物語前編

人口規模、沈降型のリアス式海岸という地形、世界の3大魚場であること。そして、大津波に襲われながら復興してきた歴史。スペインのガリシア地方と女川町にはいくつもの共通点があることから、異文化交流の企画が持ち上がりました。女川で陶芸をしていた阿部鳴美さんはスペインタイルと出会い、懐かしい女川の風景を描いてまちを彩ろうと動き出しました。

もう一度、陶芸ができたら

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阿部さんは女川で生まれ育った主婦。平成11年から、近所の主婦仲間数人と一緒に公民館の分館で陶芸を習っていました。文化祭に出展したり、作品をバザーで販売したりと、楽しく活動していたそうです。しかし、分館があったのは海のすぐそば。津波により、焼成窯も、5台の電動ろくろも、バザーに向けつくりためていた数百点の作品も、何もかもが流されてしまいました。

阿部さん:震災直後は食べるものや着るものの調達など、暮らすことだけで精一杯でした。陶芸サークルのメンバーが集まったのは、少し生活が落ち着いてきた半年後。本当は、道具も何もないし、解散しようと思って集まったんです。でも、いざ顔を合わせると名残惜しくて、「いつか再開できるかもしれないから、解散ではなくお休みにしよう」ということになりました。

それから間もなく、女川町に最後の仮設住宅が完成し、阿部さんのところに、「完成披露イベントで陶芸教室をやってみない?」と声がかかりました。窯も道具もないので少し迷いましたが、「成形だけして、あとはどこかで焼いてもらおう」と協力することに。阿部さんはイベントの事前会議に出席し、自己紹介をしました。

阿部さん:「陶芸をもう一度やりたい。でも、資金もないし町にも頼れないので、方法を探っています」と話しました。そうしたら、その会議に出席されていた建築家の坂茂先生が、後日京都造形芸術大学の千住博学長(※2011年当時)を紹介してくださったんです。千住先生からは、「皆さんのものづくりのために学校から窯を寄贈しましょう」と、とてもありがたいご提案をいただきました。

窯があれば、陶芸を再開できる。阿部さんの胸に希望の光が灯りました。

千年後の人に、まちの様子を伝えたい

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その頃、女川ではスペイン・ガリシア地方との異文化交流の話が持ち上がっていました。ガリシア地方は女川と湾の形や高低差がそっくりで、かつて津波で大きな被害を受けたものの、そこから立ち直り復興を遂げた地域です。阿部さんはこの話がきっかけで、スペインタイルと出会いました。スペインでは陶芸といえばタイルというほどなじみ深い存在。手描きで色づけし、高温で焼き上げます。阿部さんは、そのカラフルさと細やかな作業工程にすっかり魅せられ、東京の教室に通いはじめました。

阿部さん:研修でスペインを訪れたんですが、あちこちにスペインタイルが散りばめられたまちはとても明るく色鮮やかで、印象的でした。また、博物館には千年前のタイルが展示されていたんですが、高温で焼いているから色褪せることがないんですね。言葉がなくても当時の様子がわかり、そのことにとても感動しました。

震災後、瓦礫で一面灰色になってしまった女川のまち。懐かしい女川の風景や未来予想図を描いたスペインタイルで、まちを明るく彩りたい。復興の様子を千年先まで残したい。阿部さんはそう考えたといいます。

阿部さん:想いだけは溢れるばかりにありましたが、実現する手だてがありませんでした。資金もないし、やり方もわからない。でも諦めきれずに色々な人に相談していたんです。そうしたら、内閣府の『新たな一歩プロジェクト』を教えてもらいました。復興のために起業する人を支援する事業です。申請書類の書き方なんてわからなかったけど、「女川スぺインタイルを街の新しい文化として後世に継承していきたい」と想いの丈を書類に盛り込み応募しました。

2012年6月、『みなとまち女川スペインタイル事業』は見事採択となり、阿部さんはかつての陶芸サークルのメンバーに声をかけ、NPO法人として展開していくための準備を始めました。

2013.11.22