物語後編

あらゆるものの分断を、つなぎなおしたい

¥1活動写真

KUMIKIシリーズを開発するにあたって、仲間や関係者とものづくりについて議論を重ねてきた桑原さん。「ものが溢れているいまの時代は、何をつくるべきで、何をつくらないべきかを考えたほうがいい」と思うようになったそうです。

桑原さん:単純に便利さを手に入れるための商品なら、僕がつくる必要はない。もしつくるなら、人とものの関係を捉え直したり、人の行動を変えたりする商品にしたい。そう思いました。

その背景には、桑原さんが社会人になってからずっと感じてきた違和感がありました。いまの姿からは想像ができませんが、20代前半の頃は、勢いのある会社でバリバリの営業をこなし、部下からは「鉄の心を持っている」と言われていたそうです。

桑原さん:毎日深夜に帰って、夕飯はいつもコンビニ弁当。「俺も頑張ってるんだから、お前も頑張るべき」というマインドで接していたんですね。でも、部下が鬱になって、いまの暮らしは何かおかしいなと思った。僕も疲れていたんだと思います。

その頃、富山の田舎町を訪ねた桑原さんは、地元のおじいちゃんに諭されます。「土間ってね、うちでもそとでもない、“間”の場所なんだよ。人間も、人の間って書くでしょ。“間”があることが大事なの。会社では職種とかにむりやり人を当て込んで、“間”をつくらずに効率を優先させようとする。だからきっと疲れちゃうんだよ」と。

桑原さん:そのおじいちゃんから、考えるきっかけをもらったんです。確かに、あらゆるものが効率化によって分断されていますよね。都市と農村、先進国と途上国、生産者と消費者。それらがはっきり分かれてしまうと、お互いへの想像力が湧かなくなってしまう。それによって、一方が過酷な労働環境でつくったものが、一方で安く買われてすぐに飽きて捨てられるような歪んだ状況になるんだな、と。そういった分断を、つなぎ直したいと思うようになりました。

¥3活動写真

そうした想いは、震災後の混乱を経験することで強まり、自分自身も陸前高田で地元の人と一緒に仕事をすることによって確信に変わりました。答えをどこかから探すのではなく自分たちでつくっていこうとする気仙大工、お金や条件より「気に入るかどうか」「共感できるかどうか」を大事にする事業者。東北の人々から学ぶことはたくさんあったといいます。

桑原さん:結局、KUMIKIは僕が人とつながるためのツールなのかもしれません。便利だけど分断された東京でなんとなく孤独感を抱えてきて、でもいきなりつながりましょうなんて言えませんよね。それが、KUMIKIで家具や空間をつくったり、これを使ってワークショップしたりすると、自然とつながれる。そういうことなんだろうな。

「いろんな人に鍛えてもらったから、 いまはもう“鉄の心”じゃないはず」。そう言って桑原さんは笑います。

小さな動きを、大きな流れに変える

¥◎1作業風景

「東北の話をしてくれないか」。あるとき、桑原さんは講演の依頼を受け、山梨の清里高原を訪れました。清里といえば、20年ほど前に観光地として人気が出たまちです。当時は朝から夜までレジが閉まらないほどの盛況ぶりだったそう。でも、いまの清里は土日でも数軒しかお店が営業しておらず、まるで津波でえぐられたかのような朽ちた建物がいくつもありました。そんな中、ある複合施設の社長は、こう語っていたそうです。

——自分は20年前、判断を間違えた。観光地化してヨーロッパ風の庭をつくれば、お客さんが来てくれると思った。でも、自分たちは結局売り手で、相手は消費者。数年したら飽きられてしまった。もっと、自分たちの土地を、自然を、暮らしを好きになってもらえばよかった。

桑原さん:その社長は、お土産や飲食店のある自社の複合施設につくられたヨーロッパ風の庭を地元の植物を使った庭につくりかえようと、せっせと手を動かしていました。失敗を認め、新たな形で再出発しようと。その姿勢はかっこいいと思ったし、とても胸を打たれました。

どこかほかのまちを目指して寂れてしまった地方って、いっぱいあるじゃないですか。ミニ東京を目標にするんじゃなくて、その土地ならではの魅力を追求することのほうが、長い目で見ると大事なんですよね。

——陸前高田はいま、そういう方向に向かっているのでしょうか。そう質問すると、桑原さんは「…難しい質問ですね」と言葉を詰まらせました。前の会社で復興まちづくりに関わっていた頃、桑原さんは「たくさんの人の雇用を生むような産業をつくりたい」と考えていたそう。まちづくりの会議にも何度も出席しました。でも、いまはそこから距離を置いています。

¥IMG_1488

桑原さん:それが全てとは言えないかも知れませんが、お金の出所が霞ヶ関で、それが県に配られて、それを引っ張ってくるためには大きな道路をつくることが必要で…と、お金に引っ張られてしまうケースも多いように感じました。地元で本当に必要とされていることとは違った方向に進んでしまうジレンマを感じることもありました。

どんなに意見を伝えても通らないし、何度話し合いを重ねても物事は先に進まない。桑原さんの目には、被災した場所で生きる人々の自信や意欲が少しずつ削がれていくように見えたといいます。

桑原さん:それで、自分にできる関わり方がもっとほかにないだろうかと考えるようになりました。大きな話ももちろん大切だけれど、そこは適切な知識を持った専門家の人に任せておいて、僕は地域の人が小さな成功体験を積み重ねる手伝いをしよう、と。KUMIKIを通して家具や集会所をつくることで、自信を取り戻してもらえたらと思いました。

そうやって取り組んできたことは後悔していません。ただ、東北の沿岸のいろいろな場所で、日に日に同じようなコンクリートでつくられた高層の住宅建設が進んでいく風景を見ていると、これでいいんだろうかと思うことも正直あります。こればかりは明確な答えが出なくて、葛藤していますね。

自分にできる範囲のことを一つひとつ積み上げていくのは、確かに大事なこと。でも、どこかでそれを大きな流れに変えていくことも必要なんじゃないか。桑原さんは揺れ動く胸の内を、隠すことなく教えてくれました。

桑原さん:でも、僕は事業を通してできることがあるんじゃないかと思っています。家で聴くことが当たり前だった音楽を、ソニーのウォークマンが持ち運ぶものに変えて、アップルのiTunesはダウンロードするものに変えた。優れた製品やサービスは人の考えを変え、行動を変え、やがて習慣を変えることができる。

KUMIKIはまだまだ未熟な製品かもしれない。けれど、これがもっとみんなの手によって育まれていけば、地域の自然を守りながらも、自分の手でつくることを楽しんだり、誰かとつながったりすることを喜びながら、消費から愛用する文化をつくりだせるかもしれない。人の習慣が変われば、それは政治にも力を持つんじゃないか。だから、いまは事業でできることをやろう。それが、震災から3年半が経ったいまの心境です。

KUMIKI Final0302 from info@tsumugi-net.com on Vimeo.

2014.7.18