つくり手インタビュー
トントンカンカン、ダダダダダ。いろんな工具の音と、お父さんたちの笑い声。しんと静かな森の中、だらすこ工房からは何やら楽しそうな音が漏れ聞こえてきます。取材の日、工房に来ていたのは大澤さん、畑村さん、石花さんの3人。近くから貰ってきたという大きな木材を軽トラから下ろし、一休み。震災のときのこと、普段の工房のことを教えてもらいました。
見学者が多いから、話上手になっちゃった
——震災のとき、みなさんはどうされていたんですか?
大澤さん:私はここにいたんですけど、すぐに村を見に行こうとしたんですよ。2年前に町内会長やってたとき、自主防災を立ち上げたの。野田村は過去の津波で浸水区域になってるし、年取ったら逃げるの大変だからね。ひとりで逃げられない人がどこに何人いるか調べて、近くにいたらこの人が一緒に避難所に連れていく、って組織図つくって。
その人たちのことが心配だったもんだから村に向かったけど、途中で津波が来ちゃって村には行けなくてね。この人(畑村さん)は逃げるの早かったよ。こういう人ばっかりだったら心配ないんだけどね。
畑村さん:昭和8年の津波で家が流されてますからね。親父から聞いていたんですよ。震災の2日前にも地震があったけど、そのときも私は逃げましたよ。恥ずかしいけど逃げました。
大澤さん:いやいや、それが大事なのよ。空振りしたっていんだから。津波警報が出るとね、わざわざ見に行く人がいるんですよ。「なんだ、これくらいの地震でも来ないのか」って。それが頭に入ってて「津波なんてそうそう来ないよ」って人に言ってるとね、危ないんですよ。
畑村さん:波の力ってすごいんですよ。逃げるが勝ち。20センチ来ただけで足元すくわれますからね。
——石花さんはどこにいらっしゃったんですか?
石花さん:私は浜にいたからね、すごい揺れで立っていられなくて、防波堤のところに四つん這いになったから。そうしたら、近くの岩が崩れてくるの。「これぁだめだー、津波来るぞ、行くべ行くべ行くべー」って周りの人に声かけて、自転車漕いで逃げたの。
家に行ったらかあちゃんが散歩から帰ってきたとこで、「ほら津波来るから行くぞー」って。
畑村さん:女房たちだけだと逃げないからね。荷物揃えてても、そのときになるとあれもこれもと支度したくなっちゃうしね。
大澤さん:うちの家内にしたって最後の最後だよ。愛宕山の階段登ったところで水が来たって。両肩から鞄ぶらさげて、身軽に逃げればいいのにね。それでも助かったから、いまとなっちゃ笑い話だけどね。
「津波が来るよ、逃げましょう」って言われても「いやあまだいいよ」と逃げなかった人も何人かいるんですよ。孫やひ孫に「じいちゃんじいちゃん、逃げようよ」って手を引っ張られて逃げたっていう人も多いの。「いやあ孫に助けられたよ」って。だからね、避難所の設定がおかしいとか、避難路がだめとか、そういう話じゃなくて、とにかく逃げるっていう意識を持たないと。
畑村さん:よくここに大学生や子どもたちが来るでしょう、そうするといつも言うんですよ。一歩でもいいから、とにかく海から遠くへ。一歩でもいいから上へ。一歩の差で助かる人もいるっていうことを教えたいんです。
——そうやって、津波を経験された方から直接話を聞くと重みが違いますね。
——話は変わりますが、『たつのだ』シリーズ以外にも、たくさんの製品があるんですね。この可愛いキャラクターはなんですか?
畑村さん:それはのんちゃん。野田村のキャラクターで、鮭の稚魚。卵から孵ったばかりはこんな格好なのよ。これが一番よく売れるかな。
——こっちのこれは…。
石花さん:『なんでえ棒』。紐が何本もあるでしょ、どれか引っ張ってみて。
——あれぇ?どうなってるんですか?
畑村さん:だから『なんでえ棒』。なんでこうなるかなって。山梨の92歳のおじいちゃんが送ってきたのよ。「これつくりたいな」って言ったら、「仕組みを解明したらつくっていいよ」って。「但し割ったら駄目だ」っていうから、みんなであーでもない、こーでもないって知恵を絞って。
石花さん:わかってしまえば簡単なんですよ。「なんでえ、こんなもんか」って。
——面白いですね。みなさん木工経験があったんですか?
大澤さん:我々の世代は小さいときに小刀一本持っていろいろつくってたんですよ。だっていまみたいに遊ぶものがないんだもの。竹切って自分で遊び道具つくってたからね、だからみんな素質があるんです。
——「ないならつくろう」っていう発想ですね。いまはなんでも揃う便利な時代ですけど、自分で何かをつくる技術は身に付きづらいのかもしれませんね。
大澤さん:お金さえ出せば買えるからね。まあそれはしょうがないよ、時代だから。どうこうしようとかはないけど、まあこんな風に楽しそうにものづくりしてる姿を見せるのもいいんじゃないかな。
——この地域の小中学生も見学に来るんですか?
大澤さん:そうですね、よく来ますよ。こないだね、野田中学校の桜の木が道路拡張で切られたんですよ。樹齢50〜60年くらいの木。村にお願いして貰ってきて、コースターにしたの。
——たくさんの人の思い出の桜だったんでしょうね。
畑村さん:私たちの代で植えた木だったと思いますよ。これを燃やしちゃったら終わりだけど、製品にすると残るからね。なんでも大事にしないとね。
大澤さん:去年は野田中学校の一年生が体験に来て、ここで製品を作って打ったの。そのお金で桜の木を買って植えるってさ。今年もやると思うよ。
——そういうふうに循環していくのはいいですね。
いまままで続けてきて、嬉しかったことってどんなことですか?
大澤さん:いやあ、私はやることなすこと楽しくやってきましたから。…でもやっぱりね、震災前はひとりだったでしょ。それもいいかなと思っていたけど、寂しいときもありますから。「誰か遊びにくればいいのにな」なんて思ってたんですよ。それがいまは賑やかですからね。こうして何人かいると、それはそれで楽しみがありますよ。
見学者が来る度にいろんな話するから、みんな口下手だったけど、話上手になっちゃったよ(笑)大学生なんかと話してるとね、問題意識持ってるなって感じます。「日本の将来任せてもいいかな」って思ったりするんですよ。ねえ?本当に、たいしたもんですよ。
製作工程
木版に型をなぞり、カットします。
ベルトサンダーで形を整えます。
ヤスリで磨きをかけます。
ウッドバーニングで模様をつけます。
油を塗ります。口に入れても安心。
完成!どんこの箸置き。とぼけた表情が魅力です。
2014.5.9