つくり手インタビュー

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岩手・宮城・福島の工場や工房で製作しているキラ・ウエアの製品。福島チームは、地元でNPO法人を運営する高橋さんがコーディネーターとなり、相馬市の縫製工場『有限会社マルマ』で縫っています。高橋さんと、マルマ代表の阿部さん、つくり手の松本さんにお話を伺いました。

みんなが創造力や創作意欲を発揮できたらいい

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——高橋さんは、震災前は何をされていたんですか?

高橋さん:私は元々美容師だったんですよ。お客さんの中にガンを経験された方がいて、ガン患者がかぶる髪つきのキャップを開発しました。それで、周りの人から「高橋さんこれはNPOをつくって売っていくべきだよ」と言われて、NPOを立ち上げたのね。それが震災の前の年のこと。

——震災のときは、ご無事でしたか。

高橋さん:昔の家は沿岸部にあったので流されたけど、今の家と命は無事でした。逆に、物資の運搬を支援していましたね。

津波の被害を伝える写真集を製作するなど、多様な活動をしている高橋さん

津波の被害を伝える写真集を製作するなど、多様な活動をしている高橋さん

——キラ・ウエアさんとはどんなご縁だったんですか?

高橋さん:このキャップを製品化するにあたって、日本リ・ファッション協会の鈴木さんに相談していたんですよ。そしたらあるとき、「こんな企画が動いているんだけど、協力してもらえませんか」って。それで、地元の縫製工場のマルマさんと一緒にやるのがいいかなと思い付いたのね。マルマさんにとって、少しでも仕事になるんならと思って。

——マルマさんとは以前からお知り合いだったんですか?

高橋さん:そう、知り合いの議員さんから頼まれたのよ、「相馬に新しく縫製工場ができたから、よろしく」って。私は相馬の関所とか、お局だとか言われているらしいです。何かあったらうちに相談がくるんですよ。

それで、マルマさんには知り合いの松本さんを紹介したの。彼女は長年縫製の仕事をしていて、技術を叩き込まれた人なんですよ。ブランドものの縫製なんかは、1センチの間に針目がいくつ、って指定されるの。そういう世界できっちり仕事してきた人だから、大きな戦力になると思いました。

だからキラ・ウエアの仕事も松本さんに担当者になってもらうことにしたんです。私も間に入る以上、責任持って仕事できる人がいないと嫌だからね。

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——相馬ではもともと縫製業は盛んだったんですか?

高橋さん:あのね、相馬は特区だったの。縫製工場が助成金で雨後の筍のように設立されたけど、助成金が終わったら萎んで、震災前からバタバタ閉まっちゃった。海外にやられっぱなしよ、やっぱり消費者は安いほうを選ぶもの。でも、そういう安い製品の中には一回洗うとねじれたり皺がよったりするものもあるから、気をつけないといけないんだけどね。地の目が合ってないのよ。つくり手にちゃんとした技術や知識がないんでしょうね。

東北には縫製のプロがたくさんいるけどね、工賃は安いよ。全然見合っていません。

——キラ・ウエアのお仕事はいかがですか。

高橋さん:がんばってくれてると思います。ちゃんと、当たり前の報酬を払ってもらってる。まだまだ数は少ないけど、数を縫えばそれだけ効率もよくなるから、これからに期待したいですね。

それと、一緒に考えていけるというのが嬉しいですね。縫製工場って、普通は頼まれた製品を縫うだけなんです。だから、「もっとこうしたほうがいいのに」と思ったとしても、自分の心に蓋をして機械の一部みたいに動かなくちゃいけない。

