物語後編
太陽光発電所?そんな大それたこと…やってみようか
「太陽光発電所をつくりませんか?」——太陽光発電の普及促進を行う『太陽光発電所ネットワーク(PVネット)』からそんなお誘いがあったのは、2012年の中頃のことでした。
大澤さん:PVネットさんは被災地に太陽光発電所をつくる支援をしたいと考えていたようで、うちに相談があったんです。最初は土地だけ貸すもんだと思って、「どうぞどうぞ、日当りもいいですよ。木も切りますよ」って言ってたの。そしたら「いや自分たちでやってもらいたいんですよ」って。
それはちょっと話がでかいなと思ったんだけど、考えてみたら、大工さんはいるし、土木関係の仕事してた人もいるし、私もNTTに務めていたから配線のことはわかるし、できるんじゃないかなって。みなさんに相談したら「やってみようか」って話になって、引き受けたんですよ。
建設費用は約1,800万。PVネットが1口10万円の市民ファンドを組んで集めてくれました。12月に基礎工事を終え、雪が積もる冬の間は中断し、春にパネルを設置しました。
大澤さん:最初は専門家の指導を受けましたが、その後は自分たちで施行しました。いやもう、進む進む。みなさん要領がいいし、早いんですよ。専門家の方が次にやってきたとき、「ほとんど手直しするところがない」って驚いていました。
『野田村だらすこ市民共同発電所』は無事に開所し、2013年6月から電力会社への売電をはじめました。1か月の発電量は、冬で3,000kwh、夏で5,000kwh程度。建設費用は14年かけて出資者に返済する計画でしたが、この調子でいくと10年ほどで返せそうな勢いです。「被災したお父さんたちが発電所を建てた」という話はちょっとした話題にもなりました。
大澤さん:あんな(原発)事故があって、我々年寄りもない頭でエネルギーのことや未来のことを考えたんですよ。小さな発電所だからたいした影響力はないけど、水力がいいのか、風力がいいのか、太陽光がいいのか、考えてもらうきっかけになればいいな、と。
まだ詳しいことは決まってないけど、村に2号機を建てる計画もあるんですよ。だらすこも参加したいけど、若い人たち、高校生や中学生も一緒になって、みんなで取り組んだほうがいいかなと思っています。ものを運んだりとか、ちょっとしたことでもいいんですよ。
ただ見学するだけだと「立派だな」で終わっちゃうけど、少しでも手を動かせば「自分も関わったんだ」って気持ちが芽生えるでしょう。自分のこととして捉えてもらえたらいいよね。
「年寄りだって、やれることはあるんだぞ」と言いたい
活き活きと楽しそうに活動しているだらすこ工房のみなさんですが、やはり震災には辛い記憶もあり、本当は忘れたいのだといいます。でも、「これは忘れちゃいけないことだ、またこんな被害が出ないように、犠牲者を出さないように、伝えていかなくちゃいけない」と静かに話します。
大澤さん:時間の経過っていうのは恐ろしいもので、何もないと忘れてしまうんですよ。じゃあどうしたらいいか。そのひとつが、防潮林の植樹です。
植樹をするときは全国に発信して、たくさんの人にボランティアに来てもらいたいと思っています。自分で植えたら、また見に来たくなるでしょう。それで毎年下草を狩りにきてもらう。「これは震災の何年後に植えたんだったな」って、それを手がかりに思い出してもらいたい。
そうやって、何年も何年も繋いでいって、千年後の子どもたちに、津波の被害のことも、こういうふうに復興していったってことも、伝えていけたらなと思ってるんですよ。
高齢化率(総人口のうち、65歳以上が占める割合)が30%を超える野田村。一般的に、地方の高齢化というと、「若者ひとりで数人を支えなければいけない」とネガティブに語られがちです。でも、だらすこ工房に集うお父さんたちは、そんなイメージを吹き飛ばしてしまうほど、頼もしくパワフルな方々でした。
失ったものを懐かしむのではなく、周りにあるものを活用して自分の手でつくっていくこと。悲しみを抱えながらも、前を向き新しいことに挑戦していくこと。地域の未来を悲嘆するのではなく、できることを考えて実行していくこと。お父さんたちの姿勢から学べることは多そうです。
大澤さん:大変な時代だもの、子どもたちは震災の負債を背負って、可哀想ですよ。だから、大事にしなくちゃいけないし、頼ってばかりもいられない。「年寄りだってやれることはあるんだよ、発電所だってつくれちゃうんだよ」って示したい。それで、「負けてらんないぞ」って子どもたちが思ってくれたら嬉しいね。
2014.5.9