陸前高田の製品を販売してきた森さん。行く先々で、必ずと言っていいほど地元の人と出会ったそうです。
森さん:「あんた陸前高田なの、どこの人?」って聞かれて答えると、「あー!あそこんちの!」って。実家をよく知る人だったり、遠い親戚だったりするんですね。「わざわざ栃木から来たのー、ごくろうさまねぇ、来年も来るからがんばって続けてね」なんて言われたりすると、「来年も絶対来よう!」って思いますね。そういう出会いから大きな力をもらっています。
普段は標準語を使うことも多いんですが、地元の人と会うと思いっきり岩手の方言で話せるんですよ。それが嬉しくて嬉しくて、涙が止まらなくなっちゃうんです。
海もあり山もあり、旬のおいしい食べものにも恵まれた陸前高田。地元のことが大好きな森さんは、栃木に移住してからも毎年必ず帰省していました。老後は陸前高田に帰り、ご主人と一緒に釣りをしたり畑を耕したりしながら暮らすのが夢だといいます。
森さん:いまは離れているけど、私は陸前高田のことが大好きだから、都会へ行ったまま戻ってこない人がいるのを寂しく思っていました。でも、そういう人も震災を機に郷土愛に目覚めて、地元の様子を見に来たり、地元のために何かしようと考えてくれたりしています。それはとても嬉しいことでした。
そんな森さんがいま願うのは、「私たちの地元に来てほしい」ということです。3年経ってもまだ大半の人が仮設住宅で暮らしていること。高台に土を運ぶだけであと3年もかかること。そこで暮らす人たちが抱えるさまざまな感情。「被災地の現状を、たくさんの人に知ってほしい」と考えているそうです。
森さん:東京オリンピックの年がひとつの節目になるんじゃないかと思っています。多大な支援をしてくれた海外の方々はきっと、被災地がどうなっているか見たいと思うでしょう。そのとき、「復興」のあり方が評価されるのではないでしょうか。
立派な建物ができても、そこに人がいなければ復興した意味はありません。東北ではいまも人口が減り続けています。これから全国各地が直面する、日本の将来像だと思います。だから、偉そうだけど、日本中で一緒に考えてほしい。それが将来、日本が直面するリスクを回避することにつながるかもしれません。そのためにも、まずは東北に来て、自分の目で、肌で、被災地のいまを感じ取ってもらえたらと思います。
2014.9.9