物語前編

パリに20年滞在し、出版社のパリ支局長を務めていた村上香住子(かすみこ)さんは、震災後フランスの知人友人から励ましの言葉をたくさんもらいました。その想いを受け取った村上さんは南三陸へ通うようになり、地元の人の手仕事づくりを始めます。各界のアーティストがそれに力を貸し、『ama project』が動き出しました。

ジェーン・バーキンが東北のために路上ライブを行う

ジェーン・バーキンと娘のケイト

ジェーン・バーキンと娘のケイト

村上さんは20歳のときにフランス人の学者と結婚して渡仏しました。マガジンハウスやフィガロジャポンのパリ支局長を務め、2010年に日本に帰国。東京とパリを行き来しながら、フランス文化に関するエッセイや本を書いて暮らしていました。

東日本大震災が起こったとき、パリは朝の9時。ニュースで津波の映像を見たフランス人たちは衝撃を受け、日本に心を寄せてくれたといいます。エルメスのバッグ「バーキン」のモデルになった歌手のジェーン・バーキンさんもその一人でした。

村上さん:ジェーンの動きは迅速で、震災の一ヶ月後にはチャリティコンサートを行うため来日しました。4月といえば、原発事故の影響を懸念して、日本にいたフランス人たちが次々と帰国していた時期です。「みんなが出ていくときに、あなたは逆にこっちに来るんですね」と空港で驚かれたそうです。

仕事を通してジェーンさんと古くから親交があった村上さんは、コンサートの前に会って話をすることに。ジェーンさんはなんと、コンサートだけでなく、路上でアカペラライブも行って被災地への募金を集めようとしていました。

村上さん:あれほどの人が音響設備もステージもない路上で歌うなんて、考えられないでしょう?本人も「本当は怖いの」と話していました。でも、ジェーンは元々貢献意識が高い人だし、何度も来日して日本に親しみを感じていたから、「日本の友人たちを放っておけない」と思ったんですね。

ジェーンが渋谷パルコ前で歌いはじめると、ツイッターで話題になってどんどん人が集まってきました。若い人も年配の人も、ジェーンの想いに打たれて涙を流しながら聴き入っていて、感動的な光景でしたね。

各界のアーティストたちが協力してくれた

¥ama3col

日本への想いを表現してくれたのは、ジェーンさんだけではありません。震災後、村上さんがパリへ行くと、街を歩いているだけで「日本人?大変だったね。どうか立ち直って」「困っていることはない?なんでもしてあげる」と声をかけられたといいます。知人友人からも、「これを届けて」と物資を託されました。

そうした気持ちに心を打たれた村上さんは、「自分も東北のために何かしたい」「フランスと東北を繋ぐ役割を果たしたい」と考えるように。『国境なき医師団』から派遣され震災の一週間後から南三陸で活動していた友人を頼り、支援物資を届けに行きました。

村上さん:そこで地元の人と知り合い、何度も物資を持って通うようになったんです。でも、秋頃になると「もう物資は充分」と言われるようになりました。「今は仕事がほしい。でも、周りは瓦礫だらけで仕事がない」と。

それで、「どうしたら仕事がつくれる?」と考え始めました。私はずっと雑誌の仕事をしてきたので、正直言って商売のことはよくわかりません。でも、私には東京とパリに友人がいます。南三陸の人に手仕事でアクセサリーをつくってもらい、それを私が仲介してみんなに売ってもらったらどうだろう、と思いつきました。

“復興”を前面に押し出すのではなく、「気に入って買ったら実は支援に繋がっていた」という製品にしたいと考えた村上さんは、さっそく友人のアーティスト横尾香央留さんに相談。いつも道具を持ち歩いている横尾さんは、村上さんのイメージを「こんな感じ?」とぱぱっと形にしてくれました。いくつかの案を携えて、再び南三陸へ。仮設住宅に「お茶っこしながら手仕事をしませんか」とチラシをまくと、20人の女性が集会所に集まってくれました。

村上さん:横尾さんはアーティストだから人に何かを教えたりするのは苦手だと言っていたんですが、「お願い!」って無理矢理頼み込んで、先生になってもらいました。つくり手の女性たちと一緒に手を動かして意見を聞きながら、案をひとつに絞りました。

選ばれたのは、ゴールドの細いラメ糸に緑と赤のビーズが輝く、繊細で可憐なブレスレット。緑は“希望”を、赤は“情熱”を表しています。パッケージは建築家の谷尻誠さんがデザイン。「南三陸から届いた手芸の便り」というコンセプトで、封筒の形をしています。プロジェクト名は『ama project』としました。“ama”はラテン語で“愛”という意味。“海女”と掛けています。ロゴはグラフィティアーティストのアンドレ・サレヴァさんが描いてくれました。

¥ama

以前から親しくしていた青山のCIBONEに製品を持っていくと、すぐに買い取ってくれることに。震災からちょうど一年後の2012年3月11日に、製品の販売を開始しました。

プロジェクト存続の危機

¥IMG_6338ama projectは、南三陸の女性が製品をつくり、地元のNPO法人がそのとりまとめをして、村上さんが東京で営業や広報をする、という役割分担をして回していました。パリの「コレット」や「メルシー」といったお洒落なセレクトショップに置かれ、メディアにも取り上げられるなど、ama ブレスレットの評判は上々。スワロフスキーのクリスタルビーズがついた「シルバー」、男性向けの「オム」も販売を開始しました。

売上は順調に伸びていきましたが、2012年の終わりに大きな壁にぶつかります。地元NPOが、2年目以降はama projectの活動に関われなくなってしまったのです。

村上さんは東京で仕事があるので、毎週南三陸へ通うことはできません。かと言って、つくり手の女性たちに材料の手配や生産管理、販売店とのやりとりを任せるのは難しい。村上さんは頭を抱えました。

村上さん:たくさんの人から応援され続けてきたプロジェクトです。絶対に終わらせたくないと思いました。活動を引き継いでくれる団体を探して、あちこちに連絡をしました。そうして、知人の知人を介して出会ったのが『コンテナおおあみ』さんです。

¥P1040348

コンテナおおあみは、南三陸の隣にある登米市に事業所を持ち、起業支援事業などを行う企業です。ama projectの想いや理念に共感し、活動を引き継いでくれることになりました。村上さんは大きく胸を撫で下ろしたといいます。

2013.9.10