物語前編

東北はかつて縫製業が盛んで、縫製工場も多数ありました。しかし、賃金の安い海外に押されて少しずつ衰退していき、震災を機に閉鎖する工場が続出。そこで働いていた人たちは、高い技術を持ちながら、それを活かす場を失ってしまいました。
東京に住み、趣味でフラダンスを習っていた会社員の坂井弘美さんは、その状況を知って「フラやハワイをテーマにした製品を東北でつくったらどうだろう」と思いつきます。「誰もやらないなら自分がやろう」と、未経験にも関わらずアパレル業界へ飛び込み、ブランドを立ちあげてしまいました。
縫製のプロたちに、フラの衣装をつくってもらおう
坂井さんがこのプロジェクトを思いついたのは、海外に発注していたフラの発表会用衣装が届いたことがきっかけでした。
坂井さん:試着してみて、みんながっかりしてしまったんです。ちゃんとサイズを測って注文したのに、ウエストがきつかったり、胸が余ってしまったり、自分たちで手直ししないといけないものばかりで。もちろんちゃんとしたお店もあるんでしょうけど、やっぱり品質に問題があるところもあるんだな、と感じました。
発表会前の、ちょっと残念な出来事。でもこのことが、坂井さんの人生を大きく変えることになります。
坂井さん:その後、被災地へ衣類を送る活動をしていた『一般社団法人 日本リ・ファッション協会』の鈴木さんと知りあい、縫製工場や工房が被災して仕事を失った方がたくさんいることを知りました。鈴木さんは、「現地にミシンを送る活動があるけど、同時に仕事もつくっていかないといけない」と話していました。じゃあ、フラのブランドを立ち上げてその人たちにつくってもらったらどうだろう?と考えたんです。
フラ用品やハワイ雑貨には固定客がついていて、一定の購買数が見込めます。また、自然の恵みに感謝し、愛と調和を重んじるアロハの精神は、東北に通じるものがあると感じました。
坂井さん:震災が起きた年からずっと、「誰かやってくれないかな、アイディアならいくらでも出すから」と思っていました。でも、結局は自分が動かないと進まないことに気づき、やってみることにしたんです。
日本興亜損保が主宰する東北・社会起業家応援ファンドに応募した坂井さんは、79件の中から選ばれて助成金を手にしました。2012年12月、プロジェクトは動き出しました。
つくり手に支えられながら誕生したブランド
この企画は本当に、東北の人に賛同してもらえるだろうかーー。最初に坂井さんが取り組んだのは、つくり手の募集です。リ・ファッション協会の鈴木さんから、協力してくれそうな方を紹介してもらいました。
開いていた手芸教室が流され、仮設商店街に手芸店を開いた陸前高田の徳山さん。勤めていた工場が震災のため閉鎖し、自ら工房を立ち上げた石巻の阿部さん。相馬の縫製工場マルマに勤める松本さんと、コーディネーターの高橋さん。岩手・宮城・福島から1団体ずつ、手芸や縫製のプロが集まりました。
坂井さん:まずは顔を合わせて、こちらの想いを伝え、みなさんの意見を聞きました。みなさん「素敵ね」「ハワイの柄は明るくていいわね」と言ってくださいましたが、期待半分、不安半分だったんじゃないでしょうか。何しろ、私がアパレルについて全くの素人だったので(苦笑)。
生地はどこから仕入れるか、ミシン糸はどんなものを選べばいいのか。未経験で飛び込んだ坂井さんにとって、ものづくりの世界はわからないことだらけ。製品ラインナップのひとつとして考えていたアロハシャツも、工程が複雑で専用の機械も必要になるため、そう簡単にはつくれないことがわかりました。
坂井さん:考えが甘かったんですよね。でも、幸い集まってくれたのが良い人ばかりでとても助けられました。逆にこちらが教わりながら進めていった感じです。

相馬の工場で試作を行う松本さんと高橋さん
また、工業用ミシン糸の販売店さんなど関係各所に問い合わせると、「東北のためなら」と値引きをしたり、親身に相談に乗ってくれたりしたそうです。
坂井さん:関わった人のほとんどが、何かしらの応援をしてくれたと思います。「震災から2年が経とうとしているのに、日本も捨てたものじゃないな」と感動しました。
多くの人に支えられながら、2013年3月に『東北マハロファクトリー』を設立。同年9月、『キラ・ウエア』というブランド名でYahoo!ショッピングに出店、インターネットで製品の販売を開始しました。
2014.6.30