物語後編

震災を経験した工房だから、
「ユーザーが考えなくていい製品」はつくりたくない

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石巻工房のベンチやスツールは屋外での使用を想定していたため、ウッドデッキ等に良く使われるレッドシダーを採用しています。製品化にあたり質の高い木材に変えたので家の中での使用も問題ありませんが、普通の家具に使う木材よりも含水率が高いため、時間が経つにつれ少し曲がったり隙間が空いたりしてきます。

千葉さん:「うちの家具は未完成の家具だから、育ててください」って言ってるんです。家具って飾りものじゃないから、使っているうちに汚れたりキズがついたりするものじゃないですか。触っているとだんだん手垢でつるつるになっていくし、コーヒーをこぼせばシミになる。それってその家の歴史ですよね。思い出として楽しみましょうよ、と。

汚れが気になるなら自分でやすってもいいし、角が邪魔ならノコギリで切ってもいいんですよ。使い倒して自分のものにしていく、自由な家具。そういう家具があってもいいんじゃないか、という提案ですね。

買ったときを完成形と考えれば、その後はどんどん劣化していくだけ。でも、変化していく過程を楽しんだり、自分で手を加えたりすれば、どんどんその家具への愛着は増していくはず。経年劣化ならぬ、経年美化と言えるかもしれません。

千葉さん:小売店とコラボして製品をつくったとき、脚にキズつき防止のフェルトをつけてほしいと頼まれたことがありました。それで、ユーザーが自分でカットして使えるように長いフェルトを一枚つけたら、「お客様からクレームが来るので、4つに切って入れてください」と言われたんですよ。

「フェルトが1つしかついてないんですけど」って電話が来て、「4つに切ってください」と答えると、「あ、そういう意味ね」ってなるらしいんです。説明されなくても考えればわかるだろ?と思うんだけどね。ユーザーが自分の頭で考えなくなってきている時代だな、と思います。

見方を変えればそれは、ユーザーが何も考えなくても使える、至れり尽くせりの製品をつくれば売れるということ。でも、震災を経験して立ち上がった工房だから、そういうことはしたくないと千葉さんはかぶりを振ります。

千葉さん:災害時には、道具も材料もない中で、なんとかしなくちゃいけない。だから、ある程度自分で考えてもらいたいんですよ。ある意味、石巻工房はユーザーに優しくない、不親切な工房を目指してるのかもしれませんね。

通常の家具はビスが見えないように隠されているものが大半ですが、石巻工房ではあえて隠さないようにしています。なぜなら、「製品を見れば構造がわかる」ようにすれば、ユーザーが自分で家具をつくりたいと思ったときの参考になるから。石巻工房では、たくさんの人にDIYを経験してほしいと考えているそうです。

千葉さん: いま、日本の家庭の半分では、ドライバーがないか、またはどこにあるかわからないそうです。震災のときも、ドライバーがあれば簡単に直せる破損なのに、ないから支援を待つだけ、という家がたくさんありました。だから、「一家に一台ドライバーを」って言ってるんですよ。できれば電動ドライバーがいいですね。ドライバー啓蒙活動が、石巻工房の裏テーマです(笑)

着実に製品をつくる人、先を見て仕掛けていく人、両方が必要

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「誰でも簡単につくれること」を第一条件に設計された石巻工房の製品ですが、デザインは芦沢さんをはじめ、著名なデザイナーやクリエイターが担当しています。素朴でありながら洗練されたデザインは、石巻工房ならではの魅力です。

千葉さん:ミラノサローネやフランスのメゾン・ド・オブジェ、ドイツのアンビエンテといった海外の展示会でも、まずデザインが評価されています。製品を見たバイヤーから、「これ面白いね、10セットちょうだい」と注文が入る。「ところでイシノマキラボラトリーってなに?」と聞かれて、初めて震災のことを説明する。そうすると、「それは本当か、じゃあ応援したいから5セット追加するよ」って。

「復興支援」が先に来るのではなく、それらはあくまでも付加価値。バイヤーは、製品そのもののデザインや品質に価値を感じてくれています。

千葉さん:2012年の夏から、石巻工房では製品の説明から「復興」や「被災地」といった文言を消したんですよ。そういったことを謳わなくても売れる製品をつくろう、と。石巻の人だけでつくっていたら、こうはいかなかった。「復興支援グッズ」の域を出なかったでしょうね。

地方ではデザインの価値って評価されにくいんですよ。「え、デザイン料って何?そこにお金とられるの、意味わかんない」という感じ。でも、この仕事を始めてから、デザインの大切さを痛感しました。

