物語前編

震災直後、石巻には「自分で家を直したいという気持ちは持ちつつも、スキルも道具もない」という人が大勢いました。市民が自由に使える工房があれば、復旧が早く進むのではないかーーそんな想いから立ち上がったのが『石巻工房』です。
ここから生まれた製品は評判が良く、「購入したい」という人が多数現れたため、『石巻工房ブランド』の製品を製作・販売するように。2012年にはグッドデザイン賞特別賞を受賞するなど、多くの人に評価されています。
石巻工房のこれまでの歩みや今後の展望について、工房長の千葉隆博さんにお話を伺いました。

鮨職人から、期間限定の工房長へ

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「ずっと、閉塞感を感じていましたね」。震災前、千葉さんは父親の跡を継いで鮨屋を営んでいました。しかし、当時の石巻は、経済が右肩下がりの状態。少しずつ傾いていくまちの雰囲気や、それでも変わらず続いていく日常の繰り返しに、千葉さんは嫌気がさしていたといいます。

千葉さん:今から思うと不謹慎だけど、「何か非日常なアクシデントが起こればいいのに」と思っていました。変化を望んでいたんですよね。そしたら、実際にあんなことが起こっちゃった。やりすぎだよね。

津波は石巻市街地に押し寄せ、建物を破壊しました。お店は壊れ、千葉さんの母親は震災の翌日に帰らぬ人となりました。

千葉さん:これからどうしようかなと思っているときに、「アメリカで鮨を握らないか」という話が持ちあがって、乗っかることにしたんですよ。家族も連れていけるし、面白そうだなと思って。でも、就労ビザが中々下りなくて、その間は友人がやってる飲食店でバイトしていました。その店に、芦沢さんたちが復旧の手伝いに来て、知り合ったんです。

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芦沢さんとは、建築家の芦沢啓治さんのこと。東京に拠点を持つ芦沢さんは、2010年に石巻の店舗の建築設計を手がけました。しかし、そのお店が開店後半年も経たないうちに被災したことを受け、仲間と一緒に石巻を訪問。片付けや修理等を手伝っていました。芦沢さんはそこで、大半のお店が営業を停止している中、趣味のDIYで自店を修理し、営業を再開した居酒屋を見つけます。

千葉さんこのへんの人はみんな、ドアが壊れていても道具もないし修理の方法もわからないから、支援を待っている状態でした。それで、芦沢さんはホームセンターの工作室のように、道具があって、木工を教える場所があれば、復旧が早く進むんじゃないかと考えたそうです。

芦沢さんは道具や材料を集め、市民のためのDIY拠点として『石巻工房』を設立。市民と一緒にベンチをつくるワークショップ等を開催しました。千葉さんはそのワークショップを手伝うようになり、芦沢さんに木工の腕を買われます。

千葉さん元々、ログハウスビルダーに憧れて建築系の学校に通ってたんですよ。色々あって鮨屋を継いで20年やってきたけど、趣味で日曜大工は続けてた。昔からインパクトドライバー持ってたし、流されてもまた買ったし。で、
芦沢さんから「ドライバー使うの上手いよね」って目をつけられて(笑)

芦沢さんたちが東京にいる間、工房は道具も材料もあるのに眠っている状態でした。これはもったいないと、現地で動かせる人を探していたのです。千葉さんは、「ビザが下りるまでの間」という条件つきで、工房長を引き受けることにしました。

家具をあげるのではなく、一緒につくる

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千葉さんが工房を手伝うようになる少し前、芦沢さんたちは家具の製造・販売会社であるハーマンミラー社と出会いました。それが、石巻工房にとって大きな契機となりました。

ハーマンミラー社では、支援活動として、仮設住宅で簡単な家具の製作を教えるワークショップを開催しようとしていました。そのための場所や道具を探しているうちに、石巻工房に辿り着きます。両者は意気投合し、一緒に活動することに。ハーマンミラーの職人がものづくりのノウハウを提供し、芦沢さんや仲間たちがデザインして、仮設住宅のための家具を開発しました。

千葉さん震災後、“待ち得”という状況が生まれました。自分で何とかしなくても、支援を待っていれば何でも貰えるっていう状況です。施されすぎると働かなくなるし、それが当たり前になる。人がダメになっていきますよね。

そんな中、ハーマンミラーと石巻工房は、家具をあげるんじゃなくて、一緒につくるワークショップを開いたんです。ネジ一本でも絞めてくれたらタダであげるけど、そうじゃなければ千円いただきます、って。よく、「飢えている人には、魚をあげるだけじゃなくて、魚の釣り方を教えることが大事」というでしょう。そういう考え方です。

ワークショップは好評で、たくさんの人が自らの手で家具を製作しました。この活動はマスコミに取り上げられ、全国から「この家具は売ってないんですか?」「購入したいです」という声が届くようになりました。

千葉さん「それじゃあ」ということで、製品をブラッシュアップして販売することにしたんです。ヤフーの復興デパートメントに登録して、2012年1月から本格的に商売として活動しはじめました。

2014.3.22