物語前編

東京で働いていた桑原憂貴さんが、東日本大震災に直面して気づいたこと。それは、「いままで快適で便利だと思っていた暮らしが、実は災害に弱く脆いものだった」ということでした。
生産者と消費者が分断され、食べものも服も住まいも完成したものを使っていることに原因があると考えた桑原さんは、“手でつくる暮らし”を取り戻したいと考えるように。それが、『KUMIKI』シリーズの誕生につながりました。

あえて「未完成」の家具をつくったらどうだろうか

¥1陸前高田写真

「社会の課題をビジネスで解決する」ことを理念とした会社に務めていた桑原さんは、2012年6月、復興まちづくりに関わることになり、陸前高田を訪れました。工場の被災によって行き場を失っていた気仙杉の小径材を活用するプロジェクトを任され、半年かけて商品化の可能性を調査。しかし、期間内に商品化の糸口を掴むことは難しかったといいます。

桑原さん:でも、そこで終わりにするのは嫌だったんです。こうして陸前高田と関わりを持つことができ、目の前には解決すべき課題がある。元々、自分で事業を興したいという目標を持っていました。「いま一歩踏み出さなければいつやるんだろう」と思い、勝算も事業計画も何もなかったけど、会社を辞めて起業し、プロジェクトを引き継ぎました。

そのとき漠然と頭にあったのが、「レゴブロックのように、パーツを組み立てるだけで完成する家具をつくれないだろうか」というアイデアです。完成品は世の中に溢れているから、被災地という不利な状況で本格的な家具をつくろうとしても、きっと勝てない。だったらあえて、未完成品をつくろう。手にした人が完成させるということに価値を感じてくれる人もいるんじゃないかーー。そう考えました。

桑原さん:暮らしを手でつくる、という感覚が大事だと、震災を機に思ったんです。それまで、すごく便利な社会に生きていると感じていました。でも、コンビニには食料がない、蛇口を回しても水が出ない、スイッチを押しても電気がつかない、という混乱を経験して、便利だと思っていた暮らしが実はとても脆いものだったことに気がつきました。

その原因を突き詰めて考えると、暮らしを手でつくれていないからだということに思い至りました。服も食べ物も住まいも、全部完成品を買うだけで、一切つくれていない。だからこんなにも危険で不安なんだ、と。

桑原さん:それにきっと、自分たちの手で何かをつくるのは楽しかったと思うんです。たとえば、コップは便利だけど、コップがなかった時代の人は、どう水を飲むか考えたはずですよね。葉っぱを使おうとか、きっといろいろ想像して工夫したと思います。遠くの誰かがつくったものを買うことで時間や手間は省けるようになったけど、そういった試行錯誤の楽しみは減ってしまった。もう少し、「手でつくる暮らし」を取り戻したいと思いました。

その一歩が、どんな人でも簡単に組み立てられ、生活環境の変化に応じてサイズや形の調整ができる家具のキットでした。

50人で建てたDIY集会所

¥◎1集会所「宮崎に、似たような商品を開発した人がいるよ」。会う人会う人に想いを伝えていた桑原さんは、一人の建築家にそう教えられます。その商品は「つみきブロック」といって、組み立てていくだけで家を建てられる画期的な住宅パーツ。家具ではなく家を建てる用途のものでしたが、桑原さんが思い描いていたものにとても近い商品でした。

桑原さん: 開発者の方に相談すると、「名前も用途も、自由にしていい」と言ってくれました。陸前高田で同じような製品を0から開発・製造するとなると、大規模な設備投資が必要となるので慎重に動かなければいけません。まずはこの考えを世の中に広めてニーズを探ろうと、宮崎から取り寄せて使わせてもらうことにしました。

製品は、『KUMIKI HOUSE』と命名。これを活用し、2013年6月には陸前高田に集会所を建てました。

¥3集会所

基礎はプロに施行してもらい、壁は50人の地元住民が2日かけて完成させました。老若男女の関係なく自然と会話が生まれ、あちこちで笑い声が響きます。楽しそうな声を聞いて「何してるんだろ」と覗きに来る人もいれば、盛り上がって踊りだす人も。その光景に、桑原さんは感じるものがあったといいます。

