物語前編

宮城県牡鹿郡の女川町は、豊富な魚種が数多く水揚げされる“漁業のまち”です。しかし、津波の被害は甚大で、町内の7割の建物が流され、漁港や水産加工施設も壊滅状態となりました。地域活性化を生業としていて、女川ともつきあいがあった湯浅輝樹さんは、その惨状を見て愕然とします。魚がとれるようになるまでのあいだ地元の人の仕事になるようにと、『小さな復興プロジェクト』を立ち上げ、木でできたお魚のキーホルダーの製作をはじめました。

工夫次第で、経済活動は生み出せる

¥IMG_7052湯浅さんの仕事は、シャッター街になってしまった商店街や活気のない商業施設で、産直市などのイベントを企画して賑わいを取り戻すこと。2011年3月11日は、仙台市青葉区にある“本町・家具のまち”で、若手家具職人とイベントを行う予定でした。しかし、震災で事情は一変します。

湯浅さん:電気がない、水がない、ガスがない。仕事どころでは無くなってしまいました。でも、経営をしている以上、否応無しに請求書はやってきます。止まってばかりもいられないし、なんとか動き出そうと思いました。

仙台市内を見渡すと、公園の震災ゴミ置き場に家具がたくさん捨てられていました。壊れた家具が直せるかどうかわからず困っている人が大勢いることに気づいた湯浅さんは、家具職人と一緒に修理相談のボランティアを始めます。

湯浅さん:それが、大ヒットだったんです。新聞で取り上げてもらったとたん、電話が鳴りっぱなしで。夜でもかかってくるんです。相談は無料で、実際に修理をすることになった場合はお金をいただくことにしました。「こんな状況でも、工夫次第で経済活動は生み出せるんだ」と気づきました。

お魚がどっととれる女川に戻りますように

¥IMG_6986そうしてしばらくは仙台市内で活動していた湯浅さんですが、ラジオで女川町の惨状を耳にして、何かできないかを考えるようになりました。その年の5月から女川で新しい取り組みを始める予定で、町の人たちと付き合いがあったのです。

湯浅さん:お世話になった方々も、自分と同じように不安を抱えているだろうと思いました。経済活動ができない一方で、携帯を使えばその分携帯代がかかるし、引き落としの日は否応無しにやってくる。そういう恐怖感は、経営者も従業員もきっと同じ。その不安や恐怖を少しでも和らげるような活動ができないかと思ったんです。

震災から一ヶ月後、家具職人と一緒に女川町を訪れた湯浅さんは、あまりの惨状に言葉を失いました。あちこちに車がひっくり返っていて、避難所にいた人たちの目も虚ろ。何もすることがなく、ただ炊き出しを待っているだけ。その状態は、ものすごいストレスだろうと感じたといいます。

湯浅さん:一緒に女川を訪れた家具職人は、家具だけではなく木工品をつくるスキルも持っていました。製作工程を簡素化したキーホルダーを開発して、それを被災した人たちの仕事にできないだろうか。そう考えて避難所に提案しましたが、「時期尚早だ」「全員分に行き渡る仕事があるならいいけど、そうでなければ不公平だからだめだ」と断られてしまいました。

そこで、震災前からお世話になっていた女川町の観光物産施設『マリンパル女川』の山田さんに相談してみたんです。山田さんは賛同してくれて、流されずに残った倉庫を工房として貸してくれました。

工房を確保した湯浅さんは、家具職人と一緒に製品の企画を詰めていきました。女川と言えば漁業。だから、魚の形をしたキーホルダーにしよう。ストラップにはお魚のマークと「.onagawa(ドットオナガワ)」という文字を刻印。「お魚がどっととれる女川に戻りますように」という想いを込めています。製品名は『onagawa fish』としました。

試作品をつくり、イベントで販売したところ、予想以上の反響。ツイッターで口コミが広がり、テレビ番組の取材も入りました。1社に取り上げられると、2社、3社と取材が続き、話題の商品に。次々と注文が入り、1か月待ち、2か月待ちの状態になりました。

『onagawa fish』を手元に置くことで、防災意識を持ってもらえたら

¥IMG_6926『onagawa fish』をキーホルダーにしたのは、「いつも手元に置いて思い出してほしい」と考えたからです。被災地のことを、ではありません。「自分も災害に見舞われるかもしれない」ということをです。

湯浅さん:いま、僕らがいるところは被災地と呼ばれているけど、次はまた違うところが被災地になるかもしれません。可能性は0じゃないんです。だから、みんなが防災に対する意識を身につけないといけない。被災地でつくられたものを手元に置くことで、意識してもらえたらと思いました。

水がなくてトイレが流せず、衛生状況がどんどん悪くなっていく。情報を知りたくても、電池切れでラジオが動かない。震災後の混乱を味わった湯浅さんは、「平常時から、水や電池、食糧の備蓄をしてほしい」と訴えます。

湯浅さん:また、「逃げる大切さ」も伝えたいです。津波で亡くなった方の中には、車を捨てて逃げ出せば助かった方や、家や家族が気になるからと見に行って波に飲まれた方もいます。災害時には、とにかく逃げること。「自分の身は自分で守る」という意識を持ってほしいです。

自分たちが経験したことを教訓にしてもらい、少しでも未来の災害における悲劇を減らしたい。『onagawa fish』には、そんな想いが込められています。

2013.11.22