物語後編

被災者と支援者が、製品を通して手をつなぐ

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ヒット製品になった『onagawa fish』ですが、開始当初はつくり手の確保に苦労しました。避難所等にチラシを配布しましたが、しばらくの間は閑古鳥。ようやく入ってきてくれた人も、2週間で辞めてしまいました。理由は、「売れるかどうかわからないし、不安だから」。そこで、売れた分ではなく、製作した分で支払うよう給与形態を変更。削りの作業はいくら、ヤスリの作業はいくら、仕上げはいくら、と作業工程ごとに細かく決めて、人を集めました。

湯浅さん:その後電話をかけてきてくれたのが、いま削りの作業をやっているミカさんです。そのときはミカさんのご主人も仕事がなかったから、一緒にやったらどうだという話になって、おかあさんも、おばさんも、友達も…と、どんどん広がっていきました。

しかし、木工に関してはみんな素人。しっかりした品質のものをつくるためには、多くの課題がありました。『onagawa fish』の特徴は、ずっと触っていたくなるようなすべすべ感。これを出す為には、木片を削って魚の形にして、ヤスリで磨き、塗装をして…と何段階もの工程があり、職人技とも言える技術が必要とされます。家具職人が一つひとつ丁寧に教え、品質を保つために厳しく指導しました。

湯浅さん:正直僕は「ある程度でいいじゃん」って思ったんですが(笑)家具職人が妥協を許さなかったんです。「被災者と支援者の間には物理的に距離があるから、直接手をつなぐことはできない。でも、この製品を通して手をつなぐことはできる。だからしっかりつくりましょう」と。その通りだなと思い、みんなにも頑張ってもらいました。

女川の新たな産業として残していきたい

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現在、工房のつくり手は7名。主婦層が多く、子どもたちも工房に遊びにきます。学校の話を聞いたり、駆け回っているのを叱ったり、みんなで育てているような感覚なのだそう。湯浅さんも、「震災後からずっと一緒にいて成長を見ているので、自分の子どもみたいです」と目を細めます。

湯浅さん:いま、男の人には土木関係の力仕事や漁業があるけど、主婦層の人たちの仕事がないんです。水産加工場がまだ建っていないので、牡蠣の殻むきとか、サンマの加工品をつくったりとか、そういう仕事ができない。でも、彼女たちは手先がとても器用です。『onagawa fish』をつくるのはけっこう難しいんですが、今ではもう熟練の腕前です。僕にはつくれません(笑)

女性ならではのセンスを活かし、製品開発にも意欲的。「こういう製品をつくったらどうか」「ここはもっとこうしたほうがいい」と、どんどんアイディアが出てくるそう。湯浅さんが原価計算をして価格を決め、製品としてブラッシュアップしていきます。今では、キーホルダーだけでなく、ストラップ、ブレスレット、コースターと様々な製品を製作しています。

湯浅さん:彼女たちは営業もしてくれるんです。最初は僕ひとりでやっていたんですが、いっぱいいっぱいになっているのを見て、自分たちでアポを取って営業に行くようになりました。実は、自分は営業が上手だと勘違いしていたんですが、彼女たちが行ったほうがよく売れて(笑)どんどん販路を拡大してくれています。

女性たちは、『小さな復興プロジェクト』を通して、隠れていた才能をどんどん開花させました。「もう僕は引退しようかな」とぼやきながらも、湯浅さんは嬉しそうに笑います。

湯浅さん:もちろん、大変なことはたくさんありますよ。時が経つにつれてだんだん売れなくなってきています。震災が風化してもちゃんと残る製品なのか、残らない製品なのか…いまが一番踏ん張り時です。まだまだ弱い部分もあるので、改善していかないといけない。

まちが復興するには、まだまだ何年もかかります。避難している人が地元に戻って家を建てようと思ったとき、仕事がないとだめですよね。その選択肢のひとつになりたいんです。

女川は自然に恵まれているから、一次産業とそれに付随する二次産業ばかりだった。でも、みんな同じことをしていると、こういう災害時にパタリと全部倒れてしまう。全体のことを考えたら、こうしたものづくりもひとつの産業として確立させる必要があると思っています。

子どもの笑い声が明るく響く、『小さな復興プロジェクト』の工房内。お母さんたちの背中を見て育った子どもたちがものづくりに関心を持ち、大人になって『onagawa fish』のつくり手になる。いつかそんな未来がやってくるかもしれません。

2013.11.22