坂井さんは「こういうのをつくりたいんだけどどうだろう」って相談してくれるから、「こうしたほうがいいですよ」ってアドバイスできるの。

本当は、女っていうものはみんな、創造力とか創作意欲とか、いっぱい持ってるはずなのよ。みんながそれを発揮できるといいですよね。

仕事をいただけるのは、一番の財産

「有限会社マルマ」代表の安部さん

「有限会社マルマ」代表の安部さん

——安部さんは、いつから縫製工場を経営されているんですか。

安部さん:浜のほうで、20年位ニット工場をやってたんですよ。でも津波で全部流されちゃってね。もう年だし、再建は無理だと思っていました。

でも避難所で、不安になってるおかあさんたちをたくさん見てね。お金もないし、仕事もないでしょ。そりゃ不安ですよ。周囲からも「安部さん、女性の働く場所をつくってくれませんか」って頼まれて、23年8月にこの縫製工場を立ち上げました。相馬では一番早かったですね。

——失礼ですが、いまお年は…。

安部さん:70歳になりました。この年で社長やって、現場で働いてる人なんてあんまりいないんじゃないでしょうか。でも、あと2〜3年の間に、後継者を育てて任せるとか、買収してもらうとかしないとね。引くことを頭に入れて動かないと、と思っていますよ。

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高橋さん:この人はすごいんですよ、震災後にガンになって、立ち直ってるから。

安部さん:休めないもんだから、抗ガン剤打ちながら工場に出ましたよ。顔は青白いし髪の毛はないでしょ、外に出るのも嫌なんだけど、出なくちゃいけないから。

高橋さん:やっぱりねえ、気力なんだよね。何かに打ち込むのが一番の薬。それで治ったようなものかもしれない。私がいつも「支援を待つんじゃなくて、仕事をすることが大事」っていうのは、そこなの。それが本人のためになるんですよね。

安部さん:おかげさまでなんとかこうして、働けていますよ。それもお仕事があるからできること。こんなふうにお仕事をいただけるというのは一番の財産だと思いますよ、本当に。

可愛い製品をつくることができて嬉しい

高橋さんの紹介でマルマに入り、キラ・ウエアの製作を担当する松本さん

高橋さんの紹介でマルマに入り、キラ・ウエアの製作を担当する松本さん

高橋さんの紹介でマルマに入り、キラ・ウエアの製作を担当する松本さん

——松本さんは、縫製の仕事をして何年位経つんですか?

松本さん:30年くらいでしょうか。結婚後に縫製会社に勤めて、未経験だったんだけど色々教えてもらってここまでやってきました。介護で5年ほど離れていたんですが、震災前に親が他界しまして。仕事を再開しようかと考えていたときに高橋さんからこちらを紹介してもらいました。

——震災のとき、家はご無事だったんですか。

松本さん:いえ、流されました。3年間仮設にいて、今年ようやく、新しい家に移ることができたんですよ。やっぱり仮設っていうのはね…。ここまで来るのは、ほんとに大変でした。でもまぁ、いい経験したかな、と思います。

——そう思えるのはすごいですね。仕事は、再開してすぐに勘を取り戻せましたか?

松本さん:以前はジャケットやスカートを縫っていたんですが、マルマではカットソーやトレーナーを扱っているから、生地が全然違うんですよ。慣れるまでは大変でした。キラ・ウエアさんの製品は、前やっていたものと似ているので助かります。

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——この企画を聞いたときは、どう思いましたか。

松本さん:「どうなるんだろうな」って思いました。でも、ハワイの柄は色味が鮮やかで、縫っていて楽しいです。ほかの人から、「今日はどんなの縫うの?」「鮮やかでいいな」って羨ましがられるんですよ。さっきも言われました(笑)

パウスカートは縫う距離が長いんですね。3m65cmで、それを8本。だから、縫っていても「いつ終わるんだろ、いつ終わるんだろ」という感じです。また、ゴムを通すときは、4本同時に進めていかないといけません。これがけっこう大変なんですよ。縫うよりも大変かもしれない。

でもね、完成するとものすごく可愛いんです。だから、できたときは「あー嬉しいな」って思います。いつか、お客さんがこれを着て踊っているところを見たいですね。

2014.6.20