物語後編
一つひとつのカケラを活かして

左が川上さん、右が松永さん
川上さんは、素材そのものの魅力を最大限に引き出したものづくりをすることと、デザインから仕上げまで一貫して手づくりすることにこだわった職人です。「新製品を開発したい」という松永さんの申し出に賛同し、大堀相馬焼をどう活かすかを一緒に話し合いました。
松永さん:マネークリップ用に形を決めて新しく焼いた方がコストも下がるし、色や形が統一できるので販売を考えると楽です。でも、やっぱり最後の作品を使いたい。それに、均質なものが溢れている時代だからこそ、色や形が統一されていない一点ものに価値があるんじゃないか、と。行ったり来たりしましたが、最終的には陶器のカケラを活かした製品にしようと話が落ち着きました。
立ち入りが禁止されている浪江町ですが、申請すれば数ヶ月に一度は入ることができます。松永さんの両親が防護服を着て浪江町から持ち出したカケラたちは、しっかり除染された後AJINAの工房に届き、川上さんの手でマネークリップへと再生されます。見慣れていた大堀相馬焼がかっこいい製品に生まれ変わる過程を見て、松永さんは感激したそうです。
松永さん:自分の仕事としてものづくりに携わるのは初めてだったので、すごくびっくりしました。こんな風になるんだ、と。
マネークリップの後は、シルバーネックレス、シルバーカフスを開発。3アイテム揃ったところで、『Piece by Piece』とブランド名をつけました。
松永さん:カケラという意味のpieceを重ねると、「一歩ずつ」という熟語になるんです。ゆっくりと、一歩ずつ、復興に向けて歩んでいけたらという想いを込めました。
製品の価格はひとつ2万円弱。手がかかっている分、この価格でも利益はあまり出ず、本来はもっと上げる必要があります。とは言え、大堀相馬焼自体は3千円から5千円で販売していたものなので、いきなり1万円以上の値をつけるのには抵抗がありました。「大丈夫だろうか」という心配もありましたが、ネットで背景や想いを紹介しながら販売すると、売れ行きは好調。「ものが良ければ、想いを伝えれば、ちゃんと受け入れられる」。松永さんにとって、この価格で売れたことは大きな自信になったといいます。
こんな状況だからこそできることがある
「Piece by Pieceの製品には、大堀相馬焼本来のパワーが詰まっている」。松永さんの元には、長年大堀相馬焼を好んで使っている方からそうした声が届くこともあるそうです。
松永さん:僕はもう身近すぎて、違いがわからないんです。でも、そう言ってくださる方がいるのは、やっぱり嬉しいですね。
職人にとって、丹精込めてつくったものが、壊れたまま日の目を見ずに朽ちていくのは、辛いことです。松永さんの活動を知り、他の窯元の方も「うちの破片も持っていけ」と言ってくれるようになりました。
松永さん:これまでの大堀相馬焼は、器やコップなど家で使うものでしたが、マネークリップやネックレスは身につけることができます。ファッション雑貨として、大堀相馬焼に興味がなかった層にも届けることができる。『Piece by Piece』の製品を通して、大堀相馬焼の魅力や現状を知ってもらえたらと思っています。
これまで密集していた窯元はそれぞれの地に散らばり、以前と同じものをつくることもできなくなりました。でも、「だからこそできることはある」と松永さんは考えています。
松永さん:二本松、いわき、白河、東京…それぞれの場所で取り組んで得た知見を、ときどき集まって共有すれば、更にいいものができるんじゃないでしょうか。むしろ、伝統工芸の中で、そんなことができるのは相馬焼だけ、という見方もできます。土地を失ってしまったから、なんでもできる。いや、なんでもやっていかなくちゃいけない。そうしないと、忘れられてしまうから。伝統工芸品って、人々から受け入れられ、売れてきたからこそ続いてきたものです。そこを履き違えて、「歴史があるから」「復興だから」とただ守ってもらおうとしてはだめですよね。大堀相馬焼の基本的な特徴は押さえつつ、新しいことに取り組み、自分がほしいと思えるものをつくろうと考えています。
NHKドラマ『八重の桜』をイメージした『SAKURA MUG』、さまざまな分野で活躍するクリエイター10人に走り駒を書いてもらった『KACHI-UMA』と、松永さんは次々と新しい製品を開発してきました。売れる商品をつくって窯元に仕事を発注したい。話題を呼んで、そこから大堀相馬焼そのものへの関心を集めたい。それが松永さんの原動力となっています。
松永さん:震災以降、実家には一度も帰っていません。18歳までの記憶に、ぽっかりと穴が空いてしまったような感じです。本当に、何がどうなるかわからないものですね。もっと見ておけばよかった、自分でもつくってみればよかった、という想いは、ものすごくあります。いま、改めて思うのは、日本のものづくりは素晴らしいっていうこと。きちんとその魅力を伝えれば、もっと色々な人に届けることができるはず。でも、自分も含めて東北の人は控えめだし、伝えたりするのが苦手ですよね。だから、伝えたりすることが上手な他の地域の人たちに手助けしてもらいながら、日本のものづくりの魅力を、浪江町の魂を伝えていきたいと思います。
2014.2.6