つくり手インタビュー
若くして伝統工芸の道に入った、塗り師の小松愛実さんと蒔絵師の大竹由布子さん。出身も年齢も違う2人ですが、高校卒業後の経歴は全く一緒。ふたりとも、会津短大のクラフトゼミで漆を学び、会津漆器技術後継者育成校で修行しました。現在は師匠のもとで技術を磨きながら、『omoi no mi』のように新しい製品づくりにも挑戦しています。
たくさんの人に漆のことを知ってほしい
——小松さんは、どうして短大のとき漆のゼミを選んだんですか?
小松さん:たまたま…ですね(笑)最初は漆をやりたいなんて全然思っていなくて、「漆?あー、伝統工芸でしょ?よくわからないけど」っていう感じでした。ほかに入りたいゼミがあったんですけど、人気ゼミは混むんですよ。それで、漆のゼミのところで「1から自分の手でつくれるところが魅力」って言われて、楽しいかもしれないな、と。
——実際はいかがでしたか?
小松さん:最初にやったときから、「あ、いいな」って。それから2年間、漆面白いなって思い続けて。
——それで、塗り師になろうと。
小松さん:だいぶ迷いましたね。最初は就職しようと思ってたんですけど、就職試験を受けてる時に違うかなって思って。企業で仕事するっていうのはしっくりこなかったんですね。会津に訓練校があるのは知ってたから、もう2年取り組んでみて決めるのもいいかな、と。
いまお世話になっている師匠は、学校に教えにきてくださっていたんですよ。そのうちに工房の方にも時折お邪魔するようになって、「卒業後もよろしくお願いします」って弟子入りしました。2011年の春のことでした。
——ご実家は陸前高田なんですよね。震災の被害は大丈夫だったんですか?
小松さん:実家は大丈夫でした。祖父母の家は海の前にあったので流されちゃったんですけど、人はみんな無事だったので。
——会津に来ることは反対されたりしませんでしたか?
小松さん:いえ、それはなかったですね。私の場合はもう、「こいつはそんな感じなんだろうな」って周囲から思われてたし(笑)
日塔さん:でも、すごいですよね。みんなが避難しているときに、若いながらも福島で仕事するぞって覚悟を決めていて、尊敬します。みんな感激してたよ、あなたたちのその覚悟に対して。「すごいんですよぉ〜〜〜マキさん聞きました!?」って言われたりして、「知ってるよ(笑)」って。
——研究員はけっこう若い子が多いんですね。
日塔さん:そうなんですよ。いま30人位いるけど、大学生が中心です。だからこの子たちはお姉さんですね。ね、ゆうちゃん。
大竹さん:はい、お姉さんになっちゃいました(笑)
——大竹さんはずっとお父さんのお仕事を見て育ったんですか?
大竹さん:そうですね。ずっと見ていて、楽しそうだなって思ってました。自分がちゃんと好きで、得意で、成果を発揮できる分野のものに取り組みたいって思いました。
——いまはいろんなことが選べる時代だから、自分の好きなものがはっきりしている人には、そういう道がいいんでしょうね。
大竹さん:2013年の3月に訓練校を卒業して、いまは父親の仕事を手伝ってます。
——HPに、お父さんへのお手紙が載っていましたよね。「このまま福島にいていいのかな」って泣いたとき、数日後にお父さんが「ここにいても大丈夫だから、心配しなくてもいい」って言ってくれたと。
大竹さん:そうなんです。東京にいる友達からのメールが怖くて。「そこは危ないから、早く逃げた方がいい」って。そんなこと言われても、どうしようって。
会津若松は線量も低くて、大熊町から避難してきた人がたくさんいるんです。避難してくる人がいるのにそこから避難するっていうのは矛盾も感じたし、移住するなら絶対家族でって思いました。それで親に相談したら、「却下」って(笑)でもそれで、これから蒔絵師として生きていくっていう決心がつきました。
——ふたりとも、実際に仕事をはじめてどうでしたか。
小松さん:いやもう、全然だめでしたね。毎日反省です。学校で習ったのはほんとにさわりだけなんだなって実感しました。道具の扱いや工程ひとつとっても、なんのためにそうするのかっていう理由がちゃんとあって、伝統ってすごいんだなと思いました。
大竹さん:私も、はじめは失敗…いまも失敗(笑)しますよね?
