物語後編
ちゃんと利益を出すことで、活動が継続できる
優しい色のお花が可愛いタティングレースのピアス、6つつなげると『花は咲く』を奏でるオルゴール、会津の絵ろうそくを参考にしたアートキャンドル…。児島さんは次々と新しい商品を開発し、つくり手の「花咲かお母さん」たちも、仙台、大槌、会津若松と、各地に広がっていきました。
児島さん:花咲かお母さんの商品を企画するとき大変なのが、商品の品質とコストのバランスをとること。つくるのに時間がかかると、その分工賃が高くなり、商品の価格も上がってしまいます。でも、高すぎると売れない。可愛いけれどお手頃で、お客さまが納得できる価格帯に落とし込む必要があります。
「社会性、事業性、独創性の3つの円が重なるところで仕事をする」。それがフェリシモのポリシーです。東北を応援するための製品であっても、ほかの製品と同じ品質、同じ利益率が求められるそう。一見厳しいようにも感じますが、そうして緊張感を持って取り組んでいるからこそ、『東北 花咲かお母さんプロジェクト』の製品は震災から時間が経っても色褪せず売れ続けているのかもしれません。
ここ数年で、ビジネス界では「CSR(企業の社会的責任)」に代わって「CSV(共通価値の創造)」という言葉が囁かれるようになりました。社会貢献活動は会社の業績が傾いたときに取り組めなくなる可能性がありますが、お互いに得をする仕組みなら会社の経済状況に左右されず続けることができます。フェリシモでは、まさにこの考えを大事にしています。
児島さん:「フェリシモにできることはなんだろう?」ではなくて、「フェリシモがお客さまと一緒にできることはなんだろう?」といつも考えています。そのほうが、お客さまにとっても楽しいことが多いんじゃないかと思います。
その良い例が、以前このサイトでも紹介した、女川の『みなとまちセラミカ工房』と連携した企画です。セラミカ工房の阿部さんはスペインタイルで女川町を明るく彩りたいという夢を描いていました。ただ、そこでネックとなっていたのが、「誰がその費用を負担するのか?」という問題です。
そこで児島さんは、セラミカ工房とのコラボ商品を開発し、売上の一部を基金として、まちを花ではなくスペインタイルで彩る企画を提案しました。お客様の手元に届けた商品と同じデザインのタイルをまちのあちこちに設置するという仕組みです。購入したお客様はきっと、自分の持っている商品と同じ絵柄を探しに、女川町を訪れたくなるでしょう。
この計画は女川町役場にも認められて商品化し、売れ行きは好調とのこと。阿部さんの夢が叶う日も近いかもしれません。
100年後も残る仕事
2012年10月7日、石巻。同じく27日、南三陸町。2013年4月25日、仙台。10月5日、大槌町。2014年4月20日、野田村。これは、花植えを行った日付の記録です。いままでに集まった基金は300万円を超え、花植えを4回実施することができました。児島さんはみんなで花を植えるときが、一番嬉しいといいます。
児島さん:最初に仕事をお願いするときも「みなさんの手仕事でまちに花を植えるんです」と説明しているんですが、みなさんピンときていなかったと思うんですよ。「あら、いいわねぇ」という程度で。
でも、実際に植えることになったときの喜びようと言ったら!(笑)とてもいい笑顔を見せてくれました。
道沿いに八重桜や陽光桜を植樹したり、パンジーやビオラなど色とりどりの花をプランターに植えて仮設住宅に置いたり、植える場所や花の種類は地域によってさまざまです。仙台では、『花咲かお母さんプロジェクト』の話を聞いた地元の中学校が、「ぜひうちの校庭に植えて下さい」と申し出てくれました。
自分が頑張った手仕事によって、かつて通っていた学校が、やがて子どもや孫が通う学校が、花でいっぱいになっていく。それは、自分のお小遣いが増えるよりもずっと嬉しいに違いありません。
児島さん:花植えはお客様も参加してくれているんですが、今まで手紙でしかやりとりしていなかった人同士が出会って、「あー!」って盛り上がったりするんですよ。広島や愛知など、全国から駆けつけてくれる方々がいます。つくり手と買い手がつながる瞬間を見ると、やっていてよかったと思いますね。
ひとりのつくり手さんが、「津波でいろんなもの流されたけど、フェリシモさんを通じて出会ったたくさんの人との絆は一生流されない」って言ってくれたことがあって、じーんとしました。もう、そのままキャッチコピーにしてカタログに載せられますよね(笑)
お母さんたちのもとには、全国からたくさんのメッセージが届くといいます。最初の頃は励ましの声が大半でしたが、最近は逆に「元気をもらった」という声が増えてきました。災害にめげず手仕事で前を向き、花まで咲かせてしまうお母さんたちの姿に、勇気づけられている人がたくさんいるようです。「全国に笑顔の花も咲かせるお母さんになりましたね」と児島さんは嬉しそうに目を細めます。
児島さん:5月10日に、福島県の大熊町で花植えをするんです。原発の影響で会津若松に避難しているお母さんたちがつくってくれた商品の基金で、80本の八重桜を植える予定です。
つくり手のお母さんたちに「どこに植えたいですか?」と聞いたら、「やっぱり、大熊町に植えたい」と言われました。役場の方から「大熊町の外れにある坂下ダムの周辺は、線量が低くて立ち入りも可能」ということを聞き、そこに植えることにしました。
大熊町は福島第一原子力発電所の1号機から4号機の所在地で、全町民が避難を余儀なくされています。彼らが再び故郷に住める日は、いつになるかわかりません。自分が生きているうちには帰れないかもしれない。そう覚悟している人もたくさんいるといいます。
それでも、大熊町に桜を植えたい。誰も住んでいる人がいなくても、美しいまちであってほしい。お母さんたちのそうしたけなげな想いに大熊町の行政の方も喜び、全面的に協力してくれているといいます。
児島さん:大熊町に住人が戻れるようになるには、時間がかかるかもしれません。でも、それでもいいんです。もともとこのプロジェクトは、ずっとずっと先の未来を想像しながらやってきました。
お母さんたちのいまやっている手仕事が地域の産業にまでしていけるかはわかりません。でも、少なくとも、それまでに植えた花は残ります。それは、お母さんたちがまちのためにがんばった証ですよね。
100年後に、花の名所がいっぱい残って、語り継がれていたら、嬉しいです。
花咲かお母さんたちが植えた木や緑は、何世代にも渡って、その道を通る人の顔を優しくほころばせつづけることでしょう。花びらが舞う桜並木で、小さな子どもの手を引いたおばあちゃんが「この木はおばあちゃんが子どもの時にね…」とその物語を伝える。そんな光景が、目に浮かびます。
2014.3.24