桑原さん:このとき、事業のコンセプトが固まったように思います。みんなで何かつくるのは楽しいし、人がつながることに喜びがある。この体験を、すべての人に届けたいと思いました。

翌2014年2月には石巻からも声がかかり、2棟目の集会所を建設しました。どちらもプロがつくったものと比べるといびつな部分はありますが、住民は大事に使ってくれているそう。

桑原さん:災害が起きたとき、「自分はなんて運がないんだ」と嘆く人もいれば、「さあ、これからどうしよう」と未来をつくろうとする人もいます。前者の人の気持ちもわかるんですよ。その考えを否定しても仕方ない。

でも、そういう人が「集会所を自分たちの手でつくる」という体験をしたら。みんなやる前は、「そんなの無理でしょ」と思ってる。でも実際にやってみるとできちゃうんです。自分たちの手で、集会所を取り戻せる。そういった小さな成功体験から、自然と前向きな気持ちが生まれるんじゃないか、と思います。

都会の人にも、つくる楽しみとつながる喜びを

¥◎1LIVING制作

集会所の建設を通して見えてきた、自分が世の中に提供するべき価値の方向性。桑原さんはこれを、都会の人にも届けたいと考えました。でも、都会ではそうそう集会所は建てられません。やはり、もっと気軽につくれる家具がいいのでは?——当初の計画通り、気仙杉を活用して組み立てられる家具のキットを陸前高田で開発することにしました。

桑原さん:家具屋さんをいくつも回りましたが、どこに行っても断られました。杉は柔らかくて弱く、すぐにキズがつくから家具には不向きなんです。でも、ひとつだけ「やってみっか」と言ってくれた材木屋さんがいて、そこと一緒に商品開発に取り組みました。

プロジェクトを一緒に進めてきた信頼できる仲間の木工職人 湊哲一さんがデザインや原型を制作し、それを東北に持っていくことを繰り返し、一歩ずつ被災地の今ある技術で作れるよう改良を重ねてきました。

最初はジョイント部分も杉の木でつくりましたが折れてしまうため、桜の木を使うことにしました。しかし、力の弱い女性には中々はめこむことができません。ゆるくして強度を高めるために金属のボルトを入れましたが、「金属が見えるのは嫌」という意見が出ます。じゃあ、木の蓋をしよう。それはどこに売っているんだろう?どうやら、日本で木の蓋をつくっていた工場はどこも倒産してしまっているようだ。だったら、どこかにお願いしてつくろうか…。

桑原さん:最終的に、陸前高田にある障がい者就労支援施設の「あすなろホーム」さんが引き受けてくれました。製作中に手を切ったりしないよう、治具という工作道具も0からつくって湊さんとともに何度も東北と東京を往復して作り方をレクチャーしていったんですよ。

桑原さんにとって、こうしたものづくりは初めての経験。何もかもが手探りで、次から次へと課題に直面し、挫折しかけたこともあったといいます。

桑原さん:そんなとき、知り合いの社長さんから、杉の学名を教えてもらったんです。「クリプトメリアジャポニカ。“隠された日本の財産”って意味なんだぞ」と。それでちょっとやる気を持ち直したんです。そうか、日本の財産なら、大事に扱わないとな、って。そんなことを繰り返しながらなんとか完成させることができて、2014年5月には『KUMIKI LIVING』として試験販売を行いました。

¥◎1LIVINGキット

パーツを組み合わせ、ボルトレンジで留め、木のねじで蓋をする。必要なのはこの3ステップだけ。材料を仕入れて工具を使って…という本格的なDIYには及び腰になってしまう人も、気軽につくる楽しさを味わうことができます。木の質感が伝わり、杉なので軽くて持ち運びが便利なところも喜ばれました。2014年8月からは、数量限定で本格的に販売を始めています。

桑原さん:マンションの共有スペースに、KUMIKI LIVINGで壁面本棚をつくるワークショップも行ったんですよ。参加者のみなさんは、「何かをつくるのは久しぶりだ」って楽しんでくれました。利用する人が、そのスペースをつくるところから関わるって、いいですよね。手間はきっと、愛着に変わると思っています。

2014.7.18