小松さん:します。みんなそうですよね。
大竹さん:父も、私にできそうな仕事を持ってきてくれるんですよ。でも、問屋さんがいつも納品しているのは父の絵で、どうしても自分でやると変わっちゃって。問屋さんに持って行ったら「全然違うよね」って言われて、「すみません書き直してきます!」とか。
——自分で仕事をするようになってわかった父のすごさ、とかあったりします?
大竹さん:スピードが違いますね。訓練校のときって、つくる作品数がものすごく少ないんですよ。そういった授業の作品とか、自分の趣味だったらいくらでも時間かけていいと思うんですけど、問屋さんからの注文は何十個、何百個単位で来るから、早くやらないといけない。私が1個仕上げたときに、父は5個終わってるんです。でも、だんだん私も早くなってきて…そういうとき、「成長したかな?」って思いますね。
——工房の仕事と『omoi no mi』の仕事では、面白さに違いはありますか?
大竹さん:『omoi no mi』は、はじめの企画段階から自分で関わったので、それが楽しかったです。木地師さんのところに行って、そこの作業が終わったら小松さんに塗りをお願いして。つくるだけじゃなくて、ほかのところも見れたのが良かった。
——通常の会津漆器は、木地師さん、塗り師さん、蒔絵師さんとそれぞれが工房を持っていて、完全分業制なんですよね。
大竹さん:そうなんです。だから『omoi no mi』はとても勉強になりましたし、とても楽しかった。自分たちが素敵だなと思えるものがつくれたから。
あと私、アパレルブラントと漆をコラボすることがずっと夢だったんですよ。
——『omoi no mi』はアーバンリサーチさんとコラボしていますね。
大竹さん:アーバンリサーチさんは服も好きだったし、その話を聞いたときは「え!」ってびっくりしました。
日塔さん:私それ、ゆうちゃんがHPに載せる用に書いてくれたお手紙を読んで知ったんですよ。言ってくれたらいいのに(笑)
——アーバンリサーチさんとは、どういうつながりだったんですか?
日塔さん:東北を応援したくて、どこか組めるところを探していたそうなんです。「じゃあうちの製品はいかがですかー?」ってご挨拶に行ったら、すぐに福島に来てくださいました。そのとき既に『omoi no mi』のサンプルをつくりはじめていたので、それも見せて。そしたら「漆いいじゃん、やろうよ」って、即決でした。
——可愛いですもんね、色も質感も。
日塔さん:がんばったもんね、みんな。
小松さん:使っていくうちに、色が変わっていくんですよ。だんだん彩度が明るくなっていきます。そういう変化も楽しんでほしいですね。
日塔さん:こういう小物って、けっこうすぐ飽きちゃって新しいもの買っちゃったりするんですよね。そうじゃなくて、長く大事にしてもらえたらいいなぁって思います。
——『女子の暮らしの研究所』のメンバーから学んだことや影響を受けたことってありますか?
大竹さん:みんな政治とかちゃんと考えていてすごいなと思いました。…本当に、すごい。
小松さん:会津って、全然被害がなかったんですよ。だから、平和ボケ気味なところがあるかもしれない。
大竹さん:女子クラ(女子の暮らしの研究所)のメンバーはいろんなことに真剣に取り組んでいて、あーこれじゃだめだな、私たちも考えないと、って思いました。
——今後、こういうことをしていきたい、という希望はありますか?
大竹さん:やっぱり新しい商品つくりたいなって思います。若い子はほんと、漆のこと知らない子が多いので。女子クラのメンバーの中にも、「え、漆って木の樹液なんですか?え?木?なんの??」って混乱していた子がいたり(笑)
——さすがに会津若松で育った子は知っているんでしょうか?
大竹さん:いえ、会津でもたまに知らない人はいますよ。わたしの友人で知らない子がいました。
小松さん:蒔絵体験とかあるから、みんな知ってるのかと思ってた。
大竹さん:それがそうでもないんですよ。でもこのまえ、高校卒業したばっかのイケイケの男の子が、蒔絵のことを知ってたんですよ。趣味はDJ、みたいなちょっとヤンチャな感じの子なんですけど、「俺知ってる。金粉蒔くんでしょ」ってちゃんと理解していて。知ってる人はちゃんと知っているんだなって嬉しくなりました。
——伝統工芸に興味なさそうな子が普通に知っていたりすると、嬉しいですね。
大竹さん:そうですね。女子クラの商品は、若い子に興味を持ってもらう良い機会だと思うので、続けていきたいです。
2014.6.19