世界に通用するデザイン力を持ち、ダイナミックに広報宣伝を行う芦沢さんたちと、製品と向き合い、日々の注文をしっかりこなしていく千葉さんたち。両方いるからこそ、石巻工房はうまく回っています。

千葉さん:忙しいときに芦沢さんたちから「この展示会に出そう」と提案されると、つい「こっちは普段の注文に対応するので精一杯でそんな余裕ないよ」と言いたくなります。

でも、目の前のことだけやっていても発展がないんですよね。石巻にいるとどうしても井の中の蛙になりがちだから、そうやって広い視野で物事を俯瞰して、攻めていく人が外にいてくれるのはありがたい。でも、向こうだけだと現場の感覚がわからなくなって、一番大事な日々の仕事がおろそかになる可能性がある。

たぶん、どっちだけでもダメなんですよね。向こうのスピード感と、こっちの現場感と。両方の感覚が合わさって、ちょうど良いところに落ち着いてきました。

若者に「石巻工房、面白いじゃん」と思ってもらえる場に

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震災後、石巻にはたくさんの人が支援に入り、そこから新たな活動が次々と生まれました。しかし、元々石巻は、あまりよそ者を受け入れる風土がなかったといいます。

千葉さん:松尾芭蕉が、石巻で宿を探したとき誰も泊めてくれなかったって「おくのほそ道」に書いてるくらいだから(笑)石巻に限ったことじゃなくて、地方はどこもよそ者に冷たいものかもしれないけど。でも、震災がなかったら、このまちは夕張みたいに破綻していたんですよ。「次は石巻だ」って言われていたから。変なプライドを守っている場合じゃなかったんですよね。

震災が起きて外の人から助けられたことにより、まちの人の意識も変わりました。よそ者を柔軟に受け入れられるようになり、市内ではお店が20%増えたといいます。

千葉さん:俺が子どもの頃は、石巻駅周辺は土日になると人がいっぱいになって、歩行者天国になるほどだったんですよ。その頃にいい思いをした記憶が残っている人は、なかなかそれを抜け出せない。経済の中心地がイオンのある蛇田に移って、商店街にシャッターが閉まっているお店が増えても、「この土地には価値があるんだ」と賃料を下げないから、新しく店を出したいという若い人がいても借りられない、という状況がありました。

でも、震災後はちょこちょこ新しいお店ができて、なんとなく「蛇田が経済圏なら、こっちは文化圏だ」と棲み分けができてきている気がします。チェーン店じゃなくてこぢんまりしたおいしいお店ができたり、アート系のお店ができたり、面白くなってきていますね。このへんにも復興住宅が建つらしいし、その人たちが立ち寄ってくれたら、この辺りは復活できるのかな、と思っています。

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最初はビザが下りるまでの期間限定で工房長になった千葉さんですが、結局ビザは下りず、2013年のはじめにアメリカ行きの話は立ち消えに。千葉さんは、昔から好きだった木工の道で食べていくことに決めました。

千葉さん:アメリカ行きはノリで即決して行く気満々でしたけど、冷静に考えれば無理だったなと思います。俺も奥さんも英語喋れないし。それで商売やって、子どもも向こうの学校に通わせるなんて、無謀だよね(笑)だから、通らなくてラッキーだったかもしれません。でも、アメリカ行きで奔走していた時期があったからこそ、今に繋がっていると思います。

そんなこともあって、石巻工房の仕事も面白くなってきたし、「本気で工房長やりますわ」ってことになりました。鮨屋は、親父が再開して営業しています。もし工房が潰れたらまた鮨屋やらないといけないから、潰さないよう全力で頑張ろうと思ってます(笑)

現在、工房のスタッフは6人。助成金や寄付等に頼るのではなく、独自採算で雇っています。スタッフは仙台や埼玉など、石巻の外から来た人ばかり。石巻工房の噂を聞きつけ、「面白そうだから働きたい」と言ってきてくれるといいます。

千葉さん:メンバーみんな、変態ばっかりですね。自分を筆頭として(笑)ゆくゆくは、地元の人にも働いてもらえたらと思っています。興味がある人がいれば、だけど。

ただ、「高校を卒業してすぐ地元で働くのはもったいない」と千葉さんは続けます。地域の魅力は、中にいるとわからないもの。一度外に出て、そこから石巻を眺めると、「こんないいところがあったんだ」と見えてくるものがある。そういう発見をしてから石巻に戻ったほうが、面白いことができるんじゃないか。そう考えているそうです。

千葉さん:都会に出ていろんなものを見聞きした若者が石巻を振り返ったとき、「石巻工房、面白いじゃん」と思ってもらえる工房に育てていきたいですね。

2014.3.22