物語前編

「いま振り返ると、もったいなかったな、と思います」。
松永武士さんは、大堀相馬焼の窯元『松永窯』の4代目。物心ついた頃から陶器や窯は身近にありすぎて、特別な愛着を感じたことはなかったといいます。しかし、2011年3月の原発事故により福島県浪江町は立ち入り禁止となり、大堀相馬焼の生産は厳しい局面を迎えました。松永さんは、300年続いてきた伝統の火を消さないために、動きはじめました。

自分にしかできないことが、福島にある

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大堀相馬焼とは、福島県双葉郡浪江町大字大堀一円で焼かれる陶器の総称です。江戸時代の元禄年間に陶土が発見されてから、大衆向けの民窯として親しまれてきました。戊辰戦争後に一時衰えたものの、第二次世界大戦後に再興。1978年には国の伝統工芸品の指定を受けました。

器全体に広がる地模様の「青ひび」、相馬藩の御神馬を筆で描いた「走り駒」、保温性に優れた「二重焼」構造。この3つが大堀相馬焼の大きな特徴です。青ひびは、素材と釉薬との収縮の違いから、窯で焼く際に陶器の表面に細かい亀裂が入ったもの。このとき鳴る音は繊細で美しく、「福島の音30景」に選ばれているほどです。

震災前、大堀には25軒の窯元がありました。松永窯もそのうちのひとつで、明治43年に開窯し、現在まで脈々とその伝統を受け継いできました。しかし、4代目の武士さんは家業にあまり関心がなく、「むしろ嫌い」だったといいます。

松永さん:同世代に、窯元の家の子がいなかったんです。公務員や会社員の家の子ばかりだったので、周りと違っていることが少し嫌でした。作品自体、渋いというか、古くさいというか、若い人が好んで使うようなものでもなかったし。

家業を継ぐ気はなく、地元への関心もなかった松永さんは、「自分の道を歩もう」と東京の大学へ進学。在学中に起業して株式会社を立ち上げました。震災が起こったのは、海外で日本人向け医療サービスを展開するため、休学して中国へ飛ぼうとしていた3日前のことだったといいます。

松永さん:ぼくは東京にいましたが、身近な風景は津波に飲まれて、沿岸部にいた親戚や知人も亡くなりました。震災当日の夜に家族の無事が確認できてほっとしましたが、福島第一原発から10km圏内にあった浪江町は立ち入り禁止となり、「これからどうなるんだろう」と思いました。

¥震災後工房

松永窯の工房も大きな被害を受けました

しかし、この状況に対して、「自分にできることは何もない」と感じた松永さん。中国行きにはたくさんの人を巻き込んでお金を借りていたので、あとにひくこともできず、「まずは自分のやるべきことをやろう」と中国へ渡りました。

松永さん:中国で半年、カンボジアで半年働いて、ビジネスは軌道にのりました。仕事は楽しかったし、やりがいはあった。でも、ここはもうぼくがいなくても回ると思ったんです。いま、ピンチなのは福島。ぼくにしかできないことが福島にあるんじゃないかと思い、2012年の春に帰国しました。

最後の作品に宿る魂を蘇らせたい

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大堀相馬焼の特徴のひとつである「青ひび」をつくりだす青磁釉は、浪江町で採れる「砥山石(とやまいし)」を原料としています。原発事故により採石ができなくなったため、大堀相馬焼の再興は難しい状況に陥っていました。実際、窯元の半数以上は廃業し、続けることを選択したのはわずか6軒です。しかし、残った窯元は300年以上続いてきた伝統を絶やすまいと、二本松に共同窯を設立。県の研究機関の支援により代替釉薬も開発され、以前と全く同じとはいかないものの、大堀相馬焼を再現することができました。

震災後は「もう辞めよう」と考えていた松永さんの父親も、お客様からの「またつくってほしい」という声を受け、避難先の那須塩原から二本松へ通って作陶を再開しています。

松永さん:そうした大堀相馬焼の現状を見て、海外に活路があるんじゃないかという考えが頭をよぎりました。中国にいたとき、持って行った相馬焼が日本の2倍、3倍の値段で売れたんです。日本独特の技法で、意匠を凝らしてつくった良いものは、高くても評価される。海外で販路を開拓していけば、大堀相馬焼を復活できるんじゃないか、と考えました。

さっそく海外展開を図った松永さんですが、具体的な販路があるわけではなかったので、すぐに壁に直面。一旦立ち止まることにしました。

松永さん:やり方を変えようと色々調べていると、漆塗りのiPhoneケースなど、ここ数年で伝統工芸に+αのアイディアやデザインを加えた製品が増えていることに気づきました。それで、大堀相馬焼のカケラを使って、新しい製品をつくれないかと思ったんです。

松永さんの実家には、3.11の揺れで割れてしまった陶器のカケラがたくさん眠っていました。浪江町の砥山石でつくられた、正真正銘の『大堀相馬焼』の最後の作品たちです。これを「瓦礫」として処分してしまうのは忍びない。最後の作品に宿る魂を、新しい製品として蘇らせることができないか。

松永さん:製品化するなら、マネークリップはどうかと思いました。日本ではあまり見ませんが、海外ではよく使われています。会計時にスマートだし、小銭をあまり持ち歩きたくないという人って、けっこういるんじゃないか、と。

ネットでマネークリップを検索したところ、最初のページに表示された『AJINA』というシルバーと革のアクセサリーを製作している工房のウェブサイトに目が留まりました。石のついたマネークリップを販売していて、「これを陶器に変えたら製品化できるんじゃないか」と考えたんです。製品の質は高く、ウェブサイトのデザインもお洒落だったので、すぐに問い合わせをして、会ってもらうことになりました。

それが、『AJINA』で代表兼職人を務める川上健さんとの出会いでした。

2014.2.6