物語後編

ずっと食堂をやりたいと思っていた

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「売上の半分は、みんなで貯金しよう」。それは、最初に販売するときから決めていたことでした。ミサンガがずっと売れ続けるかどうかはわからない。売れなくなったときにみんなの気持ちが沈んでしまうのは避けたい。ミサンガだけに頼るのではなく、ミサンガで得た利益を元に次の活動につなげていこう。そう考えたからです。

友廣さん:ミサンガの製作で集まる度に、みんな「次なにやる?」って楽しそうに話していました。表情が目に見えて変わっていくんです。日に日に元気になっていく。ちっちゃくても希望があること、前に進んでいる感覚を持てることって、すごく大事だなと実感しました。次に何をするかという話も、最初はあんまり実感がない感じだったんです。「できるわけないっちゃ」っていう感じで。でもそれが、貯金が増えていくのと比例するように自信もついてきて、どんどん現実味が増していきました。

作業日はよく、千枝さんが支援物資で料理をつくり、みんなに振る舞ってくれました。ひやむぎと豆腐を使ってチーズケーキをつくったり、レトルトカレーと食パンでカレーパンをつくったり…。そのクオリティの高さにみんな毎回驚いたそうです。

千枝さん:料理は好きだったんだよね、こう見えても(笑)でも、ずっと前から、浜で捕れた食材を使って食堂開きたいなとは思ってたんだよ。

実はそれは、ほかの女性部のメンバーも密かに考えていたことでした。同じ漁協の女性部とは言え住んでいる地域も世代も違うので、今まであまり内に秘めた想いを話す機会がなかったのです。それが、みんなで何度も集まるうちに打ち解けて本音を言える関係になり、初めて同じことを考えていたことがわかったのでした。

そのときはまだ話が盛り上がっただけで、具体的な話にまでは至りませんでした。しかし、2011年秋に大型台風が牡鹿半島を襲います。それまで作業場として使っていたメンバーの家の離れが浸水し、集まる場所を失ってしまいました。

友廣さん:しばらくは自宅でそれぞれミサンガ製作をすることにしましたが、「やっぱりみんなで集まって作業したいね」「場所をつくろう」という話になったんです。どうせなら以前から話していた食堂を兼ねた場所にしようと、本気で動き出すことにしました。

新しく食堂を建てるとなると、ミサンガの利益だけでは足りません。建築を通して被災地の支援を行うアメリカのNPO『アーキテクチャー・フォー・ヒューマニティ』が公募していたコンペに提案書を出したところ、見事通過。資金援助を受け、食堂の建設に乗り出しました。

そのときある食材でつくるお弁当屋さん、それが『ぼっぽら食堂』

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大工さんやボランティアの力により食堂は順調にできあがっていき、『ぼっぽら食堂』という名前も決まりました。“ぼっぽら”とは浜の言葉で「急に・突然・準備なしに」といった意味です。「おらたちなんでもぼっぽら(行き当たりばったり)でやるからよ」とお母さんたちの会話から命名しました。食堂とはいうものの、調理場と小さなテーブルでいっぱいになってしまう、小さな建物です。提供するのはお持ち帰りのお弁当のみにしました。女性部の面々は完成を今か今かと楽しみにしていたそうです。

友廣さん:それが、いよいよ完成間近という段階になったら、「メニューも何も決まってないし、できないかもしれない」って突然弱気になっちゃったんです。それまで「早く建ててよ」って急かしていたのに(笑)でも、初めてのことなので不安になるのも仕方ない。「まずは小さく始めて、やりながら改善していきましょう」と話し合って、最初は週2で開いて様子を見ることにしました。

それでもお母さんたちは不安そうでしたが、お世話になった人を呼んで開いた食堂のお披露目会が良い刺激になりました。ありものの食材でつくった創作料理が、招待客から大好評だったんです。普段の食堂も、事前にメニューを決めるのではなく、そのときそのとき手に入った食材でメニューを考える形でいいんじゃないか。いかにも“ぼっぽら”らしいし、それが喜ばれるなら背伸びする必要はないよね、という話になりました。

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普段の自分たちの延長線上のことをすればいい。肩の力が抜けたお母さんたちは自信を取り戻し、2012年7月30日に『ぼっぽら食堂』をオープン。開店直後から、工事業者の方々を中心にたくさんの人が訪れるお店になりました。当初、「これだけ売れば人件費が出て続けられる」と40個販売することを目標にしていましたが、すぐに達成。お客さんからの要望で週5日へと営業日を増やし、現在では週6で営業しています。

友廣さん:毎月経営会議を開いてたんですが、お母さんたちはさすが主婦。思うように利益が出ていないと、原価計算して「ここにお金をかけすぎている」「こうすれば節約できる」とどんどん改善策が出てくるんです。3〜4か月目には安定して利益が出るようになりました。

全国の人に注目されるより、地域に受け入れられる普通のお店を目指す

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食堂が始まってからだいぶペースは落ちましたが、ミサンガの製作や販売は今も続けています。知人を通して知り合ったハワイのお店に卸すようになると現地で人気となり、2ヶ月で100本ほどコンスタントに注文が入るそうです。

初めてミサンガを販売した香川のモンスターバッシュにも毎年参加していて、今年は2日間で600本以上売れました。去年、一昨年買ってくれた人がまたブースを訪れ、2本目、3本目を買ってくれることも。嬉しい再会の瞬間が増え、年に1度の恒例行事になりつつあります。ミサンガの売上を元に食堂を建てた話をするとみんなとても喜び、「いつか牡鹿半島に行きたい」と言ってくれるそうです。

千枝さん: 実際、3年連続でモンスターバッシュに来たっていう男がぼっぽらまで弁当食べに来たんだよ。1人でバイク乗って、わざわざな。しょうがねえからジュース出してやったよ(笑)

そう憎まれ口を叩きながらも、千枝さんは嬉しそうに笑います。

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友廣さん:みんな照れ屋だしそういうガラでもないので、これまでのことを涙ながらに振り返るとか、そういう感動的な光景が繰り広げられることはありません(笑)ぼくらとお母さんたちも、支援するとかされるとかじゃなくて対等なパートナーというか、むしろ今は美味しいものを作ってもらう息子のような関係だから、改まって感謝の言葉を伝えられるなんてこともないですし。でも、ふとしたときに「まさか本当に食堂を始めるとはねえ」と感慨深そうに呟かれて、ちょっと嬉しくなったりします。

友廣さんはぼっぽら食堂に常駐しているわけではなく、様々な地域を飛び回っています。鮎川浜を訪れるときは、お母さんたちから「食べな食べな」とご馳走を振る舞われたり、「持って帰れ」と大きな秋鮭を1本丸ごともらったりするのだそう。口が悪くぶっきらぼうなお母さんたちですが、そうした行動に気持ちが滲み出ています。

友廣さん:メディアに取り上げていただくこともあるんですが、お母さんたちはあんまり興味がないんですよね。「漁師の奥さんたちが、余った魚を活用してお弁当をつくる!」っていうほうがメディア受けはいいんでしょうけど、魚が出ないお弁当の時もあるし。毎日買ってくれる人も多いので、いつも魚じゃ飽きちゃいますからね。

全国の人に注目されたり“先進的な事例”として認められることよりも、地元の人に受け入れられ愛されるお店にすることのほうが大事。テレビに出ても雑誌に出てもそのスタンスは揺るぎません。目指すのは、まちの普通のお弁当屋さん。浮わつくことがないその姿勢に、地域にしっかりと根をおろしてきた“この浜のお母さんたちらしさ”が表れていました。

2013.11.21